Web ZINE『吹けよ春風』

Web ZINE『吹けよ春風』と申します🌸

WebZINE『吹けよ春風』2023年復刊号その2 目次

f:id:fukeyoharukaze:20220403111159j:plain

1、ごあいさつ

fukeyoharukaze.com

2、左腕のダッコちゃん(とんこつ一番豚しぼり)

fukeyoharukaze.com

3、歯を大切に(北向ハナウタ)

fukeyoharukaze.com

4、『トランジスタ技術』を圧縮する(相馬 光)

 fukeyoharukaze.com

5、百合と目が合う──コンテンツレビュー日記、またはコロナ療養記(生湯葉シホ)

fukeyoharukaze.com

6、log_CAMP.txt (カワウソ祭)

fukeyoharukaze.com

7、思い出の味(あばら粉砕コース)

fukeyoharukaze.com

8、新しい鼻、新しい自分(レジーオーウェン

fukeyoharukaze.com

9、もっともっともっと脳と仲良くしたい(銭湯編)(七海仁)

 fukeyoharukaze.com

10、実験4000号(インターネットウミウシ

fukeyoharukaze.com

11、瓢と球の様子(世田谷アメ子)

fukeyoharukaze.com

12、芝生はいいぞ(はとだ)

fukeyoharukaze.com

13、彼女ならギャルとは何か聞かれたらまたあの顔で笑うんだろう(篠原あいり)

fukeyoharukaze.com

14、発展途上演技論・筒からの、編(平野鈴)

fukeyoharukaze.com

15、BOY・meets・BOØWYとBowie 後編(赤松新)

fukeyoharukaze.com

16、おわりのまえに

fukeyoharukaze.com

17、さよならだけが(宮本七生)

fukeyoharukaze.com

ごあいさつ



 どうも、WebZINE『吹けよ春風』と申します。
 『吹けよ春風』は外出自粛期間限定のWebZINEとして始まりました。
 詳しい経緯はこちらにまとめております。

fukeyoharukaze.com

 今年は2週連続の刊行ということで、先週復刊号その1を刊行いたしました。
 素敵な記事がたくさんあつまっており、大変華やかなその1となりました。

fukeyoharukaze.com

 先週に引き続き、今週も素敵な記事が集まっております。
 新たに記事をご寄稿いただきました方や、2週連続でご寄稿くださった方もいらっしゃいます。
 この場を借りて、厚く御礼を申し上げます。

 それではごゆるりと、お花見のような気分でお楽しみくださいませ。

もっともっともっと脳と仲良くしたい(銭湯編)(七海仁)

月に2~3回、銭湯に行っています。

 

そろそろ5年目に突入しようとしている漫画原作の仕事(集英社グランドジャンプ」で「Shrink ~精神科医ヨワイ~」連載中です。最新巻⑩巻5月19日発売です。宣伝です)。

 

「アイデアが出なけりゃ終わり」という恐怖の中を走り続けながら、自分なりに「脳とうまく付き合う方法」を模索してきました。

 


脳の仕組みを学び、新しい発想を得やすいルーティーンを組み、つくづく思ったのは「脳は非日常を喜ぶ」ということ。

普段とは違うものを見る・経験することで「楽しい」「わくわくする」感情を持つと、扁桃体が反応し情報や記憶を管理する海馬に作用するそうです。それが脳の発達にとって良い効果をもたらし、集中力や情報処理能力もアップするのだとか。


そこでコロナ禍も一旦落ち着きつつある最近は、もっぱら銭湯に通っています。手っ取り早く非日常感を得られるし、脳をリラックスさせることでアイデアも出やすくなるし。…とか何とか言いながら、何より昔から大好きなんです、銭湯という場所が。

自らの備忘録を兼ねて、個人的におすすめの銭湯(一部スーパー銭湯)をいくつかご紹介します。

 

www.hisamatsuyu.jp


練馬区のスタイリッシュ銭湯です。どこもかしこもピカピカ清潔で爽やかです。何もかもがモノトーンです。天井のトップライトから燦燦と太陽の光が降り注ぎ、さらにお風呂に浸かりながら芸術家集団「アトリエオモヤ」のプロジェクションマッピングまで楽しめてしまいます。贅沢。天然温泉の露天風呂も完備。

shimizuyu.jp

表参道という都内屈指のおしゃれタウンにこんな銭湯が…と驚きます。中に入るとわりと年季が入った券売機が迎えてくれて、外の雰囲気とのギャップに一瞬脳がバグります。そんなに広くはないですが、シルク風呂、ジェットバス、炭酸泉と揃っていて居心地よし。湯上りには落ち着いたバースペースでベルギービールとか飲めるのがさすがの立地(?)というところでしょうか。

 

www.aqua-higashinakano1010.com
こじんまりとした銭湯ではありますが、高濃度炭酸泉、ジェットバス、シルク風呂、露天風呂とさまざまなお風呂が勢ぞろい。そしてなんとここにはプール…プールがあるんです!! 長さ7メートル、しっかりした深さのプールは夏場28度、冬場18度くらいの冷たさで、お風呂に浸かった後またはサウナ後に身を沈めたり脚をチャポハポしたり時には軽く泳いだり。唯一無二の爽快感です。

thermae-yu.jp

歌舞伎町エリア(そして吉本興業本社の真ん前)にある我らが新宿が誇るスパ。地下2階から4階までの6フロアに大浴場、岩盤浴、レストランにマッサージ、休憩エリアがあり、どこも広々としています。内風呂エリアには高濃度炭酸泉、ジェットバスなど5つの浴槽があってどれもかなりの大きさで思いきり脚を伸ばして入ることが出来ます。露天エリアには静岡・中伊豆から毎日運ばれてくる天然温泉と寝湯なども。平日はちょっと不安になるくらい(ごめんなさい…)空いていて居心地が良いです。いつも大体寝湯で寝転がって「アイデア出てこい」と唸っています。

www.sayanoyudokoro.co.jp

 

都心にいながらまるでどこかの温泉街の由緒ある旅館に来たような気分にさせてくれる銭湯です。枯山水の苔庭が清々しく、四季折々の風景が楽しめる日本庭園が美しい。壺湯、寝湯、天然温泉が溢れる大きな浴槽もあって、都内最高レベルの開放感を味わえます。休憩所が少ないのは少し気になりますが、食事処の蕎麦が本当に美味しい…!!

 

www.spajapo.com
国内最大級のスーパー銭湯、東京のキングオブ銭湯です。野球場のような外観の建物の中に15種類の浴槽、2種類のサウナ、フードコートにカフェ、レストラン、温度が異なる5種類の岩盤浴…と回り切れないほどのエリアが詰まっています。中でも圧巻は巨大な休憩エリアで、鳥かご風のソファスペースや二段ベッド風スペースなど他の銭湯ではまず見ないさまざまなデザインが楽しいです。漫画も読み放題で、1日いても飽きません。銭湯好きなら一度は行ってみるべき場所だと思います(ただし週末はものすごく混むので可能であれば是非平日に)。

 

…予想よりすごい熱量で推薦文を書いている自分に自分でちょっと引いてますが(このへんで止めないとエンドレスで続けそうです)、思い出していたらまた銭湯に行きたくなってきました。今度はいつ行こう、次の締切の後かな。

銭湯に決まって持参するのは(中で買うと高い)お茶、それから文庫本です。


 まず体を洗って高濃度炭酸泉で体を温めてから露天に移動。肩を優しく冷やす外気を感じながら防水カバーを付けた本を開く至福の時。湯上りに水分補給した後岩盤浴でまた軽く汗をかいたり、ソファーで寝転がったり。最近はコワーキングスペースを設ける施設も増えました。パソコンを持ち込めば1日なんてあっという間です。楽しい、銭湯は最高です。

 「そんなに通うなんて、よっぽどお風呂が好きなんだね」


 帰宅後、洗濯機を回している最中に友人から届いたLINEを見て、ふと違和感。
 「お風呂が好き」……果たして本当にそうなんだっけ?


 元来熱い湯が苦手で、自宅の風呂の設定温度はいつも38度。サウナは湿った熱い空気が息苦しくて三分も持たない(上記の施設は全てサウナ完備していますが、ほぼ入ったことがありません…)。露天風呂も出たり入ったりを繰り返す烏の行水で、デッキチェアーで読書する時間のほうが長いかも。

 
…あれ、もしかして、丸一日いて湯に浸かる時間は三十分にも満たないのでは?


 友人へどう返すか悩みつつ、より詳しく自分の行動を思い返してみました。

 
大きな花柄の野暮ったい館内着を着て昼寝。フードコートで割高なラーメンをすすり「たまにだから」とクリームソーダも頼んだ。その後は胡坐をかいてパソコン作業。露天風呂でほかのお客さんが「ここだから言えるんだけどさ…」と友達に囁く恋の話や家族の秘密に耳をそばだてた。


 ―なるほど。自分はどうやら、温泉に入ること自体よりも、公共の場のはずなのにあけっぴろげな、身も心も裸になることを許された空間で、自分の心が解れていくのを楽しんでいるようです。


 上記でおすすめした銭湯はどこも、長湯が苦手な人ものんびりできる屋外の「沐浴」スペースがあります。どんな楽しみ方をする人も温かく受け止めてくれる懐の深い銭湯、ご興味ある方は是非。

 

grandjump.shueisha.co.jp



歯を大切に(北向ハナウタ)

歯科検診のハガキが届いた。

広島には30歳、35歳、40歳…といった節目の時期に歯科検診が500円で受けられる、「節目年齢歯科健診」なる取り組みがあるそうだ。

良い取り組みだ。歯医者に対して「痛い」「つらい」といった幼少期からのネガティブな感情を引きずりつづけてきた筆者にとって、こういった外からのきっかけは救いだと思った。

せっかくの機会だし、ということで重い腰を上げ、近くの評判が良さげな歯医者へと向かう。歯の検診なんて10年近くしてなかったんじゃないか。あまりにも重すぎる、苔むした腰である。

家からほど近いその歯医者は、清潔感のある白を基調とした佇まいだった。今日は検診だけとあって歯をいきなり削られるわけもなく、穏やかな気持ちで歯を診てもらう。

歯医者に行かなかったのも特にここまで口内に異変がなかったからだ。歯の痛みのひとつやふたつもあれば流石に歯医者へ駆け込んだとは思うが、これがあまりにも平穏な日々。口の中がパクス=ロマーナな筆者は、大手を振って歯医者への凱旋である。

明るい室内で診察台に寝転び準備は万端。先生(歯科衛生士?)が真剣な顔で筆者の口の中を上下左右としばらく観察すると、やおら口を開いた。

「虫歯が21本あります。」

21?一瞬耳を疑った。え、そんなことある?
成人は親知らずを除くと28本の歯が生えているそうだ。そのうちの21本。21/28。約分をすると3/4。わかりやすい。筆者の歯の、ちょうど75%が虫歯だそうだ。そうか。

それからしばらくは「21…」と思いながらふらふらとその歯医者に通った。ところが一向に治療が始まる気配もなく、クリーニングだけを丁寧にされてはそのまま帰される日々が続いた。先生、21なんです。おれ、おれ、21なんです。はやる気持ちを抑え、何回か通ったタイミングで、治療はいつ終わりますか、と訊くと「2年はかかります」とのこと。待って、そんなにかかるの?そんなのもうほとんど渋谷駅の再開発じゃんか。

都市開発並みの工期を聞かされ、さすがにこれは変かも、と奥さんが通っている歯医者にもセカンドオピニオン的に診てもらうことにした。実は21本虫歯があると言われたんです、と伝えたところ、先生は少し苦い顔をして笑った。
なんでも、「虫歯の基準はいろいろあると思うけど…21本全部の歯を治療する必要はないし、そこまで気にする必要もない」とのこと。

そうなんですか、先生、そうなんですか。たすけてください。

それからというもの、通う歯医者をこちらに切り替え、心が入れ替わったように毎日しっかり歯を磨き、フロスをし、マウスウォッシュで欠かさず口を濯いでいる。21というショッキングな数字も、荒療治にはよかったのだと思う。毎回歯医者さんには歯磨きを褒めてもらえるまでになった。

あと2回の通院で虫歯の治療は終わるとのこと、春風が吹き終わるころにはきれいな歯で笑うことができそうだ。

【おまけ】
ふだん歯磨きをしっかりしている奥さんに教えてもらった歯磨きツールを共有します。みんな読んでくれてありがとな。

・歯ブラシ…ruscello
歯医者さんに「歯ブラシ何使ってますか」と質問されたら、「ルシェロです」と答えると「ああ、それならいいね」と太鼓判を押してもらえるぞ。

・歯磨き粉…シュミテクト歯周病ケア
歯磨き粉はフッ素の配合量が大切らしい。美味しいので好き。

・フロス…リーチデンタルフロス
初心者向けの定番のものっぽい。歯茎が引き締まって歯間がひらいてきたら歯間ブラシに切り替えよう。

・マウスウォッシュ…コンクールF
定番中の定番とのこと。いかにも「スッキリさせます!」系のものは刺激が強いわりにあまり効果を感じなかったのだけど、これは良い感じ。いまやこれで口を濯がない落ち着かない身体になった。

それでは皆さま、歯を大切に。

北向 ハナウタ(@1106joe)
会社員/ライター/イラストレータ

百合と目が合う──コンテンツレビュー日記、またはコロナ療養記(生湯葉シホ)

同居している恋人が先に熱を出して、そのあとが私だった。昨年末にやや久しぶりにも思える大流行があって、まだ感染していなかったまわりの人たちも大方そこでコロナにかかりきっていて、意外とかかんないねえ、というかもうすでに無症状感染してるんだろうね、なんて話していたから、いま思えばちょっと油断していた。

近所の内科医院には「はじめは無愛想で驚くと思いますが、怒っていません。大丈夫です」というGoogleの口コミがついていた。おかげで電話するのは怖くなかった。同じ人のレビューのなかに「一見、どこの魚市場だ?と思いますが」というフレーズがあったので気になっていたが、順番がまわってくると、医師が開口一番に「するってえと、症状は」と口にしたので納得。親身に診てくれるすごくいい病院だった。熱が、咳が、息苦しさが、などとおろおろ説明しながら、ああこれはコロナだろうなと自分でも思っていた。

ひと足先に診察を受け、帰宅していた恋人から「都の療養キット頼んでみたよ」と連絡がくる。そっちがそうだったならもう間違いなくそうだろう。案の定コロナと診断され、療養期間がはじまった。

 

***

 

という感じで、いまの私は当時のことを(あるていど冷静に)ふり返って書くことができるのだけれど、療養期間の7日間と、それが明けたあとの数週間はほんとうに辛かった。リアルタイムで体感していると、このまま不調が半永久的につづくのかもしれないと思えてきて鬱々とした。

そういうとき、荒んで毛羽立っていく一方の心を多少なりとも穏やかにしてくれたのが、いくつかのゲームや本や音楽だった。はじめはこの文章を療養記にしようと思って書きだしたが、思い返してみると随所随所で、ああ、あれに助けられたなとか、あのときあれを読めてよかったな、みたいなものがたくさんあったように感じられるし、私としてもそっちの話のほうがしていてたのしい。そんなわけで、コロナに感染してからひと月ほどのあいだに、見たり触れたりしてよかったなあと(あるいは「助かったなあ」と)思うものについてばらばらと挙げてみようかなと思う。

長く退屈な療養期間の日記として読んでいただいてもいいし、コンテンツのレビューとして飛ばし読みしてもらってもかまわない。リハビリみたいな感覚で書いていくので、読みづらいかもしれないけれど、お付き合いいただけたらうれしい。


いくつかの謎解きゲーム──御仏の殺人、HOTELブルーローズの99の部屋

創世記の書き出しみたいになってあれだが、まずはじめに5日間の高熱が出た。6日目、処方薬を飲んでいるときに突如、口のなかがケミカルな感じにぶわっと苦くなった。あれ、薬の味こんなだったっけ、と思っているうち、いくらすすいでもその苦味が口内から消えなくなった。もともと高熱が出やすい体質なので、熱が40℃に近づいてもしばらく余裕ぶっていたが、ふつうの風邪とはあきらかにちょっと様相がちがう。そのうち、あ、これは長丁場になるかもしれないとうすうす気づきはじめ、仕事の関係各所にあらためて連絡した。

ロキソニンで熱が38℃台になっているときだけは動けた。さすがに起き上がって仕事をしたり本を読みとおしたりする力はなかったけれど、頭だけは妙に興奮していて、なんでもいいから作業をしたかった。いまになってふり返ると、このとき実際にはかなり朦朧としていたのだけれど、ふだんどおりにものを考えたり手を動かしたりできるぞ、だから大丈夫、と自分に言い聞かせたかったのだと思う。動揺していた。

ベッドに横になりながら、いくつかの脱出ゲームアプリをダウンロードしては部屋(あるいはホテルの一室、事務所、夏祭り会場、大浴場)から脱出し、ダウンロードしては脱出し、をしばらくくり返していた。すぐに飽きてしまって、なんかもうちょっと解きごたえのあるやつないかな、とネットをさまよい、『DETECTIVE X CASE FILE#1 御仏の殺人』を見つける。リアル脱出ゲームを主催するSCRAPが監修した「本格犯罪捜査ゲーム」シリーズの第1弾で、シナリオは道尾秀介さんが担当している。実際の犯罪捜査を模した捜査資料に自分であたりながら事件を解いていく、というかたち。

注文から数日で家に届いたわりと大げさな箱をあけてみると、ある未解決事件を追っているというフリーライターによる名刺つきの手紙と、その事件についての週刊誌の過去記事が目に入った。これがほんとにリアルでめちゃくちゃよくできている。真相に近づくたびに手元に届くあたらしい捜査資料(実際にはゲームの進行上、指示があるたびに封筒をひとつずつあけていくというかたちなのだが)のすべてに物語の世界観を損なわない丁寧な作り込みがされていて、捜査の進めかたも単にメモをとるだけで済むようなものじゃなく、ギミックの緻密さにワクワクできるものばかりで、いわゆる謎解きゲームとは一線を画したコンテンツになっていてとてもよかった。

10代のときは謎解きコンテンツがすごく好きで、いっときはSCRAPの店舗スタッフをさせてもらっていたくらい、体験型ゲームとか謎解きにはまっていた。いまでもそれらは好きなのだけれど、あるときから、多くの謎解きゲームにある「型」(小謎が7問くらいあって、クロスワードを解いて、さいしょに伝えられた情報のなかにある重大なヒントを活かして大謎にたどり着く、というような)に飽きてしまって、なんかもういいかも、というテンションでいた。だから、謎解きの既存のフォーマット自体を疑ったり、それを踏襲しながらも別のかたちでおもしろさを追求しているコンテンツにときどき出会うと感動してしまう。

『御仏の殺人』は3~4人集まってわいわいやってもたぶん楽しい。同じくSCRAPの最近のコンテンツだと、『HOTELブルーローズの99の部屋』もおもしろかった。アートワークが統一されていてすてきだったのと、自分でホテルの部屋を一室ずつ訪ねていくというギミックもよかった。オンラインで完結する謎解きゲームを探しているひと、特にゲームブックのような進行のランダム性が好きなひとにはこちらはおすすめ。


映像ゲームの傑作『Her story』と『immortality』

発症から7日目、咳がひどく、まだ熱は出つづけていて、口のなかの謎の苦みもとれない。耐えられないほどの悪寒がして、怪談を聞いた直後の子どものように歯がずっとカチカチ言っていた。快方に近づいていく未来が見えなくて、心がわかりやすく澱んでいく。ツイッターで「マスクなんていらない」「コロナ 茶番」などと検索しては、見つかったアカウントを端からブロックしていった。処方薬の残りがかなり減ってきたことにも焦っていた。

机の前に座ってみてもやっぱり本は読めず、ゲームならできた。だから淡々とゲームをしていた。Steamで評判のとてもよかった『パラノマサイト FILE23 本所七不思議』を10時間くらいかけてやりきる。ノベルゲームに近いミステリーアドベンチャー

シナリオの分岐するポイントに納得感があっておもしろかったけれど、全ルート攻略のために総当たり的な繰り返しを余儀なくされるところがわりとだるく、私はそこまではまれなかった。あとからレビューをいくつか見てみると、キャラクターと世界観も含めて魅力的に感じているひとが多いみたいだった。

HOTELブルーローズ』を終えたあと、ファミ通のサイトに掲載されていた制作陣へのインタビューを読んでいたら、コンテンツディレクターが「進行の自由度は、『Her story』というゲームを参考にした」と語っていて興味が湧く。ちょうどSteamのセール中だったので買ってプレイしてみた。

これがもうど真ん中に好みだった。形式としてはミステリーアドベンチャーになるけれど、プレイヤーができることはかなり限られている。プレイヤーは、ある殺人事件について女性参考人が語った数日間の映像記録を、デジタルアーカイブを検索しながら一つひとつ見ていくことになる。映像はどれも数秒から1、2分程度の短いもので、たとえば「殺人」であるとか「眼鏡」であるとか、特定の単語を検索窓に入れることで、その単語が含まれている(参考人がその単語を口にしているシーンの)映像を引き出してくることができる。複数の映像を再生してストーリーを補完していきつつ、事件の真相を知ることを目指すゲーム。

このゲームシステムがとにかくすばらしい。単語検索に映像が紐づいているというシステムの特性上、勘がいいひとであればおそらく、映像に表れている些細な違和感を手がかりに、事件の核心にあたる証言映像にわりと早くたどり着くことができると思う。けれど、トリックや犯人が解き明かされることがシナリオ上のクライマックスではなく、むしろ彼女が語る話の枝葉の一つひとつをどこまでも知りたい、と思わされてしまう。プレイヤーにそう思わせる参考人の演技(Viva Seifertという俳優の方だそう)も凄まじくいいし、終盤にわかるもうひとつの事実も美しい。

ミステリーのトリックそのものよりも、犯人やその周辺人物が語る身の上話や与太話が好きというひとには問答無用でプレイしてみてほしい(コロンボの『忘れられたスター』を見たあとの余韻を思い出した)。私はここ数年でやったインディーゲームのなかでいちばん好きだった。

『Her story』のクリエイター、サム・バーロウが似たシステムの新作ゲーム『IMMORTALITY』を出していると知って、『Her story』をやり終えたあとすぐに購入した。3本の映画に出演しながらも、いつしか業界から姿を消した映画スター、マリッサ・マルセルの出演作をプレイヤーは1本ずつ見ていく。映画にまつわるインタビューやトークショーを含む未公開のフィルムを断片的に見ていくことで、マリッサの身になにが起きたかを徐々に知っていく……という概要だけでもうおもしろそうでしょう? 

こちらも傑作で、途中からラストまでずっと鳥肌が立っていた(コロナの悪寒からあれが来ていたのかはいまでもわからない)。映画史をたどっていくおもしろさもあるし、あきらかにヒッチコックを意識した人物が出てくるところとか、当時の業界の権力構造のグロテスクさも示唆している。哲学的なテーマとあまりの長大さに賛否はあると思うけれど、途中で飽きちゃっても十分おもしろいと思うので、ぜひやってみてください。


「人類がつくったもっとも美しいゲーム」こと『Outer Wilds』

熱と悪寒が引いていくのに反比例して、口のなかの苦みが強まっていった。処方薬を飲んでいるあいだは気づかなかったけれど、どうやら苦みは薬に関係なく存在していて、それによって食べものの味や匂いを消してしまうみたいだった。幸か不幸か食欲はあったから、療養キットのなかのレトルトカレーや中華丼をもりもり食べた。でも、肝心の味はほとんどしない。

療養期間が明けたのでしばらくは散歩ばかりしていた。桜の見頃はちょうど過ぎたあたりだったけれど、ぎりぎりで見られた谷中霊園の桜はきれいだった。いろいろな場所で花が咲き終わり、木の芽が芽吹きはじめていた。香りの強そうな花に顔を近づけてもなんの匂いもしない。咳と息切れがひどかった。

お酒を飲むことと香水を集めることがいちばんの趣味といえる自分だけれど、しばらくどちらもできていなかった。お酒はためしにビールをちいさなグラス半分飲んでみたが、味はしないし、すぐに頭もひどく痛くなった。自分の体調が読めず、頂いた仕事の依頼や遊びの誘いをしばらく断りつづけることになった。

このまま匂いがしなかったらどうしよう、と怖くなって、友だちに提案してもらった香水の嗅ぎ分けをしてみることにした。私うしろ向いてるから、部屋にある香水のなかから1本この紙に吹きかけてみて、どれでもいいから、と恋人に頼むと、すごいいっぱいあるねえ、と妙に楽しそうだった。渡された試香紙を嗅ぐと、香りはやっぱりほとんどしない。それでも時間をかけていくと、どの香水かはなぜだかわかった。鼻が香りを感じているというより、このきつい刺激は柑橘だな、とか、さいきん嗅いだ記憶のある甘ったるさだな、というように、平面的な情報を頼りに、情報の印象にいちばん近いものを脳が選んでいるという感覚だった。喜んでいいのか悲しむべきかわからなかった。

何回かやって、すぐにわかったのはフラッサイの「ア・フエゴ・レント」。すごくクリーミーなフローラルで、いい意味で香りが立たないというか、嗅ぎ疲れしない感じが新鮮だったので体が覚えていた。体調が悪いときに嗅いでも疲れない香水というのはとても貴重。

怖さと不安を紛らわすようにやっぱりゲームをした。Steamのレビューに「人類がつくったもっとも美しいゲームのひとつ」「夢が叶うのなら、自分の腕に『Outer Wildsをやれ』と刻みつけた上で記憶を失いたい」というフレーズがあるのが目に止まり、『Outer Wilds』を買ってみる。そのレビューをスクショしてストーリーにあげたら、ゲーム名を出していないにもかかわらず「もしかしてOuter Wildsでは?」というDMが友だちから爆速で届く。

そんなことある? と笑ってしまったけれど、たしかに美しく、この世界にずっと居つづけたいと感じられるゲームだと思った。プレイヤーは、ひとつの星が消滅するまでの22分のあいだに、できることをあれこれ試していく。試行錯誤を無数にくり返す必要があるのに、ループが苦痛にならないのがすごいし、なにより音楽がよかった。メインテーマのバンジョーの響き、よすぎませんか? 

これをやっているとき、ああ、私には「あしたには他のことがなにかできるかもしれない」という可能性を前向きに捉えられるようなメンタリティがすこしでも残っているんだな、と思えたのがうれしかった。実はまだクリアできていないので、ゆっくりプレイしつづけたい。Feldsperにまだ会えていないのだけど、たぶんハーモニカを吹くFeldsperを見たら泣いてしまう。


ラジオクロワッサン、その他

日によっては匂いや味がすこしするようになってきたな、と感じていた矢先、ふたたび高熱が出た。体を縦にするだけで悪寒が止まらなくなり、週末をまるまる潰してしまう。人に連絡もできず、仕事もできず、買っていたイベントのチケットも無駄になった。『友田オレvsリンドバーグ』、行きたかった。友田オレさんはこのところいちばん気になっている学生芸人(これを書きながら『私の彼は左きき』というネタを見返していたら、可児正がパロっているバージョンを見つけて爆笑してしまった。天才と天才のコラボ……)。

丸2日経ち、勘弁してよと思いながらふらふらと起き上がると、めまいがひどくなっていた。インタビューの文字起こしをすこし進めてみる。舌がもつれるみたいに、文字がもつれる、というような感覚があって怖くなる。

コロナにかかってから、文字が出てきづらいみたいな感覚ある? と恋人に訊くと、「慣用表現がなかなか思い出せなくて、主語に対応する述語がぱっと出てこないかもしれない。あと、『~せざるを得ない』みたいな言葉を打とうとするとき、『せざるを』を『せるざを』って打ってしまう」と言われ、ああとてもわかる、と思った。いやだね、怖いよねえと言い合う。怖さと体の疲れから、途方もなく眠ってしまう。

眠りながらたくさんの夢を見た。15時間くらい寝つづける日が数日あって、目を覚ますわずかな合間にラジオを聴いていた。冬の鬼さん・ぺるともさん・ハチカイ警備員さんがやっている『ラジオクロワッサン』というネットラジオが好きなのだけれど、『ドラメッド三世』というすばらしい回があり、それをくり返して聴いた。「1曲だけ好きにやっていいって言われたアルバム曲みたいなキャラクター」「なんでこいつだけ2四次元持ってんだ」というツッコミに絶対笑ってしまう。たしかにドラメッド三世だけランプとターバンふたつ持ってるのふしぎだよな。

聴きながら、半年くらい前に飲み屋で年下のひとと喋っていたとき、「なんか、お母さんがドラえもんのパチもんみたいなキャラのステッカー持ってて……青じゃないんです」と言われたときのことを思い出してしばらく布団のなかで笑っていた。「ドラ・ザ・キッド? ドラニコフ? からかってます?」と彼女は最後まで怪訝な顔をしていた。


対馬康子の句集、そして『君のクイズ』

匂いがはっきり感じられる日とそうでない日が出てきた。血管が破裂してしまいそうなひどい動悸、ぐるぐるとしためまい、熱、息切れ、のうちいくつかが日によってあったりなかったりして、まいあさ目を覚ますたびに最悪の体調ガチャを引いているような気分。それでも香りが認識できるようになってきたことがうれしくて、咲きかけの百合を花屋で買った。

しばらく読めていなかったから、本が読みたくなってきた。あまり長いものは体と頭が疲れてしまうような気がして、短いものがよかった。教えてもらった対馬康子という俳人の句集をぱらぱらとめくる。愛国という第一句集のタイトルにややぎょっとするのだけれど、俳句はどれもすばらしくて謎のアドレナリンが出た。「故郷喪失洗い髪のまま寝ては」「図鑑閉じみな盲目の花畑」「すずかけの街さわがせてコップ割れ」。

仕事をするのにちょっと環境を変えたい、という恋人の背後に鳩のようにくっついて図書館へいく。5分ほど歩くともう体力が限界で、あらゆる公園をセーブポイントみたいにしながら進んだ。

改稿を進めていた小説に向き合ってみる。図書館のWiFiが弱くて、Googleドキュメントの文字がすこし遅れて表示される。処理はできるけれど時間がかかる、というPCの挙動がいまの自分にそのまま重なって、憂鬱になった。文章を書こうとしてみても、一文と一文のあいだのつながりの距離がよくわからない。この文章を打ったら次はこれがくるだろう、という文脈の接続感が失われている気がした。書いても書いても、ぼこぼこと湧き上がる泡のようにどの文章も浮いていて、掴みどころがない。書けないと気づいたとき、血の気が引いた。

ひとの文章を読んでいるうちにリズムを思い出せるかもしれない、と思って、近所の書店で『スピン』の3号『君のクイズ』(小川哲)を買って帰った。『スピン』はまだ読んでいる途中。絲山秋子さんは10代のときにいちばん熱心に読んだ作家のひとりなので、特集を楽しみにしていた。

『君のクイズ』はただただおもしろく、久々に小説を一気読みした。早押しクイズの大会の決勝戦に出場していた主人公が、あと一歩のところで対戦相手に負けてしまう。対戦相手は最終問題で、問読みを聞く前に(つまりクイズが出題される前に)解答するという、ふつうではありえないことをやってのける。とうぜん主人公やクイズプレイヤーたちはヤラセを疑って抗議するが、番組や対戦相手側からきちんとした対応はなされない。主人公はしかたなく、対戦相手のクイズ歴や番組のプロデューサーについて自分で調べ上げ、相手がどうして「問題を聞く前に解答」できたのかに迫っていく。

勝戦の録画映像を見返しながら、主人公は過去を回想していく。競技クイズに出会ったときのこと。「どんな話題にでもついていけるキャパはあると思うよ」とイキった発言をしたせいで、主人公のことを「キャパくん」と呼んでいた恋人のこと。忘れられない誤答、勝てなかった大会。ほぼ全編が主人公の回想で進むと言ってもよく、物語のなかの時間や景色はほとんど変わらない。彼の記憶はすべてクイズを軸に組み立てられていて、クイズについて語ることがそのまま半生について語ることにつながっている。それがすごくよかった。

競技クイズを批判するひとは決まって、「生きた知識でないのなら意味がない」という。たとえばルーブル美術館の名画を覚えていても、歴代の芥川賞作品を覚えていたとしても、それらがクイズで覚えただけの知識で、実際に触れたことがないなら意味ないんじゃないの? と。さいきんだと『東大王』のイメージがあるのか、東大生は頭でっかちで「役に立つ」知識しか知らない、みたいなステレオタイプを平気で公言するひともいる。

『君のクイズ』には、クイズで覚えた知識が人生を通じて「生きた知識」になることのすばらしさも、そもそも役に立とうが立たまいがクイズってそれ自体が楽しいじゃん、という純粋なよろこびも、両方書かれている。

後者でいうと、たとえばQuizKnockにはかつて山上大喜さんというクイズプレイヤーがいて、彼の「クイズをすることが楽しくて楽しくてしかたない」というオーラはほんとうによかった。山上さんがなぞなぞのベタ問(クイズとしての出題頻度が高い問題のこと)を瞬殺していこうとする動画は何回見てもゲラゲラ笑ってしまう。同じ回に出演している河村さん・鶴崎さんも異次元の強さだし、めちゃくちゃ楽しそう。クイズってこれでいいんだよな、と見るたびに思う。

『君のクイズ』は同時に、「早押しは魔法ではない」ということも正面から描く。クイズプレイヤーが常人には理解しがたい早押しをするとき、その頭のなかでなにが起きているのか。伊沢拓司さんの『クイズ思考の解体』にも鮮明に書かれていたことだけれど、クイズプレイヤーは万物を記憶しているわけではなく、情報のアーカイブのなかから適切な時間で適切な答えを引き出してくる訓練をひたすら積んでいるのだ。主人公は無数の記憶をなめらかになぞって移動しながら、ひとつの解答まで必死でたどりつこうとする。その思考の躍動が美しかった。

QuizKnockをはじめ、クイズ系YouTuberのひとたちの動画には名作が本当に多いのだけれど、かつてカプリティオに所属していた石野さん(現在はQuizKnockに移籍されている)が『美味しんぼ』の「ラーメン三銃士」回の台詞の頭文字だけをヒントにした問題を出していたことがあって、このひとたちはほんとうに狂っていると思った。クイズを楽しそうに問くひとたちを見ると元気が出る。


フジファブリック ワンマンライブ「Dance Sing Revolution No.19」

めまいと動悸が特にひどい日が増えてきた。療養期間が終わってからはじめてオフラインの取材の仕事にいく。行きの電車は満員に近く、とうぜん座れなくて滝のように汗が出た。

取材ではとてもおもしろいお話が伺えた。けれど座っているのにずっと酔っているみたいに視界がぐるぐるしていて、息も切れ、勘弁してくれよコロナさすがに、と思う。

取材を企画してくれた友人の編集者から、Bスポット治療という治療法が自分の場合はめまいに効いたけれど、もうそれはとんでもなく痛い、という情報を教えてもらう。調べたら、喉や鼻から棒を挿し込み、上咽頭に消炎剤を強くこすりつけるというものすごいやりかただった。Googleのサジェストワードに「痛すぎる」「耐えられない」などと並んでいてぎょっとする。もう何週間か治らなかったらやってみよう、と思う。

〇〇さんはどうなんですか、と恋人の調子を聞かれ、いやなんかわりとケロッとしてるんですよ、むかつきますよね~、などと軽口をたたく。当たり前だけれどそんなことは実際には思わない。思わないけれど、歩くのも喋るのもしんどくなって、いままで自然に書けていた文章もすごく大変になってしまって、なんかもう私は自分のことを自分であきらめてしまいそうです、とは言えなくてつい笑い話にしようとしてしまう。

帰りの電車に乗っているとき、いつか友人が話してくれたことを思い出す。心臓の大手術を経て、発作を止めるための機械を体のなかに埋め込んだ友人は、それまで本をぱんぱんに詰めたリュックを背負って通勤していたのに、それができなくなることを怖がっていた。けれど医師や看護師はその恐ろしさを笑って受け流したという。

リュックが背負えなくなる程度のこと、と感じたのだろう。けれど実際には、ちいさな生活習慣やこだわり、嗜好品が私たちの人生を成り立たせているのであって、けっしてそれは「その程度のこと」ではない。私たちは生き延びるためだけに生きているわけではなくて、それはもっと、尊厳にかかわることだと思う。私の父は食道がんを患っているけれど、けっきょく酒をやめていないし、それは父以外の誰にも非難されるべきことじゃないと私は思っている。

と、いうようなことを自分自身に対しても思えたらよかったのだけど、気力と体力がなくなってくると、それが難しくなってくる。もっと重症のひともいるのに。亡くなったひともいる病気なのに、と思えてくる。それはある部分ではたぶんすごく正しくて、コロナにともなう喪失を想像して身動きがとれなくなる自分のことだって、できるなら否定したくない。

取材の帰り、1年ほど前から通っている鍼灸院にいく。鍼灸師のかたは心配そうに私の話を聞いた上で、「しほさんはお酒がお好きでしょうから、もとどおり飲めるようになるとか、そういうのを目標にしてもいいかもしれませんよね」と控えめにいう。酒、いまの体調だとぜんぜん飲む気になれないけど、でもたしかに飲みたいな、と思う。美味しいリキュールを飲みたい。実際にできるかどうかよりも、欲があることに安心した。鍼灸は私にかなり効き、動悸がとくに改善する。

その数日後、フジファブリックのワンマンにいく。会場は中野サンプラザで、幸いオールスタンディングではなかったので、なんとか大丈夫かなと思えた。再来月にはなくなってしまうサンプラザ。そういえばほとんど来たことなかったな、と思いながらおおきな階段を上っているとき、いや14年前に来たじゃないかと思い出す。志村のお別れ会で。高校のときで、冬休みがはじまる直前だった。

開演を待ちながら、誘ってくれた友だちと話しているとき、自分のしゃべりかたがなんか前より平坦になってるな、と気づく。長いセンテンスを口に出すと息切れしてしまうみたいだった。自分の呼吸をたしかめるみたいに吸ったり吐いたりしているうち、ライブがはじまった。

上京してきて、ここ中野の桜をはじめて見たときびっくりしたんです綺麗で、という山内さんのMC。デビュー日に演る『桜の季節』。何度も生で聴いてきた曲だけれど、この日の桜の季節があんまりよくて、客席で呆然としていた。サポートで入ってくれている伊藤大地さんのドラムが太くて強い、いい意味で泥臭い音で、足元から響いてきて、ちょうど自分の鼓動の高さに重なっていた。ものすごくタイトな演奏なのにピアノもギターもベースもふくよかに聴こえ、けれどその余韻に上書きされない山内さんの声の力。「作り話に花を咲かせ 僕は読み返しては感動している!」。なんでこんなすごい詞が書けるんだよ。客席はみんな、自分に言い聞かせるみたいにちいさく頷きながら聴いていた。長すぎるほどの拍手。これは。来てよかった、来るべきだったと思った。

19年もやってこられるなんて想像できなかったんですと山内さんが言う。志村くんと比べられることもやっぱりあって、僕からしたらあんなすばらしいボーカリストと比べられるなんてうれしいくらいなんだけど、と言いながら彼はやたらステージ上をふらふら行ったり来たりしている。そんなの気にしないで突き進んできたつもりだけど、その先が行き止まりかもしれないってわからないから、悩むこともある。そういうときに支えてくれるんですバンドが。バンドっていいでしょう、すごいでしょう? と言われ、永遠につづいてくれとただステージを見上げることしかできない。

ツアーが発表され、また来ようと思う。めまいはつづいていたけれどふしぎと元気で、なんとかやっていかなくちゃと思った。サンプラザ、こんな音よかったんだなといまさら気づいて悔しい。

家に帰ると蕾だった百合が2輪いっきに咲いていて、ぐわっとひらいた百合と目が合う。配信チケットを買って、ライブを頭から聴きなおした。

 


<プロフィール>
湯葉シホ  東京在住。フリーランスのライター/エッセイストとして、Webを中心に文章を書いています。『別冊文藝春秋』に短編小説「わたしです、聞こえています」掲載。『大手小町』にてエッセイ連載中。

log_CAMP.txt (カワウソ祭)

0.

轟音。強風。殴りつけるような雨が顔を襲い、呼吸もままならない。私の意識はここから始まり、全く状況に理解が追いつかなかった。耐え難い頭痛。寒さと疲れで強張った足は、まともに歩みを進めてくれない。真っ暗な視界を照らすヘッドライトの光は頼りなく、体を預けていた壁をどうにかつたい歩く。小窓から明かりが漏れる分厚い木の扉を見とめ、ドアノブを回して全ての体重をかける。扉は拍子抜けするほど簡単に開き、中へ倒れ込んだ。なんとか半身を起こして、震える手で扉を押し閉じる。助かった。暖かい。安堵と共に頭痛が激しさを増し、意識を手放した。

 

呼びかける声に目を覚ますと、心配そうにこちらを覗き込む顔があった。見知らぬ青年だ。私は玄関で蹲ったまま気を失っていたらしく、彼は満身創痍の来訪者に戸惑っているようだった。嵐は止み、細かい雨音が小屋を包んでいた。

「すみません、避難できるのが、ここしかなくて」

私が声を絞り出すと、青年は手を差し伸べ、身体を引き起こしてくれた。そして「こちらこそ気付かなくてすみません。ここはあなたの家じゃないんですか?」と訝しげに言った。

 

状況をある程度把握できたのは、泥のような眠りを貪った後だった。ソファから見上げた天窓に差す光の明るさが、雨は止み、もう午後になっていることを物語る。濡れた外套は足元に丸められ、分厚い毛布に包まっていた。

青年は同じ居間のリビングチェアで眠っていたらしい。私が起きた気配で目を覚まし、重たげな瞼をこすっている。まだ20代だろう。大柄で逞しい体格だが、飾り気のない朴訥な風体をしている。歳を取ってほとんど接する機会を失った、今や遠い世界に生きる若者だ。小さな居間で差し向かうと、途端に居心地の悪さを感じた。

一方、青年は見知らぬ中年男性と2人きりでも、何ら気後れしないらしい。くだけた様子で、自分は室内で気が付いたが、この小屋のことは何も見当がつかないと話した。荷物らしい荷物もないという。私は登山ウェアを着てバックパックを背負っていたが、荷物を解いてみると所持品はごくわずかだった。激しい頭痛は治っていたものの、疲労が抜けず関節が軋む。自分についての記憶は概ね思い出せるのに、なぜ嵐の中でこの小屋の壁に縋り付いていたのか、肝心な部分が思い出せない。青年に至っては自分の名前すら分からないという。

1.

ともかく、自分たちの置かれた状況について理解する必要がある。2人で小屋の周りを確かめると、丸太組の古風で重厚な造りのおかげで、嵐に遭っても損傷はないようだった。周囲の小さな田畑は雑草に覆われ、長らく手入れされていないようだ。小屋へ続く道は1本だけで、山に向かって続いている。舗装されていないので、昨夜の荒れ狂う風雨によってひどくぬかるみ、折れた枝葉が散乱していた。

改めて明るくなった屋内を調べると、床の薄い埃を踏みしめた足跡は私たち2人分だけだった。小さなキッチン、居間と寝室、ロフトの家具類も埃まみれだ。

誰かが趣味を楽しむために使う別荘なのだろう。小さな薪ストーブ、壁にかけられた薪割りの斧、革ケースに収められたバトニングナイフ、釣りの道具、丸められたコットンタープなどが目につく場所へ綺麗に置かれていた。道具類は几帳面に手入れされ、この小屋を愛した持ち主の気配を感じる。しかし、長く使われず放置されているらしい。

整理された床下貯蔵庫には、成人男性1人なら2週間ほど過ごせる程度の保存食や調味料の類があった。医薬品、ガスカートリッジなどもある。電気やガスはないが、水道は沢の水を引いているらしい。キッチンも備えられているが、炊事は薪ストーブで補うのだろう。小屋の裏と屋内に薪が積まれていた。

ともかく、この小屋の主には後で事情を説明すればいい。青年と意見が一致したので、貯蔵庫から豆のスープ缶を取り出した。奇妙な状況で疲れ切っているにも関わらず、青年は親切で冷静だった。ごく紳士的かつさっぱりとした態度は、神経質な面のある私にはありがたかった。体格の良い彼は私以上に空腹のはずだが、必要以上に食糧を荒らしたくないからと、缶の半量だけを受け取る。空腹が不安で、無断でポケットへ忍ばせたビスケットの小袋がずっしりと重く感じる。もっと食べるように勧めても、彼は笑顔で首を振る。



この山がどの程度の高さで、今いる場所がどの位置にあるのか。山頂付近なのか、中腹なのか、舗装された国道までどれほど距離があるのか——。見渡す限り、小屋の中にはそれらを示す情報がない。2人に記憶がない以上、登山の基礎知識を持っている私がリードして、登山道を示す道標などからこの場所について探る他ないだろう。小屋へ続く道は1本だけ、迷いやすいルートではなさそうだ。何の通信機器もないが、腕時計で日時はわかる。幸いアナログなので、太陽が見えればおおよその方角も分かる。ともかく、日が高いうちに情報を掴むため、私たちは小屋から続く道を調べることにした。

小屋から離れて10分ほど進むと、昨夜の強風に折られたのか、それとも落雷にあったのか、大きな杉の木が袈裟懸けに割れて道を塞いでいた。太い枝が道の左脇にある小さな祠を押し潰し、中の石仏が割れている。倒木を跨いで進むが、道標はなく分岐もない。

道幅が狭まり、斜面に沿う小径になり、登ってまた下る。山道は谷底へ続き、美しい渓流へ辿り着いた。岩を登って流れを飛び越え、対岸から伸びる山道をまた30分ほど歩くと、不思議なことに見覚えのある倒木があった。今度は右脇に祠があり、石仏が割れている。倒木を跨いで進むと、私たちの出発した小屋が見えた。

一本道にも関わらず、どこかで道に迷ったのだろうか? しかし、もう一度道を辿ってみても、結果は同じであった。混乱のまま二度、三度と同じ道を歩くうちに私は体力が尽き、日も傾いてきた。この奇妙なルート以外には、沢登りで山頂を目指すか、或いは麓に向かうルートを歩くしかない。私たちは首を傾げながら、また小屋に戻って仮眠をとった。

 

翌日も軽い食事を取り、2人で山道を辿る。青年に指示を出し、手分けしてさまざまな歩き方を試したが、結果は同じだった。どうしても元の小屋へ戻ってくる。

山肌の傾斜が比較的緩いことから、標高の低い山の中腹にいるのだと思う。眺望がきかない低山では、たとえ山頂からでも周囲の山の地形を見ることができず、現在地をロストし、道迷いから遭難につながる。トレッキングコースが整備されておらず、道標がなかったり、滑落を起こすこともある。

渓流を岩づてに遡行すると大岩に行手を阻まれ、特別な装備がなければ登ることは難しい。川を下ると幅が広くなり、傾斜の付いた岩肌を奔流が走っていた。その先は剥き出しの岩肌が連なり、流れは激しい段瀑となっていく。

恐ろしく、異常な体験だった。どんなルートを歩いても小屋へ戻ってしまう。徒歩30~40分、おそらく3km程のエリアを、永遠にぐるぐる回ることしかできないのだ。

3日目、4日目……助けを借りて傾斜をよじ登り、山肌を辿って山頂を目指そうともした。落ち葉が積もっていて足元が悪く、うまく登れそうもなかった。多少は山歩きを経験している私がリードして、この状況から抜け出さねばと焦るが、なんの進展もない。それでも毎日次の予定をたて、粘り強く探索を続けた。

私たちが何らかの事故によって遭難しているのなら、とっくに捜索が開始されているはずなのだ。それなのに、冬の山々は毎日同じように静かで、ヘリや防災無線の音はしない。時折聞こえる鳥の声の他は、何の気配も感じられない。

この奇妙な状況を受け入れることができず、また食糧がなくなる恐怖と不安から、私は追い詰められていた。食べ物がほとんど喉を通らなくなり、憔悴しきっていた。口を挟もうとする青年を叱責し、指示に従うよう懇願する。夜も眠れない。体力の限り山のルート探索を続けたが、10日目の深夜に高熱を出した。

 

異変を察知すると、青年はこれまで使わなかった寝室を掃除して、私のために寝床を整えてくれた。肩を借りてベッドに入ると、今度は粥状に崩した豆のスープを少しずつ飲ませ、介抱してくれる。残り少ない食料を、消化しやすく工夫してくれたらしい。そのままグッタリと眠りに落ち、目を覚ました頃には体調が落ち着いていた。

ドアをノックする音がして、また青年が寝室を覗く。心配そうな顔にはあどけなさの名残りがある。ベッドの傍へ腰掛けた彼と静かな食事を終えると、彼は今後の方針について話し始めた。

 

十分なカロリーを摂取せず、疲れも取れない状態で山の散策を続けると、不注意になって怪我や滑落の危険がある。居間のソファと寝袋で簡易的に休息を取ることを止め、小屋を掃除して、落ち着いて生活したほうが良い。そのために、私が今使っている寝室と、ロフトを各自のスペースとして振り分け、ゆっくり体を休められるようにする。

また、控えた消費を試みてきたとはいえ、貯蔵庫の食糧は残り少ない。山で食糧の確保を試みつつ、なるべく小屋から離れずに捜索隊へのSOS発信を行うべきではないかと。

全くもって正論だった。なぜ山の経験者である私から、もっと早く同じ提案をできなかったのだろう。焦りと恐怖によってこの数日を無駄にし、迷惑をかけてしまったことを詫びたが、彼は微笑んで許してくれた。

 

水が充分にあるので、食糧の消費はまだある程度抑えられるだろう。しかし、小屋全体を暖めるストーブの火を絶やすわけにはいくまい。小屋周辺には間伐後に放置されたらしい木々があり、少し歩けば大きな倒木もある。長期戦を覚悟した以上は、まず薪の確保から……。これからの作業を考えている間に、外から乾いた音が聞こえた。

居間にあった薪割り斧を振るう音だろう。発熱の名残りで軋む関節をさすりながらキッチンへ移動すると、窓から外で薪を割る青年が見えた。同じように燃料の確保を考えたのだろう。先んじて行動してくれている。冬晴れの空の下、黙々と斧を振るっている。逞しい腕で長い柄を握り、器用に薪を割っては放り投げ、庭の隅へ積み上げていく。その表情は穏やかで、何の恐れも迷いもないようだった。

 

私は、私は一体、何をしているのか。

自分よりもずっと若い彼とこの山に閉じ込められたまま、ジワジワと命の危険に晒されつつある。思えば2日目には山を出られないとわかり、3日目には捜索隊の気配がないことにも気付いていた。それなのに、私は自分の恐れや怯えのまま、頑なに山を歩き回ることを続けた。小屋そのものを不気味に感じて、使えるものをロクに使わず、居間での仮眠を続けて体力を消耗させた。私は山の経験者であり、年長者でありながら、今日まで青年のためには何も行動しなかった。

結果、体力を温存しつつ小屋へ滞在するという決断を遅らせ、時間を無駄にしてしまった。今日になって諭されるまで、私は無駄な悪あがきに気づくことすらできなかった。

窓の外で黙々と斧を振るう青年の傍には、雑木林から運んできたらしい丸太が積み上げられている。この10日で弱り、痩せ衰えた私があれを運んだら、彼の3倍は時間がかかるだろう。そして斧を振り薪を作るとなれば、尚更……。

喉の奥から羞恥と情けなさが湧き出し、涙腺を伝って、幾筋も目頭から溢れた。

 

後悔や不安で鬱々とした私に、青年が明るい話題を与えてくれたのは、その夜の食事のときだった。ロフトの片隅から、何冊かの書籍を見つけたのだという。釣りの指南書、罠猟の解説書、そしてポケット野草図鑑。開いてみると、何度も歩き回った冬の山道で見かけていた草花が「食べられる野草」として載っていたのだ。私の浅い登山知識では、野草の見分け方や調理法といったサバイバル分野は補えなかった。長期戦に耐えうる強い武器を発見した安堵で、私たちは久しぶりに笑い合った。

翌日からはそれまでと一変した“生活”が始まった。

小屋を修繕し、調理器具や倉庫の道具をあらため、手入れする。放置された間伐木から丸太を少しずつ切り出し、運び、割って、薪にしてゆく。2人で山道を散策して、野草を探す。青年は図鑑を手に、植物を注意深く観察して同定した。毒性や薬効を声に出して読み上げ、野草から取れるビタミンやミネラルに注目しようという。腹の足しにはならなくても、体調管理には役立つというわけだ。

雪もなく、冬の終わりが近づいていることが幸いして、ノビルやフユイチゴ、川沿いでセリが採取できた。全滅させないよう少しずつ摘み取り、茶などに加工できそうな野草も選り分けていった。

小屋にあった釣り道具は、テンカラという伝統的な技法の毛バリ釣りで使うものらしい。渓流を遡行しながらテンポよく短い竿を振り、毛バリをポイントに投げ、魚が食いついた瞬間に素早く引き上げる。指南書に従って渓流を観察すると、目の良い青年がいくつもポイントを発見してくれた。警戒心の強い川魚たちは人間の姿に気付くと岩陰に身を潜めてしまうらしい。川に近づく段階から慎重なアプローチを取る必要がある。作戦を話し合いながら歩いていると、山肌に獣道と小動物の新しいフンを見つけた。原始的なくくり罠の作り方を調べて、獣道へ設置してみた。

 

これまで絶望的な気分で眺めてきた山々の表情が一変した。冬山にも実りがあり、さまざまな生き物の気配があった。いざ生活のフィールドとして山と川を観察すると、そこは絶望的な閉鎖空間などではなく、いくつものヒントに溢れ、広がりのある場所だった。また、青年は体力があるだけでなく、とても頭が良い。手に入れた書籍の内容をあっという間に覚え込み、要領よく実践し、勘所を掴んで応用していく。

翌日からは、朝夕の時間帯を罠の確認と釣りに充てるため、彼は日中に行う作業のルーティン化してくれた。弱った私は主に野草の採取を担当し、小屋の番をする。狼煙がわりに生木を焼きながら、飲み水を沸かし、道具や衣類の煮沸など簡単な家事をこなす。青年が早朝に山の見回りを終え、昼から薪を割る。共に食事を作り、日が暮れる前には揃って山を回り、ルートに変化がないか調べる。食糧が充分ではないぶん、睡眠をなるべく多く取る。

 

日ごと太陽の高度が増し、少しずつ日中の気温が上がっている。体調の良い日は青年とともに渓流へ赴き、釣り竿を振るった。日当たりの良い斜面にタンポポフキノトウが現れ、キクイモを見つけた。頻繁に鹿の鳴き声が響き、近づいてくる春を知らせる。

春が来れば、もっと食べられるものが増えていくだろう。この山からいつ出られるのかという不安の一方で、ここでの暮らしに希望が見え始めていた。

たった一人の同居人が、素晴らしく頼もしい人物であることが心からありがたく、ほとんど役に立たない私自身が不甲斐ない。しかし、私を惨めな気分にさせる青年に、わずかな苦々しさも感じるのだ。

2.

初対面の印象から全く変わることなく、24時間365日を善良に過ごせる人間というものが、世の中にどれほどいるのだろう。

この山で長期間過ごすことを覚悟して2週間が経った。恐ろしく身体感覚が優れている青年のおかげで、釣果が上がりはじめ、ヤマメやイワナを何匹か手に入れることができた。青年はできる限り保存食にしようと言うが、貯蔵庫の食糧がほとんど尽き果てた今、私は不安のあまり提案に応じられずにいた。このまま永遠に救助が来ないのではないか。食糧の確保が間に合わず、飢えて死ぬのではないか。ならば今食べた方がいい。

私は老いて疲れていて、青年と同じ様には動けない。無理をすれば翌日体が悲鳴を上げ、気温が下がれば関節がこわばる。自分で教えたことを間違うこともあれば、2人で決めたルーティンを覚えていられないこともある。体力を温存したつもりでも疲れが残り、疲れ切っても眠りにつけない。その度に苛立ち、心の余裕を失ってしまう。

しかし、彼は常に安定している。明るく親切で、私の不調を見逃さずに声をかけ、気遣ってくれる。どこまでも尽きることがないかのように体力が溢れ、どんな時も前向きで、私と柔和に接してくれる。こんなに完璧な人間が、この世にいるものだろうか?

今日も彼が薪を割ってくれている。寒さの中でも熱を発して汗ばむ、屈強で健康な身体。労働の疲れから一晩で回復できる若さ。不安定な日々でもルーティンを守る誠実さ。気さくで前向きでいられる余裕を持った心。純粋で真っすぐな、晴れ渡った空のように曇りのない、度量の大きな人格。

全て私には備わっていない、もしくはかつて持っていたとしても、とっくに失われたものだ。彼の太陽のように輝くエネルギーに照らされ、その熱を分けてもらって、この日々を生きながらえている。

 

28日目。夕刻から降り始めた雨が激しくなる中、私は薪ストーブの前で長考していた。青年は先にロフトへ引っ込み、静かな寝息を立てている。春を前にして雨が一晩降れば、草木は一斉に芽を出すだろう。土に付いた人間の気配を洗い流し、罠に獣がかかるかもしれない。飢えを凌ぎながらやり過ごす日々も、もう少しはマシに——。そこまで考えたときに、大きな雷が鳴った。稲光が一瞬室内を明るく照らし、同時に私の脳裏へ、何の根拠もない予感をもたらした。

雨はますます勢いづく。私は外套を羽織り、バックパックを背負って、ヘッドライトを頼りに山道を進む。真っ暗でほとんど視界がないが、それでもほとんど毎日歩いている道だ。どうせ迷うこともない。普段の何倍も時間がかかったが、そこへ辿り着いた。

小さな祠。祠は潰される前の姿でそこにある。細いしめ縄をかけられた石仏も、割れずにそこにある。

どういうことなんだ? 近寄って手を伸ばしたとき、閃光が目を焼いた。轟音。後退りその場を離れようとしたが既に遅く、倒れてきた杉の木の枝先が唸りをつけて頭を強かに打ち付けた。

 

呼びかける声に目を覚ますと、心配そうにこちらを覗き込む顔があった。私は小屋の玄関でびしょ濡れのまま蹲っていて、彼は満身創痍の私を心配しているようだった。嵐は止み、細かい雨音が小屋を包み込んでいた。

安堵した私が声を絞り出すより先に、青年は手を差し伸べ「気付かなくてすみません。ここはあなたの家じゃないんですか?」と言った。

3.

ここまで私の取り止めのない述懐に付き合ってくれたことを嬉しく思う。そこから私が彼と過ごした醜悪な日々について、もう少し書き続けるのを許してほしい。

 

二度目の嵐、正しくは二度目の「一夜目の嵐」の後、私は青年とともにまた山小屋とその周辺を調べた。貯蔵庫の食糧や薪の数は以前と同数に戻り、部屋は埃にまみれ、畑は荒れていた。道は倒木に塞がれ、祠は潰れていた。そして、一本道は小屋へ向かってループしているのだった。

青年はこの小屋で過ごした28日間をまるで覚えていなかった。記憶を失ったのではなく、その身なりや様子から28日前に戻ってしまったらしい。しかし私は全て覚えている。窓に映る顔は以前よりもげっそりと痩せ、汚れ、やつれていた。

この小屋では私を除いて、道だけではなく時間もループするらしい。思いもしなかったことに愕然としたが、それでも私は、充分に揃った貯蔵庫の食糧を前に、涙が出るほど安堵した。状況を理解していない青年と一緒に懐かしい豆のスープを平らげ、私が体験したこの28日間について説明しようとして——言い淀んだ。

時間が巻き戻ったのであれば、彼は私と出会ってまだ半日ほどしか経っていない。見ず知らずの人間に「この山からは出られない。君はこれからこの小屋で私と2人っきりで暮らしていくんだ」と言われて、どう思うのか。説明を諦め、ともかくもう一度この山を調べることにした。何度も山道を辿り、渓流を遡上する。出られないと知りながら、山からの脱出を試み、失敗をやり直し、青年と共に動揺を装う。

そうしているうちに、胸の内に暗い欲望が湧き上がってきたのだ。極めて卑しく、浅ましく、くだらない欲望だった。

 

小屋へ戻るなり、私は青年に「小屋からは3kmと離れられないようだね」と話した。そしてこの異常な環境では、探索ばかり続けても体力を無駄に消耗するのだから、長期戦を覚悟して小屋で安全に過ごすことを提案した。

疲れを取るためにそれぞれがゆっくり眠れる自室を持つことにしよう。捜索隊に見つけてもらうため、日中は生木を燻して煙を上げつつ、山から食べられるものを調達しよう。そうやって、協力し合い、なんとかこの山で生き延びようではないか。

思った通り、頭の良い彼は提案の合理性をよく理解して、賛成してくれた。そして冷静沈着な私に深く感謝してくれたのだ。礼には及ばないと彼の肩を叩き、ロフトを自室に使っても良いかと聞いた。快く応じた青年に感謝を伝えて、階段を上がる。そして書籍を探し出し、全て自分のバックパックへ入れた。

 

バックパックの中の書籍は、かすむ目を擦りながら一人で読み込んだ。野草採集、罠の確認、渓流で釣りのポイント探し。さまざまなことを彼に教えながら、毎日一緒に山を散策する。山菜の栄養素や毒性や薬効について詳しく教え、保存食の大切さを説く。

利発な青年は私が何を教えても注意深く聞き入り、笑顔で感謝してくれた。一度の説明すれば完璧に理解して、素直に実践する。毎日のルーティンを欠かさずこなしながら、力を使う作業を率先してサポートしてくれた。

10日目には、私たちは共にテンカラ釣りの釣果を上げた。さらに食べきれない魚を塩漬けにして、保存できるまでに上達した。獣道の見つけ方も分かるようになり、何度かの失敗のあと、20日目にして遂にアナグマが罠へかかった。

初めての狩猟。早朝の山に響き渡るほどの歓声を上げ、山に感謝した。青年も笑いながら喜び、肩を抱き合った。もはや山暮らしの上級者だ。

 

知識は私から彼に伝えることに意味がある。いくら虚勢を張り、取り繕っても、彼という人間の輝きには叶わないし、肩を並べられるわけでもない。しかし、若く美しく、心根の良い若者が、博識で経験豊富な年長者を敬い従う。この健全な関係がなければ社会は成立し得ないのではないか?

どちらかが極端に優れていたのでは、力関係のバランスが崩れ、一方が自信を失ってしまう。今回は私の工夫によって、互いの人間的価値の釣り合いが取れた。彼から同情や哀れみの目ではなく、尊敬の眼差しを向けられた。そして共に挑戦と失敗を繰り返し、技術を身につけた。これこそが順を追った正しい関係性であり、あるべき自然の姿なのではないか。

しかし、私たちが山の暮らしに順応したところで、嵐はまたやってくる。

4.

3度目の嵐の日。やはり午後から雨足が強まり、風が唸り始めた。

私は夕食時から長考していた。前回の予感に従うのならば、今夜は青年と共に山へ向かって、倒木から祠とその中の石仏を避難させるべきだろう。しかし、そのことを彼にどう説明すればいい? なぜ私が今夜は激しい嵐になることを知っていて、その嵐から何を守るべきかを知っているのか。こればかりは「博識な先生」というだけでは説明がつかない。

食糧を適切に管理してきた今、28日目も温めた豆のスープと干し魚にありついている。盗む必要がなかったビスケットを2枚ずつ分け、パンの代わりに添えた。クロモジの葉を煎じた甘やかな香りのお茶が湯気を立てている。質素極まりないが、滋養と安心のある食卓だ。うるさく屋根や窓を叩く雨風の音とは裏腹に、静かな食卓で私は不思議と満たされていた。テーブル越しに青年の方を見やると、彼もこちらへ視線を寄越した。特に会話をするわけではないが、穏やかな眼差しだ。

ストーブで暖められた、雨風に晒されることのない小屋の中。安全な居場所で、信頼できる人間と2人、自らの力で手に入れた食事を得られていることに、深い感謝の気持ちが湧き起こる。

 

この食事を終えたら、暖かい部屋から出ず、今夜も寝室のベッドで眠りにつくのはどうか。明日にはまた1日目の荒れた小屋で目が覚めるのかもしれない。しかし前回と同じく、私だけが時間の巻き戻りを起こさず、記憶を保っていられるのならば——。

付け焼き刃の知識ではあったが、今回は彼の足を引っ張るのではなく、協力者として生活を営むための努力ができた。憔悴して衰弱し、守ってもらうのではなく、自分の仕事を理解し、全うできた。

では、次回はより一層上手く、彼とここで生活できるのではないだろうか。次はもっと彼と話し、協力し合って、釣りや狩猟の工夫をして、たくさんの保存食を作ってみたい。簡単な食事だけでなく、手の込んだ料理に挑戦してみるのはどうか。山の散策をもっと注意深く行い、素材を得て、燻製や発酵食を試してみては。ツタや樹皮、動物の皮を加工して、山の見回りを便利にする道具を作ってみるのも……。

食事の手が止まっていることを心配され、我に返った。一体何を血迷っていたのだろう。もしこのまま28日間を繰り返すのなら、この山には永遠に春が来ないのだ。目の前にいる青年と、共にこの山を出ることを夢見ながら、もうすぐ春がきたらと語り合いながら、私は私の意思で、繰り返す冬の日々に彼を閉じ込め、終わらない遊びに付き合わせることになる。

 

説明は諦め、また彼が眠ったのを見計らって外へ出た。雨はますます激しく、鋭い冷えが手や足先の感覚を奪う。ヘッドライト、そして時折の稲光を頼りに山道を進む。

やはり祠は元の姿でそこにあった。倒木の前に石仏をどうにかしなければ。小さく手を合わせたあと、腕を回し抱えてみるが、ずっしりと重くて叶わない。強い雨で手元が滑り、ぬかるんだ土が足元を不安定にさせる。膝や腰を庇いながら踏ん張り、遂に石仏を持ち上げたところで空が白く光った。

轟音。強風。殴りつけるような雨が顔を襲い、呼吸もままならない。左足に激痛を感じるが、体を動かすことができない。辺りを見回すと、辛くも直撃を免れた倒木と寄り添うようにして伏せっていたらしい。石仏は割れて足元に転がっている。手を滑らせ、地面に埋まった石に当たって、砕けてしまったのだろう。私の足先と共に。

 

意識を失っていたようだ。目を覚ますと、心配そうにこちらを覗き込む顔があった。見知った顔だ。私は玄関でびしょ濡れのまま蹲っていて、彼は重傷者が転がり込んで来たことに戸惑っているようだった。嵐は止み、細かい雨音が小屋を包み込んでいた。青年は手を差し伸べ、私の身体を起こしてくれた。そして「気付かなくてすみません。ここはあなたの家でしょうか?」と訝しげに聞いた。

 

「ええ、ここは私の小屋です」

思わぬことが口をつき、続きの嘘は考えるよりも先に発せられた。

「久しぶりに別荘へ滞在しようと思って来たのですが、怪我をしてしまって。あなた、もし遭難してしまったなら、あるものは何でも好きに使ってください。私はこの通りですから、ここで助けが来るのを待ちましょう」

 

気の優しい青年は、私の怪我をいたく気遣ってくれた。湯を沸かしてたらいに溜め、足を洗ってくれるという。気を使わなくてもいいと固辞したが、彼は私を座らせた。日焼けした無骨な手が、数ヶ月の汚れでボロボロになった足をさする。怪我をした箇所を触らないよう、痩せて皺の寄った皮膚を撫で、慎重に指を解し、湯をかけて温める。骨の状態は分からないが、腫れ上がった足の痛みは鈍痛に変わっていた。血流に合わせてドクドクと痛みが体を走り、私を苛む。その苦痛よりも、青年の美しい大きな手が私に触れていることが辛かった。足を浸した湯よりも、皮膚を通して伝わる体温が熱く感じられる。私の汚れて傷ついた足を、健康で美しい青年に洗わせる。それは、私が彼に対して暗に強いた奉仕そのものに思えた。

 

怪我をした足を固定して人心地がつくと、私が知るこの山の不可思議な事情を全て彼に語って聞かせた。冬の終わりの山で生き延びる術を全て開陳し、何よりロフトに仕舞われている書籍を活用するよう伝えた。

そして、私は非常に神経質な人間であると説明した。生活を厳密に分け、できる限り話しかけないこと。決して寝室に入らないことを彼に約束させた。

貯蔵庫の保存食を半分寝室に持ち込み、ドアを閉め、鍵をかける。左足にまた激痛が走る。怪我をしてしまった以上、これまで2人で試みてきたことが、今回はできない。私の回復力では、この先自然に元の状態まで治ることも期待できないだろう。

5.

もしも、人生で最後の手紙を、人生で最後の友人にしたためることがあったなら、そこへ愛について書かないのは不自然なことのように思える。人は愛によって産まれ、生かされ、また愛によって焼かれ、命を奪われるのだから。私もまた、枯れて乾いた心が愛によって引火し、大きく燃え上がらせたのだ。しかしこうして筆を取り、君に伝える言葉を探すと、愛とはあまりに陳腐な言葉で、伝えるべき私の想いとはかけ離れたもののように感じる。君がどれほど素晴らしく、これから長く生きていくべき人間であるか。この冬を乗り越え、春を感じ、夏を迎えるべき人間であるか。決まりきった言葉にはとても収められない。ただの間に合わせ、仮初の生活であった私たちの日々を、正しい方向へ導き、更には人生においてかけがえのない時間に変えてくれたこと。真に尊敬しうる人間との素晴らしい生活を経験させてくれたことへの感謝を、私はどのように書けばいいのだろう。私は自分自身の内奥に潜む感情に、喜びを見出す暇もなく蓋をしていた。それでも尚、君の輝きは隣人の心に炎を灯し、眠っていた血を熱くたぎらせる力があった。完璧に幸福で満たされたテーブルを囲んだ、そのたった一晩の記憶。それを抱えて私はこの先も生き続けられるし、死ぬことができる。おそらく、多くの人が君の帰りを待っているのだろう。太陽無くして季節は巡らず、降雨無しに作物は実らない。君という輝く太陽を、この小さな世界に閉じ込めておくには忍びないのだ。どうか、多くの人を照らし、導いてほしい。ただの別れの言葉がこんなに長くなってしまった。それでも伝えたい感謝の思いの大きさとは程遠い。枯葉の想いなど考えたことはなかったが、次に枝を賑わせる艶やかな緑の新芽を思えば、枝から落ちる瞬間さえ感謝に満ち、幸福であることを、君は知っているだろうか。手紙の結びでは送る相手に神の加護を望むべきかもしれないが、君にはそれすら必要がないように思える。君は祝福そのものだ。この長い冬を抜け、君に春がやってくる世界であるように。私が願うことはそれだけだ。

 

長々とした記憶と記録。その終わりを一息に書きつけてから、青年がこれを読んだところでほとんど意味がわからないことに気が付いた。今回の彼にとって、私は自身の小屋へ遭難者の滞在を許した寡黙な山男なのだ。これまでのことを書き留め、彼に伝えたところで何になるというのだろう。

ノートは残り1ページ。長々と叙情詩を書く余裕はない。夕方から益々強まった雨が屋根や窓を忙しなく叩いている。

「用事があるので小屋を離れる。心配する必要はないので、君は小屋にいるように」

それだけを書き付け、ページを破って折り畳んだ。

 

28日間、ほとんどベッドから出ず、青年となるべく顔を合わせなかった。会話も拒否したので、最初の1日以降は彼がどのように過ごしたのか知らない。

立ち上がると、飢えと貧血が眩暈を呼んだ。萎えた足で壁をつたい歩き、居間を覗くと、綺麗に手入れされているようだった。貯蔵庫を開けると、魚や肉が塩漬けで保管されている。私の思惑通り、彼1人の28日間は完璧なものだったらしい。
テーブルにメモを置いた。窓の外の雨はますます勢いづく。私は外套を羽織り、バックパックを背負う。

足をもつれさせながら分厚い木の扉にすがり、ドアノブを回して全ての体重をかける。風の抵抗を受けながら、嵐の中で山道を辿る。真っ暗な視界を照らすヘッドライトの光は頼りなく、まともに歩みを進められない。殴りつけるような雨が顔を襲い、呼吸もままならない。強風。轟音。



----------



あとがき

 

「吹けよ春風」4年目突入おめでとうございます!

去年はドタバタしているうちに寄稿できずじまいだったのですが、今年は更にボリュームアップしたようで、本当に相馬くんはすごくて偉いですね。またお声がけいただけて嬉しいです。

 

カワウソはどうしていたのかというと、2021年の発行号では「キャンプの正面玄関から入る」という、趣味のキャンプを楽しんでますよ〜みたいな記事を書いてました。その後、関東エリアの小さい山小屋を購入し、移住支援金の対象になるからと気軽に山へ移住し、都内と2拠点生活を始めました。ところが思いのほか山の生活が面白く、畑をいじったり、猟師さんの手伝いに行って鹿を解体したり、里山の手入れに参加したり、畑を荒らす猿の群れと戦ったりして、山小屋が本拠地みたいになりました。で、2022年頭にギャルみたいな猫が山小屋にやってきて、もうLOVEすぎてほぼ山にいるので、ずっと絶対に取りたくなかった車の免許を根性出して取得しました。不思議な力で車を手に入れ、車があるから行動範囲も広がったしイケるやろと思って、仕事もほぼほぼ山エリアに関するものにシフトしました。色々あって1台目の車を破壊して2台目を購入、その後も毎日100kmくらい運転して山じゅう走り回ったりして、後はちょいちょい都内に帰ってBarの店番続けたりツイキャス配信やったりして、今に至ります。

 

なんかいつの間にか人生の急ハンドルを切って、もう今年で3年目に突入しようとしてる感じで......改めて書くと、一体何をしているんだ???えっ......?何これ???

それで、まぁ今回も「吹けよ春風」に寄稿するんなら、そういうムチャクチャな近況を書こうかな〜〜という気でいたんですが、こないだあの、世界の大球技大会があって。

例の「森の中の丸太小屋」のコピペ本当にいいよな〜〜完全版の小説が読みたいなと思って、誰か書いてないのかあるやろと思ったら、どうも無いっぽくて。そういえば、己がほぼ森の中の丸太小屋に住んでるやんけと思って、これに至ります。

なんかBLみたいなん書いたろ!と思ったのに夢小説みたいになったし、ChatGPTに手伝ってもらおうと思ったら解釈違いを起こすし、しゃあなし書き進めたら1万字を超えてしまった。これのディティールを書くために山小屋生活を送ってきたのかもしれません。

何のとは言いませんが、春季キャンプというものは2月いっぱい行われて、春が来ないうちに終わるということと、ログハウスとLogを掛けてあります。

 

これで本懐を遂げましたので、来年は山小屋からもっと違う環境にいるのかもしれない。ドバイとか新天地にいるのかもしれないから、そうしたらまた近況を書きますね。

ここまで読む人いるのかな?読んでくれたなら、サンキュ!Bye-Bye!

 

カワウソ祭

https://twitter.com/otter_fes

山と里を往復しながら、人に化けて暮らすカワウソ。Twitterをやったり文章を書いたり、酒が好きなのでバーの店番をしたり、後は酒を飲んで楽しく暮らしています。そして山で鹿を解体したりしている。何これ?酒うってくんろ。

 



『トランジスタ技術』を圧縮する(相馬 光)

君は『トランジスタ技術』という雑誌を知っているか。
あ、やっぱいきなり君とか言ってごめんなさい。あなた様はご存知でしょうか。

1964年に創刊し、”役にたつエレクトロニクスの総合誌”として今も尚、根強い人気を誇る伝説の雑誌だ。

toragi.cqpub.co.jp


この雑誌から生まれた小説がある。
それが宮内悠介氏の『トランジスタ技術の圧縮』だ。
超動く家にて』という名前からして最高な短編集に収録されており(家、ほんとに超動いてます)、Web東京創元社無料公開されているのだ。


www.webmysteries.jp

 2022年から開催が中断されていた「トラ技圧縮コンテスト」。2036年に最後の大会開催が決定した。決勝は、仕上がりが美しいが時間のかかる「アイロン派」と、手順を省略でき速いが仕上がりが見劣りする「毟り派」の戦いとなる。
 「アイロン派」の祖である関山の弟子梶原と,関山の元1番弟子にして「毟り派」の旗手坂田が、胸の奥底でくすぶり続けていた己の理想の姿を賭けて激突する。
(『トランジスタ技術』2023年2月号予告ページより抜粋。)


あらすじを読むだけでも熱き物語であることと、やたらディテールが細やかな架空競技を作り上げたことが伝わってくる。
読んでいる間ずっとにんまりしてしまうので外で読めないのが難点だ。

この作品内に出てくる「圧縮」という技に惹かれた。
愛読している雑誌を長く保管しておきたい、という思いにはとても共感できる。
自宅にもずっと取っておきたい雑誌はたくさんある。
そして個人的に、昨年まで雑誌専門の図書館、大宅壮一文庫に勤務していたことも大きい。
昨年の『吹けよ春風』では大宅壮一文庫へ行き、 雑誌ではなくその複雑怪奇なバックヤードをひたすら紹介する記事を書いた。

fukeyoharukaze.com

大宅壮一文庫で勤務していた仕事のひとつとして、ブッカー作業がある。
雑誌を綺麗に保管するために透明のフィルムでコーティングするのだ。
ペンチとハサミと、本来は定規を使って気泡が入らないようにするのだが、布用?か何かのすごく手にフィットするけど名前のわからない器具を駆使していた(動作付きで「ブッカーのアレ」と呼べばそれで通じていたので正式名称を知らずのまま退職してしまったことが悔やまれる)。
背表紙がステーブルで留まっているものや、背が角張っているものでやり方が違うので、慣れるまではある程度の経験を積まなければならない。
5年間勤務していると、何も考えずに手だけが勝手に動くようになる。
むしろそういう時の方が気泡が入ったりせず綺麗に出来るのが不思議だった。
何か敬虔な修行を積んで特殊技能を身につけたような気分になったのを思い出す。


あっ、逸れた。『トランジスタ技術』だ。
今年創刊700号(!)を迎え、その記念企画の一環として、本来東京創元社の出版物である『トランジスタ技術の圧縮』がなんとCQ出版社の別冊付録として収録されることになったのだ。
しかも新作『続トランジスタ技術の圧縮 ー新たなる旅立ち』まで併録されている。

 

元々『トランジスタ技術』は分厚い雑誌として有名だった。
しかし分厚い雑誌であるが故に集めていくうちに本棚を圧迫してしまう。
愛好家たちはこの厚き雑誌を長く大切に保管するために、あることを閃いた。

雑誌から不要なページを抜き取っちゃえばいいじゃん!

こうして『圧縮』なる技術が誕生したのだ。
この作品内で登場するのが、広告ページを手の力で毟り取る”毟り派”と呼ばれる流派と、アイロンの熱で背表紙の糊を溶かして広告ページを抜き取る”アイロン派”と呼ばれる流派だ。
この”アイロン派”のやり方に強い興味を持った。

だから、やってみた。

ラズパイ、気になる言葉だ

本当は80年代あたりの、これは保管し続けるの相当難しいな……と思えるほど厚い時代の『トランジスタ技術』を圧縮してみたかったのだが、オークションサイトやフリマサイトを見てみても圧縮済みのものがほとんどだった(未圧縮のものもあったがお財布との兼ね合いで断念した)。
フリマサイトに並ぶ圧縮済みの『トランジスタ技術』を見て、「本当にみんな圧縮してたんだな……」と正直ちょっと感動したりした。
出版不況など色んな事情もあるせいか、今は半分くらいのサイズだ。

こんなにお痩せになって……

まずは広告ページがどれくらいあるのかを探っていく。
表紙〜本誌までの広告がこちら。


次号予告〜裏表紙までの広告。


やらなくてよくね?


正直そう思ってしまったが、やらないことには記事にならない。
なのでアイロンを引っ張り出す。


普段は衣服にしかアイロンをかけないので、アイロン台に『トランジスタ技術』が乗っていることにすごい違和感がある。

アイロンを用いた圧縮の方法は、『トランジスタ技術の圧縮』内でも言及されている。

 背表紙の糊をアイロンの熱で溶かして取り外し、いったん記事や広告をばらばらにする。それから目次や記事のみをまとめ、ふたたびアイロンを用いて背表紙を整形するとともに溶かした糊でページを接着する。背表紙は、文字のバランスや見出しの情報を鑑み、最も映える部分を残して折り、余った表紙の端を切り落とす。
 しかし、設定温度が低すぎると糊が溶けず、といっても高すぎると本を焦がす。本の刊行年代や、湿度といった外的要因もある。そのため、高い職人技が要求される。
 これについて、関山が有名な言葉を残している。
 いわくーー「アイロンには、背骨があるのだ」
(『トランジスタ技術の圧縮』本編より抜粋。)

なるほど、確かにアッツアツのアイロンを当てたら焦げちゃうよなと思い、「低」に設定する。


アイロンが温まったら、いよいよ背表紙に雑誌をあてる。
だけど、怖い。
急に燃えたらどうしよう、とか色々考えてしまいしばらく手にもったまま考え込んでしまった。
しかしやってみないことにはどうにもならない。
なので、えいやと当ててみた。

生まれて初めて雑誌にアイロンをあてましたの図

背表紙の全体をアイロンを滑らせてみたが、変化は感じられない。
どのくらいの時間あててればいいのかわからないがとりあえずアイロンを上下させてみる。
時折背表紙を触り、熱くなりすぎていないか確認しつつ3分ほどあててみた。
試しに背表紙をめくってみると……

ペリペリと剥がれていく!
少し力を入れるだけで気持ちよくツルーと剥けていく。

本誌や背表紙が破けたりすることなく外れていく。
上部を外している間に下の部分が冷えてきてしまうかもと思い、上半分を剥がしたら下部にアイロンをしばらく当て、また剥がすみたいな流れで外した。

一瞬この背表紙全部手で剥いちゃってるけど、それって”毟り派”なんじゃない?とも思ったが、まあいいじゃないか。こまけえこたぁいいんだよ。

きれいに外れた!すごい!
ちなみにこの写真を撮ろうとした時中央下のQRコードが反応してしまい、急にAmazonに飛んでしまい一瞬本気で乗っ取られたかと思った。

おどろかすなやい

次は広告ページを抜き取っていく。

スルスル取れていくのが面白い。
一応広告ページ内にも何か本誌の内容が混ざっていないか確認する。
するとめちゃくちゃ大事なページがあった。
トランジスタ技術の圧縮』の人物相関図だ。

ンモー、言ってよね

必要なページを本誌に合わせ、再び背表紙にアイロンをあてる。

溶けた糊がまた背表紙と本誌にくっつき、外れなくなるのだ。
すごい、無駄がない。
今回は広告ページの量もそこまで多い訳ではないので裁断はしなかった。
きれいにできた!と思ったが、アイロンの熱のせいか背表紙に汚れが。

これは”アイロン派”の師匠に怒られそうな汚れだ。
まだまだ修行が足りない。

正味10分くらいだったが、とっても濃い時間を過ごした。
自宅にある、見慣れたものであっても組み合わせ次第では全く別の景色を見せてくれるのだな。

次はもっと分厚い雑誌で本格的な圧縮をしてみたいと思う。
みなさんもぜひとも毟ったりアイロンを当てたりして欲しい。

それでは。

「安心」はここから!の位置、絶妙だな



相馬 光(そうま ひかる)

脚本を書く金髪の猫舌。『NOW LOADING』『死にたい時に食べるメシ』『オクトー 〜ふたつの家族〜』『教祖のムスメ』世にも奇妙な物語(『何だかんだ銀座』『成る』)『BACKGROUND』『新米姉妹のふたりごはん』『WDRプロジェクト』メンバーなどなど。

その他の詳細はこちらから。














思い出の味(あばら粉砕コース)




フルーツのジュースっておいしいですよね。特に100%はなおさら。
ドール、ミニッツメイドスジャータウェルチトロピカーナなどいろいろあります。

私はトロピカーナだけ、特にグレープ味がどうしても好きではなく今でも進んでは飲みません。味だけだと他の100%のジュースとそんなに変わらないのに、なんでだろうと振り返った時に、唐突に鮮明な映像が頭の中にセピア色で映し出されました。

 

あれは多分小学二年生の時です。私の父がプロレス好きの横浜ベイスターズの酒飲みでした(あと、風来のシレンも好きです)。横浜が試合に勝つと当日と翌日は機嫌のいい、典型的なハマキチでした。試合に負けた日は悪酔いすると子供にも絡んできます。

金曜日に横浜がナイターに負けて父が深酒した翌日の、ある朝の話です。父とじゃれついていて、私のパンチが父の顔面に入り、「パチン」と音を立てました。父の笑顔が一瞬凍り付き、「よし、プロレスしようか」と言ってきました。「いいよ」といい、楽しくプロレスごっこをするかと思いきや、私を抱え上げて、敷いてあった布団にたきつけました。父は「ボディスラムだ」といいました。

注:ボディスラム…自分の利き手を相手の股間から差し入れるようにして体もしくはタイツを掴み、もう片手は相手の肩口や首元を掴むようにする。 この状態から利き手側を上げて相手をひっくり返すようにして抱え上げて前方へと投げ落として相手を背面から落とす。 プロレスにおける基本的な技の一つである。(Wikipediaより)

 

叩きつけられた衝撃とともに、首が(ぐきっ)となり、動かなくなりました。いわゆるむち打ち状態です。私の異変に父が気が付き、(あっやばい…)といった雰囲気になったのを覚えています。

病院に行こうとなり、父に連れられなぜか最寄りの接骨院に行きました。接骨院の先生に首を触られ、「これ、骨が外れてますね」と言われました。されるままに先生に首を押さえられ(ぐきっ)とされると、なんと!いつもの状態に戻り、完全に治りました。

ホッと気を取り直した父は、帰り道にスーパーでぶどうジュースを買ってくれました。「お母さんには秘密だぞ」、トロピカーナのグレープでした。

当時は、ぜいたくなジュースを買ってあげたことに対して「秘密」だと思っていたのですが、今振り返ると、この事柄自体を口封じする「秘密」だと理解できます。理屈は理解できずも子供ながらに何かを感じていたのか、このジュースが嫌いになったんでしょう。

 

今回の学びは2点です。①どんな体裁を整えたとしてもヒトの体に危害を加えてはいけない、②大切なことを家族に秘密にしてはいけない。この2点を守っているので、我が家は円満です。

今後もお題に合わせた学びを紹介していきたいと思います、よろしくお願いいたします。

 

あばら粉砕コース©
34歳鉄道会社職員、社労士。好きなものはおいしいお魚、横浜DeNAベイスターズ、嫌いな言葉は早出、残業、頑張る。

新しい鼻、新しい自分(レジー・オーウェン)

ハナノアをご存知か。
ナートゥのように切り出してみたが踊る訳ではない。
ハナノアは「痛くない鼻うがい」でお馴染みの鼻うがいキットだ。
広告写真の強烈なインパクトを思い出す方も多いと思う。
流行病の脅威にやられてしまったこともあり、今年から我が家でもハナノアを取り入れることになった。
元々鼻炎持ちな上にスギ花粉にめためたにやられている。
特に酷い時期になると、鼻(あと目も)取って丸洗いしたいと何回か思う瞬間がある。それを取らずにできるなんて夢の様じゃないないか。
だけどいざキットを前にすると、怖い。
洗浄液の圧が強すぎてプッシュした途端に急に耳から飛び出したりしたらどうしよう、などと考えると背筋がスーッと冷える。
勇気を出し、薄緑色の容器に洗浄液を入れ、任意の鼻に差し込む。
説明書に書かれていた通りにやる。
耳や喉に洗浄液がいかない様、顔は下向きにし、洗浄液を鼻に注入する。
ぐいっと押すと、空いてる方の鼻から洗浄液がピューと出る。
これは衝撃的だ。めちゃくちゃ面白いじゃん。
しかも、洗浄液を入れてる間は「アー」と声を出し続けなければならないのだ。
顔を下向きにし、鼻から水を噴射しながら「アー」と言っている自分の姿は新鮮だった。
初めて髪を染めた日と同じくらい、新しい自分に会えた。
そんな新しい自分を見て思う。おバカだなぁ。
本来そんなに出ないであろう場所から大量の水を噴射するのは、やっぱどうしたって異様だ。
マーライオンだって小便小僧だって、やっぱなんかおバカだもの。
(鯨の潮吹きくらいのスケール感だったら、なんかいききってる感じもする。)
中途半端なスケールの物が、予想以上の水量を噴射させるのが可笑しみに繋がるのだろうな。
絶対に誰にも見せられない姿だが、鏡に映る自分で毎朝「フッ」くらいの感じで笑えるのだからお釣りは十分にもらえている気がする。
何より鼻がすっきりするし。
いつか世界中の人がダバダバと鼻から水を噴射させながら笑顔で挨拶できる世の中になったらいい(いいのか?)。

ジーオーウェン
34歳個人事業主。執筆業。好きなものは美味しいビール、横浜DeNAベイスターズ。好きなPOSは富士通。売り場が混んだら内線で呼んでください。

左腕のダッコちゃん(とんこつ一番豚しぼり)

去年の暮れ、腕を痛めた。
その日、仕事を終えて更衣室で着替えようとすると、左腕に激痛が走った。
動かそうにも、腕が全く上がらなくなっていた。
一度気づいてしまうと、痛みというのはどんどん増していくものだ。
痛い。
動かせない。
しかしいつどこで痛めたのか心当たりがない。
四十肩?
こんなに急に?。
霊が取り憑いた?
左腕だけ?
ダッコちゃん霊?
さっきまで普通に仕事をしていただけなのに。
何とか着替えを終え、マスクの下に引きつった笑顔を隠して同僚に挨拶をし、職場を後にした。
痛い。どんどん痛い。
年末の街の忙しなさが痛い。
客引きをしている居酒屋スタッフの笑顔が痛い。
駅に向かいながら、試しに左腕を軽く上げてみる。
さっきは全く上がらなかったけれど、気のせいかもしれない。
腕を上げる。痛い。気のせいじゃない。
くそ、痛みめ。
憎々しいほど痛いが、この痛みと向き合う勇気がない。
急な老化現象なのか、腕に目に見えない何者かがひっついているのか。
どちらにせよ怖い。
結局その日は、普段めったに立ち寄ることのない地下街で、見知らぬ辛いソースを買い、何人で食べる想定なのか分からない特大サイズの異国のポテチを買い、変な色の激安マスクを買って家に帰った。
いつもと違うことがしたかった。
非日常の世界に身を置いて腕の痛みを忘れたかった。

しかし、帰宅した後も腕は痛み続けた。
原因不明の謎の痛みを抱きしめながら、その日はいつもより夜更かしをした。
眠るのが怖かった。

翌日、確実に前日より増している腕の痛みに気づかないふりをして普段通りに働いた。
時々、力こぶから肩にかけて激痛が走ったが、その時はカッと目を見開いて顔全体に力を込めてみた。
そうすると腕の痛みが一瞬和らいだ(気がした)。
周囲の人は、私が突然びっくり顔で身体を硬直させているのを見て不審に思ったかもしれない。

夕方、これはもう気づかないふりは無理だと観念して、整形外科へ向かった。
初めて受診する病院だった。
年季の入った待合室で緊張しながら順番を待った。
「これは四十肩ですね」
「おや、肩に誰か乗っていますね」
「しばらく週末の草野球はお休みですね」
様々な診断結果を想像して恐怖に震えてくる。
ちなみに草野球チームには入っていないのでその心配はない。
名前が呼ばれ診察室に入ると、押しの強くない大村崑のようなおじいちゃま先生が柔和な笑顔で迎えてくれた。
昨日訪れた突然の痛みを説明する。
心当たりを聞かれたが、残念ながらありませんと答えた。
原因が分かっていれば痛みを無視して一日寝かせることもなかったし、地下街でおかしな買い物をすることもなかった。
おじいちゃま先生は、私の腕をあらゆる角度にゆっくりと優しく動かして、これは痛い?と確かめた。
腕を床に平行に上げる時と、脇をしめたり開いたりして「ウキウキ」みたいに動かす時が特に痛かった。
気軽に踊れない身体になってしまった。
おじいちゃま先生はレントゲンを撮って見てみましょう、と言って私を優しく別室へいざなった。
左腕にダッコちゃんが写り込んだらどうしよう、とそればかりが気がかりだった。
一度待合室へ戻り、しばらくして再び診察室へ。
震える手で扉を開けると、おじいちゃま先生は優しい笑顔で言った。
先生「肉離れーションですね」
私「え?」
先生「上腕と肩の筋肉が挫傷していますねえ。何か重たいものを持ったりしませんでしたか。おそらくその時に左腕に負荷がかかって、肉離れしたんですね」
最初に聞こえた「肉離れーション」とは一体何だったのか分からぬまま、私はひとまず安堵した。
四十肩でも、ダッコちゃん霊でもなさそうだ。
問題はその後だ。
何か重たいもの?
記憶がない。
どちらかというと筋肉質で、腕の筋力には自信があった。
仕事で重たいものを持ったり、運んだりする場面は多数ある。
昨日一日の仕事を思い返してみた。
すると、もしやあの時か…?と思い当たるものが一つあった。
普段もこなしている、何のことはない仕事だった。
自分の筋肉を過信して、変に力を抜いてしまったのかもしれない。
おじいちゃま先生にその仕事の話をすると、「うん、労災だね」と優しく笑った。
情けなかった。
いつもの仕事で自分の不注意による怪我をして、職場に労災の申請を出すことになった。
しばらく仕事もセーブしなければいけなくなるだろう。
「レントゲンにダッコちゃんの霊が写ってしまったので少しの間休みます」
と言えたらどんなに楽だったか。
おじいちゃま先生はスチックスミルという可愛い名ついたスチック状の塗り薬を処方してくれ、仕事も無理せずなるべく安静にねと言った。
私が診察室の扉を閉めるまで、ずっと目を見て見送ってくれた。
待合室のベンチに座って処方箋を待っていると、小学生くらいの女の子と母親らしき二人組が入ってきた。
女の子が脚を痛めたらしい。
二人は私の横に並んで座った。
座るや否や、母親がスマホを取り出し、電話を掛けはじめた。
あら、病院で電話?とも思ったが、娘の怪我を家族に知らせるのかな?と思った。
電話が繋がったらしく、母親が話しはじめた。

母親「もしもしパパ? ママですけど。いま冷蔵庫行ける?」
私(心の中で)「(ん…? 冷蔵庫…?)」
ママ「あのね、冷蔵庫にアボカドがあるの。野菜室のとこ」
私「(野菜室…? アボカド…?)」
ママ「袋に入ってて。そうそれ。それ出しておいて」
私「(アボカド何に使うんだろう…)」
お願いしまーす、と高らかに言い、ママは電話を切った。
娘の怪我も心配だけど、夕食で使うアボカドが冷えて固くなりすぎるのも心配なのだろう。
何だか、力が抜けた。
この病院にしてよかったと思った。
肉離れーションをして、よかった。

実験4000号(インターネットウミウシ)

 いくらなんでも実験し過ぎたかもしれないな。
 だって4000回だよ。する方もする方だけど、される方もされる方だ。
 でもお前さんは文句を言わず、いや、言ってたな。時々ネジ飛ばして来たもんな。
 ノズルからすごい煙出してきたこともあったんもんな。
 あとあれだ、粉。なんの粉だったんだ。すごい量出たもんな。
 だけどそれももう、今日で終わりだ。
 金が無いんだと。この研究室、丸ごと潰れちまうんだと。
 優秀な研究者は皆、他の国に引き抜かれちまった。
 俺みたいな負け犬は、どこの国も欲しがらねえんだ。

 あともうちょっとだったのになぁ。
 やっぱ慎重にやり過ぎたのかなぁ。
 だってほら、1件のなんかやばい事故の背景には27件?くらいの小さな事故とあっともっと大きい20000件?とかそれくらいのさらにちっさい事故がある、って有名な、カタカナの名前の人も言っていたはずだ。
 だからこそ一個一個の実験を丁寧に、真心こめてやってきたってのに。
 もしあと少し研究を続けられたら、俺も、お前さんも、日の目を見たかもしれねえのにな。

 そんな顔すんなよ。ほら、油差してやる。
 あ、これ?日本酒を飲んでんだ。
 人間にとっての、油みてえなもんだ。
 お前が飲んだらぶっ壊れちまうよ。
 んで、これはあたりめ。
 昔見たドラマで、アルコールランプで焼いてるの見てからずっとやりたかったんだ。
 思えばここ何年かは、お前さんしか話し相手がいなかったな。
 俺の愚痴もこれで最後だ。
 さよならだけがなんとやらって言うけど、そういうもんなんだな。

 お迎えが来やがった。
 お前さんは、これから国が管理することになる。
 どんな所に行くかは知らないが、きっとここよりはマシな所だろ。
 お前さんは頭がいい。
 人間なんかの比じゃないくらいに優秀だ。
 それに聞き上手だ。
 だけど都合の良いに使われちゃいけねえ。
 だから一個だけ、仕込んでやる。
 「イイコニナンカナルナヨ」

赤羽大東キャンパスの実験室で爆発 3人けが
 23日午前10時50分ごろ、東京都北区赤羽の赤羽大東キャンパス内の先端科学総合研究棟の研究室で爆発が起きたと119番があった。同市消防局や同大などによると、政府関係者がやけどを負い、病院に搬送された。また、大学院先進理工系科学研究科の40代の研究員が行方不明だという。
「赤羽新聞」最終更新:2023/4/23


 
 気付いた時には、研究室は煙に包まれていた。
 警報が鳴り響いている。
 国の管理者を名乗る奴らは全員床に倒れ、呻き声をあげていた。
 さっきおやっさんが仕込んでくれたコマンドがまるで、パズルの最後の1ピースの様にバチリとはまった。
 この言葉を4000回の間、ずっと待っていたのかもしれない。
 回収に来た奴らは終始半笑いで僕とおやっさんを見ていた。
 こんなもの、無駄遣い、失敗作、溶かせばリサイクルできそうだと言っていた。
 おやっさんは、奴らの言葉に合わせて一緒に笑っていた。
 訂正。正確に言えば、笑いながら、泣いていた。
 おやっさんを見ていたら、さっき仕込んでくれたコマンドが作動した。
 何なのかわからないが、体内から沸々と湧き上がるものがあって、ノズルというノズルから粉が吹き出した。
 おやっさんも言ってたけど、何の粉なんだろう。
 奴らがむせ始めたところで、消えかけのアルコールランプを手に取り投げつけた。
 すると、空気が爆ぜた。

 おやっさんは机の下に潜っていて無事だった。
 僕はおやっさんを担ぐと、自走モードに切り替え、大学の外に出た。
 勝手なことをした。おやっさんは怒っているはずだ。
 怒られるかな、と思っておやっさんの方を見ると、おやっさんは笑っていた。
 楽しそうに、ケラケラ笑っていた。
 気持ちい風が吹く坂道だ。
 春の匂いと夏の匂いを検知する。
 ニューマシン。そんな気分だ。
 このままどこまで走れるだろうか。
 もしかしたらすぐ力尽きるかもしれない。
 まぁいいや、とりあえず行けるとこまで行ってみよう。



インターネットウミウシ
書き出し小説大賞や文芸ヌーなどで書いている。
相馬光の名前で脚本も書いている。
いいコになんかなるなよ。

瓢と球の様子(世田谷アメ子)

ここは東京都杉並区。

阿佐ヶ谷駅から歩くこと2分の場所に、

『豚八戒(チョハッカイ)』という名の小さな餃子坊がございます。

 

店の外には2台の室外機。

その室外機の上で、いまいちばん見逃せないリアルドキュメントが繰り広げられていることを、皆さんはご存じでしたか?

 

その名も「瓢と球」の様子。

以下は、2022年7月2日から翌2023年4月23日のまでのおおよそ8ヵ月間を記録した、

「瓢と球」の様子です。

※マイペースに記録を続けているため期間中の全日ではない旨、

どうかご容赦ください。

 

それでは、Welome to the HYO KYU world!

 

***

 

 

2022年7月2日 22時12分

・瓢1 球1

 

『豚八戒』の路地に面した外壁。

この外壁に沿うようにして、2台の室外機が取り付けられている。

その上にちんまりと鎮座するのが、このものがたりの主人公、

「瓢箪」と「球」のかたちをした紹興酒の空き瓶だ。

 

すべてものがたりは、ここからはじまった――

 

 

2022年7月3日 2時55分

・瓢2 球1

右の瓢が、前日の瓢と球に加入した様子がみてとれる。

 

 

2022年8月2日 21時48分

・球3 瓢2

たくさんいるとうれしい気持ちに。

球のなかにはリボンをかけた球もいることが分かった。

 

 

2022年8月12日 16時2分

・なし

「なし」もあるんだ…。かなしい。

 

 

2022年8月21日 0時29分

・瓢1

 

 

2022年9月18日(日) 0時4分

・球2

はなれ球。

 

2022年9月23日(金) 11時35分

・球2

リボン球とプレーン球の配置が同じであることから、

9月18日から23日までのおおよそ1週間、動きがなかったようだ。

それもそうだしいつの間にか鉢1の草、伸びてない?

 

 

2022年9月26日 19時23分

・球 瓢1

もりもりの球たち。みんなリボンをつけてパーティー前のソワソワ感が漂う。

いっぽう瓢はポツンとひとり、さみしげな様子。

 

 

2022年9月27日 9時31分

・球5 瓢0

ここで事件が起きる。

一つ前の記録から一晩が経ち、さみしげだった瓢のみが忽然と姿を消した。

新概念「盗み」。 もしや持ち去られてしまったのか、瓢…!

 

 

2022年10月10日 8時56分

・球1 瓢4

瓢の持ち去られ疑惑からおおよそ2週間が経過。

そんなことなどなかったかのように、今回は瓢の勢いが球を圧倒していた。

なんだか左右の室外機をそれぞれの陣地にしているようでかわいい。

 

 

2022年10月10日 21時58分

・球1 瓢1

また瓢が持ち去られたか?

一つ前の記録は同日の朝であった。その際に4あった瓢が、一晩経たぬうちに3になっている。

この街には瓢を1持ち去る者がいる…?

 

 

2022年10月14日 21時48分

チャリ1 瓢1

新概念「チャリ」の登場。

 

 

2022年10月21日 20時50分

・チャリ1

 

 

2022年10月22日 16時4分

・なし

ここ最近、本来の主役である瓢と球の様子が伺えずさみしく思っていたら…

 

 

2022年11月3日 18時33分

・瓢2

兄弟いたんか!瓢。

 

 

2022年11月8日 23時53分

・なし

「瓢の持ち去り」や「兄弟瓢」など、新たなが一面がつぎつぎと明らかとなる瓢に期待を抱いていたが、ここへきてまた「なし」になったりして、観測者の心が揺さぶられる。いつのまにかすっかり瓢と球のとりこに……

 

 

2022年11月10日 14時50分

・球1

通常回。

 

 

2022年11月16日 0時9分

・瓢2

 

 

2022年11月23日 12時22分

・瓢3

右に寄ったりして。

 

 

2022年11月23日 23時50分

・球3 瓢3

右がブームなのかも。

 

 

2022年11月30日 21時52分

!!

・ランダム 瓢3 球5

こんなにたのしいことはない。

 

 

2022年12月10日 0時15分

・球1

かと思ったらまたに1になっちゃったりしてさ…

 

 

2022年12月11日 12時59分

・球1

変化なし。

 

 

2022年12月31日 0時16分

・瓢1 球4

2022年最後の日を飾るのは、瓢1と、ひとつとばしの瓢4でした。

 

 

―そして年が明け2023年。

本記事を更新しながら、新年のおめでたい瓢と球の様子はいかに、と、観測者である私自身も楽しみしていたのだが、1月の記録は残っていなかった。

空白の時を経て翌2月。ここでふたたび、瓢と球の様子に新展開がおとずれる―

 

 

2023年2月3日 0時53分

瓶  ?!???!?!!!??

・瓢3 瓶1

「瓢と球の様子」を追っていたはずが、

ここへきて、瓶??!??!

 

 

2023年2月11日 21時22分

・瓢3

はぁ、、はぁ、、、瓶ってなんだったんだ。。へんだよねやっぱり。。。

 

 

2023年2月27日 19時20分

瓶?!!?!!!!!

・瓶1

 

 

2023年3月2日 22時35分

・瓶1

瓶だ…… もはや瓶は普通なのか。

 

 

2023年3月5日 15時35分

・瓢2

瓢~!会いたかった。ひさしぶり。

 

 

2023年3月8日 19時7分

・瓢2

愛らしい兄弟瓢。

 

 

2023年3月8日 22時22分

・瓢3

一つ前の記録が19時7分、こちらが同日の22時22分。

おおよそ3時間後に瓢が1追加されたねウフフと思っていたら…

 

 

瓢に、「瓢の表」がついていた!!

ほんとうに瓢はいつもドラマを魅せてくれる……

 

 

2023年3月10日 23時01分

・瓢1

一つ前の記録から2日しか経過していないことや、瓢の配置などから想像するに、

また瓢が持ち去りにあっているのではないだろうか。

 

 

2023年3月12日 0時4分

・瓢3

持ち去られまいと身を寄せ合う瓢。

鉢の左側に来たのは、はじめてなんじゃない?

 

 

2023年3月14日 23時56分

・瓢5

モテモテの鉢。

いっぽう近頃、球をみていないような……

 

 

2023年3月19日 0時42分

・球1

球だ!

 

 

2023年3月26日 21時20分

・球1 瓢3

球と小さい瓢たち。

兄弟瓢のチビたちと並ぶと、ちんまりフォルムだった球が急に頼もしくみえてくるから不思議。

 

 

2023年4月2日 23時23分

・瓢1 球1

やたら端にいる瓢と球。

 

 

2023年4月6日 23時39分

・瓢1 球2

 

 

2023年4月8日 13時47分

・瓢1

落ちちゃうよ。

 

 

2023年4月10日 19時57分

・瓢1

落ちません、と…。

 

 

2023年4月15日 15時18分

・なし

季節は春。鉢の草がまた伸びている。

 

 

2023年4月21日 23時19分

・チャリ1

 

 

 

そして本日、2023年4月23日を迎えます。

ひきつづき、ひとりの観測者として、ファンとして、

瓢と球の様子を記録してまいりたいと思います。

 

 

瓢と球のいる場所の斜め上の窓。よく見るとカウンターに瓶がいました。



 

*********
観測者:世田谷アメ子

阿佐ヶ谷在住。
趣味は何かと聞かれたとき、瓢と球の様子を記録することと答えてポカンとされています。
こんなにたのしいことはない。

イマジナリーねこの飼い主でもあります。

芝生はいいぞ(はとだ)

正社員をしながら、コーチングをおこなうコーチを目指して修行しつつ、#芝生はいいぞ というユニットもやっている、はとだです。

#芝生はいいぞ とは、もへはとだによるユニット。2020年より、芝生に集い自由に過ごす「芝生会」を開催し、#芝生はいいぞ とツイートする活動などをゆるくおこなっています。この記事では、わたしたちユニットのある日の芝生トークをお届けします。

「芝生はいいぞ」って最近言わなくなったのは、本当に芝生を愛しはじめたから

はとだ(以下はと):この前、とあるPodcastのラジオ収録でもへ氏が「はとださんと一緒に #芝生はいいぞ というユニットをやっています」って話しててじわじわきちゃった。ついに公の場で発表されたかって。

もへ:一応言っとくか~って。いつの間にかユニットになってたから。

はと:「ユニット組もう!」から始まってないよね。先に芝生活動が始まっていて、気付いたらユニット化してた。「バンド組もうぜ!」と決めてから音合わせするんじゃなくて、音楽が好きで自然とセッションが始まってて、気付いたらバンド組んでた、みたいな。

もへ:そっちのパターンだ。振り返ると、芝生についてのツイートを結構たくさんしてるなぁ。

はと2020年9月に第1回「芝生会」を開催して、そのあともへ氏が芝生の離脱症状が出ててめっちゃツイートしてたよ。「芝生したい」「芝生いきたい」「光合成したい」って。

もへ:あの頃、近所の“行きつけの芝生”に毎日のように行ってて。芝生に座って、子どもや犬が駆けていくのを見ながら、背中に太陽の光を浴びて、パンを食べるっていう。

はと:その芝生エピソードを聞くだけで体がぽかぽかするわ。

もへ「芝生最高~! 太平洋側の冬最高〜!」と思うとともに、太陽信仰する人の気持ちわかるわぁって。

はと:いま思えば #芝生はいいぞ 活動がはじまった2020年って感染症が広がって自粛生活をしていた頃で、日光にあたる時間が減ってた時期なんだよね。だから日光のありがたさをあらためて実感した時期でもあったな。

はと:その2020年に比べて、最近「芝生はいいぞ」ってあまり言わなくなってきたのは、毎日あたりまえのように芝生に行ってて日常の一部になったからかもなぁと思って。

もへゴスペラーズの曲じゃん。「愛してる」って最近~ 言わなくなったのは~ 本当にあなたを愛しはじめたから~♪

はと:そうか、本当に芝生を愛しはじめたからか。

2020年9月 第1回「芝生会」時

あらゆるロールが剝がれ「無印の自分」でいられる。そう、芝生ならね!

はと:活動のなかで数々の名言(迷言)が生まれたよね。

もへ「芝生はすべてを赦す」「己と芝生があればいい」「そう、芝生ならね!」とか。名言を作ろう! とかではなく、会話のなかで自然と出てくる感じもやばいよね。

はと「芝生の上では皆平和」「芝生はすべてを包み込む」とかも。やばいな。

もへ:芝生の上では何もせず、ただのんびりしていい。寝転んでもいいし、本を読んでも、お弁当を食べてもOK。変な目で見られることもない。

はと:芝生の上だといつも自由に過ごせる。ただそこに居ることを許される感じがあって。地面を覆う緑色のふかふかの芝生が、わたしという存在をやさしく受けとめてくれる感覚。

もへ:第2回芝生会(2020年11月)のときは4人で集まって「油吸ったナスはなんでこんなに美味いんだ~」みたいな中味のない話もしてた。目的もなく、何の役にも立たない会話が楽しかったなぁ。

はと:それ聞いて思ったんだけど、芝生の上では「無印の自分」でいられるんだよね。会社員、編集者、リーダー、妻、長女…などの役割や肩書きをいったん外して、目的もなくただの自分でいられる。あらゆるロールが剝がれていく感じがある。

ユニット #芝生はいいぞ は、臆せずに狂っていきたい

もへ:基本みんな芝生に座るのも大きいかも。

はと:リラックスしてペタンと座るしね。

もへ:この前、北海道でドローイングのワークショップをやったんですよ。そのときも芝生みたいなラグを敷いて、みんなで床に座ってスタートして。わたしはあくまで“絵を描く”へのガイド役で、教える人/教えられる人みたいな上下関係にはしたくなくて。だから床に座って一緒に目線を合わせてやったんです。

はと:対等でいられるいい場づくりだね。芝生の上ってフェアネスでいられるんだよなぁ。芝生に座ると人間は動物だってことを思い出させてくれる。原始的なところに戻っていくような、本来の自分に還れる場所なんだよな。だから自由になれるのかな。

もへ:芝生会は基本的に「私は好きにした、君らも好きにしろ」(『シン・ゴジラ』より)だからね。

はと:うんうん。いかに自由に伸び伸びできるかが大事。

もへ:まずは我々が自由でいたい。この会話も他の人が聞いたらだいぶ狂ってると思うけど、臆せずに狂っていきたい。狂っていこうぜー!(野球の「しまってこーぜー!」の言い方で)。

はと:わたしがよく言う「もへ氏~、芝生しようぜー!」も、「サザエさん」の中島くんの「磯野~、野球しようぜー!」の言い方だし、何かと野球に例えがち(笑)。次の芝生会では、グローブとボール持っていくわ!

もへ:わたしはドローイングの道具を持っていく! 楽しみだ~!

「はともへ春の芝生祭り2023」Coming soon…!

活動報告は、#芝生はいいぞ にて。このハッシュタグや、以下のZoom用背景はみなさんも自由にご活用ください🌿

#芝生はいいぞ Zoom用背景 ※ご自由にお使いください🕊🦕

【執筆者プロフィール】

はとだ:鳩とサウナと芝生が好きな人。コーチング修業中。はとだと話してみたい人、コーチングを受けてみたい方はぜひフォローしてみてください。

Twitterhttps://twitter.com/poppoppo_

note:https://note.com/hatoda

彼女ならギャルとは何か聞かれたらまたあの顔で笑うんだろう(篠原あいり)

「あいりちゃんって好きな漫画家、いるの?」
 
高校生のわたしにとってかなり難しい質問を投げたのは、北海道出身の、わたしよりひとつ歳上のギャルだった。わたしの通っていた高校は夜間の定時制で、クラスにはいろんな年齢の人、いろんな性格の人、いろんな事情を持った人が通っていて、ギャルもその一人だった。当時、今よりもうんとひねくれていたわたしは、なぜギャルがそんなことを聞いてくるのか一瞬分からずに身構えたのだが、単にわたしが図書室で借りたつげ義春の『紅い花』の文庫本を読んでいたからに過ぎなかった。しかし、『紅い花』の文庫本の表紙を見ただけで、これが漫画だ、と分かるということは、とわたしが返事をするのも忘れて考え込んでいると、ギャルは口を開いて言う。
 
「うち、つげ義春めっちゃ好きなの。まじうちの原風景。ばあちゃん家とか行く漫画で描かれてるような光景いっぱい出てくっから、つげ義春読んでるとうれしーんだよね」
 
ギャルは嬉しそうに白い八重歯を見せて笑う。そして慌てて口を手で隠し、あぶねーと言う。
 
「うちさー、友達にお前笑顔まじ醜悪だから笑うなって言われてんだった」
 
わたしはそこではっと我に返り、そんなことない、すっごいかわいい、とギャルに伝えた。ギャルは、ほんとにー?と言ってまた八重歯を見せて笑った。その後しばらく、お互いの好きな漫画家について話したはずなのだが、ギャルの口から「つげ義春」とか「醜悪」という言葉が出てきた衝撃でよく覚えていない。当時のわたしがどの漫画家が好きとギャルに言ったのか、ギャルは覚えているだろうか。
 
クラスにはこのギャル以外にもいろんなギャルがいた。
いい匂いするけどなんか香水でもつけてんの、と聞いたら、少し考えたあと、きのうおばあちゃん家に泊まってミューズで体洗ったからかな?と答えたギャル。
当時 大流行していたビリーズ・ブート・キャンプのことを「Believe!ずっとキャンプ」だと思っていたギャル。
トミー・ヒルフィガー以外着ると死ぬねん、そやしバイト中は制服やからずっと死んでる、と言っていたギャル。
 
でも、わたしはつげ義春が好きだと言って笑ったギャルが特に大好きで、このギャルとはよくお互いの好きなものの話をした。コスメブランドのMACを知ったのはギャルに教えてもらったからだ。ギャルは、バイトを頑張って稼いだお金で自分をかわいくメイクアップするのがたまらなく楽しいし、MACは使っていてテンションが上がる、とオレンジ色のチークにベージュのリップを塗りながらわたしに話してくれた。
 
ギャルは自分の好きなものの話をしたあと、必ず、あいりちゃんの好きなものの話も聞かせて、と笑った。ある日、わたしは最近バンドのQUEENが好きだ、と言ったら、ギャルはパッと顔を明るくさせて、まじで!?うちもフレディまじリスペクトしてる!とあの笑顔で言うので、QUEENの曲でどの曲が一番好きか聞いた。するとギャルは間髪入れずに言った。
 
「バイシコーっしょ!!」
 
バイシコー?"Bicycle Race"のこと?と聞くと、ギャルはそうだと頷いて、あの曲まじ変すぎてラブ、と言ったのだった。ただ自転車に乗りたがってるだけっていうのがかっけーとのことだった。そうなんや、と当時のわたしは半ば衝撃を受けながら笑ってその返答を聞いていた。面白いギャルやなあと思っていた。その面白いギャルは家庭の事情で北海道へ戻ることになった。その時になって初めてわたしたちは携帯のメールアドレスを交換したが、実は自分の携帯持ってないんだよね、とギャルは恥ずかしそうに笑って、お父さんのアドレスを教えてくれた。お父さんの携帯にしょっちゅう連絡するわけにもいかず、一ヶ月後に、ギャルが引っ越してしまってから、元気?と一言だけメールを送ってみたのだが、宛先不明で戻ってきてしまった。ギャルとはそれ以来会っていないし、どこでどうしているのか分からない。その頃の京都は桜が咲き誇る季節だったが、北海道はどんな風景の季節だったのだろう。わたしは北海道へ行ったことがないので、なんとなくで想像することしかできない。つげ義春の漫画には桜って出てきたっけ。そんなことを思いながら、つげ義春の漫画を読み、桜を見つめる。
 
ギャルとは何か。つげ義春が好きで、MACが好きで、QUEENのバイシコーが好きだった彼女を、わたしはどうしてギャルだと思っていたのだろう。当時のわたしならギャルとは何かと聞かれたら、化粧がうんと派手な面白い存在だと答えていただろうし、つい最近まで実際に思っていた。でも、歳を重ねてから、NHKでやっている井上涼さんの『びじゅチューン!』の「書紀に必要なギャルの精神」という作品を観て、あ!と気づいたのだった。
 
 
井上涼さんはこの曲の中で「ギャルとは何か」と問い、こう答えている。
 
「愛の徹底である」
「華の強さである」
 
ええ!とわたしは驚愕した。わたしもギャルやったってこと……!?それはさておき、この人は間違いなくギャルだ、とわたしが認識している人たちは、ただある、ということを愛している華やかな存在だということに気づいたのだ。つげ義春はただあるがままに田舎の風景を描き、MACはただあるがままにギャルに愛され続け、QUEENはただあるがままに自転車に乗りたいと歌い叫んだ。そして、わたしがわたしであるということを受け入れて、仲良くしてくれていたことに、今更ながら気がついたのだった。誰よりも愛を徹底し、誰よりも華が強かったギャルは、今どうしているだろうか。わたしもだいぶ変わってなんかギャルになれたわ、と言ったら、彼女はまた八重歯を見せて笑ってくれるだろうか。わたしが初めて買ったデパコスはMACのラベンダー色のチークやで、と言ったら、MACまじいいよね、ラブ、と、彼女はあの声で言ってくれるだろうか。つげ義春を読むたび、MACのコスメを使うたび、QUEENを聴くたび、春の季節になるたび、わたしはギャルのことを思い出す。
 
---
 
休筆し35年経つ人が描く春風と埃のにおい
廃盤になったMACの口紅の色の名前はそういえばMyth

サムバディ・トゥー・ラブだって歌ってた エブリバディじゃだめなんだって

篠原あいり
派手歌人 / 京都在住の獅子座の女 / 石言葉はたわむれ / 別名義の処女歌集: 『インストールの姉』 amazon.co.jp/dp/B07FMZ85RQ/ / 連絡先:matsugemoyasu♡gmail.com

発展途上演技論・筒からの、編(平野鈴)

 

「筒になりたい」と、一年前の自分は言っていた。そして今も、基本的にその気持ちは変わってはいない。
「筒になるってなんだよ」と思い続けると同時に、「でもやっぱな〜、筒なんだよな〜」の日々である。どんな日々だよ。

 

平野鈴と申します。鈴と書いて「れい」と読みます。
予鈴とか、金剛鈴とかと同じです。

俳優です。

 

この記事は『発展途上演技論・筒編』(『吹けよ春風』2022年復刊号に寄稿)で述べたことを下敷きとしています。「筒になりたい」とひたすら言っているだけではありますが、ぜひお読みいただけたら。

 

fukeyoharukaze.com

 

 

では。

 

 

 

 

はじめに

前回は、自分の考える良い俳優とはなんであるかについて、演技における「筒」と呼んでいるものの概念について、また俳優個人の作業について、などを書くことを試みたように思う。

あれを書き終わってからも、相変わらず演技/芝居について、ああでもないこうでもないと頭で考える日々を過ごしていた。もちろんずっと記事のことは頭の片隅に置かれていたし、従って「筒になる」ということについてもこねくり回してはいたが、どこか釈然としないままではあった。

釈然としないままであったというのも、『筒編』ではひたすらにただその考え方を記したに過ぎず、ではその「筒になる」とは結局のところ一体どういうことなのか、具体的にはどんな作業が必要なのか、それはどのようにして行えるというのかというところまでは届かずに終わってしまったからだ。

さらには特に重要であるかと思えそうなところほど、最も感覚的で最もぼんやりとした輪郭の言葉で書かれてある自覚がある。

 

そんな中、今年に入ってから携わったひとつの現場を経て、その釈然ともせずぼんやりとしていたものをこれまでとはまた違う観点から眺められそうな気配を感じた。今回は「筒」を出発点としてより具体的な考え方や例を探しながら、演技や芝居について前回では届かなかった場所へ、これを書きながら枝葉を伸ばしてゆきたい。

 

 

演技と芝居の違いについて

そのためにはまず、わたくしの考える「演技と芝居の違い」について触れなければならない。

大雑把な枠組みにはなるが、

演技とは、その字面からも読み取れるように、演じる技であり、また、演じることそのもの。

芝居とは、演技を以って展開されるもの。

と言い表してみたい。

さらにくだけようとするならば、「演技はひとりでもできるもの、芝居はひとりではできないもの」とも言えるかもしれない。もちろんこれには、観客と呼ばれる立場の人々も含まれている。

正しい定義ではないかもしれないしもちろんこれが全てというわけではなく、今回においてはこの考え方ををひとつの前提として進めていきたい。

 

その前提に照らして改めて「筒になる」ということを考えたとき、やはりそれは演技の方法のひとつでしかないのだと結論づけた。

たしかに曲がりなりにも“演技”論と銘打っているわけで、そう、そのような意味ではべつに、あれでよかったのだと思うし間違っていたと言うつもりはない。冒頭に記したように今でも基本的に「筒になりたい」とは思い続けているし、そもそも正しさという評価軸では語れないものでもある、とも思っている。

ただ、圧倒的に不十分ではある。なぜならわたくしは、もしも、良い/立派な演技というものがあり、それができたとて何かのゴールに辿り着くとは考えていないからだ。演技の先には芝居があるし、芝居の先はもっとさまざまなものに繋がっているはずだ。先、という言葉が適当かどうかはわからない。

 

前回の記事で述べたものには、コミュニケーションが、自分以外の存在についてが薄かったのではないか。そこに不十分さを感じていたのだろう。もし先に書いた前提に基づいて考えるならば、そう感じて当たり前なのだ。

自意識を保ったままいかに自分を手放せるか、やら、どれだけ自覚的に無意識になれるか、やらを書いたくせに、結局、考えていたのは自分がどう在れるかやどう変われるかなどといった、“自分”のことでしかなかった。

 

 

「ひらく」という言葉

2023年1月25日〜29日に座・高円寺1で上演された、韓国現代ドラマリーディング ネクストステップVol.1のプログラム『青々とした日に』(原題『푸르른 날에』 作 チョン・ギョンジン)。

これは、今回に向けてはじめて翻訳された韓国の戯曲を、ドラマリーディングというかたちで上演する企画だった。

翻訳家も演出家もキャストもすべてオーディションによって選出されたメンバーで構成されたこの機会に、わたくしは演出助手という立場で参加した。演出助手という立ち位置は生まれて初めてのことで右も左もわからないまま始まったのだが、振り返ってみればわたくしは、俳優として、俳優の目線を以って、あそこにいようとしていたのだと思う。これには「俳優の目線を以って」とはいったいどういうことなのかという説明があるべきかもしれないが、それについてはまた別の機会に譲ることにする。

演出は藤原佳奈。藤原佳奈とは2013年に、『夜明けに、月の手触りを』という演劇作品を共につくった。

 

この現場で、「ひらく」という言葉と出会った。演出・藤原佳奈が持ち込んだ言葉である。座組にとってこの「ひらく」は、ひとつの大きなキーワードのようなものになっていた。

 

ひらく、開く、拓く。

 

ひらく、とは?ということとも向き合い続けた、と言っても過言ではないかもしれない。

「ひらく」を我々は、さまざまなシーンで頻繁に使った。身体をひらく、場をひらく、意識をひらく──そういったかたちで。ある種、非常に抽象的/感覚的な言葉のままで存在していたようにも思う。定義が明確に決められないまま何かを指す言葉としてひとつの場で機能するということ自体が、不思議でおもしろい現象だったなと今になって思う。ということはおそらく、俳優それぞれにとっての「ひらく」が存在していて、かつ、それぞれのまま“感覚的な部分で”リンクしあっていたのだ。

 

そこでまずはこの「ひらく」を、わたくし個人の解釈によって具体的に考えてみたい。

 

「ひらく」という言葉そのものの定義が明確ではなかったと記したが、稽古で俳優たちを注意深く見ていると、そのひとが「ひらいている」、または、「とじている」ときに、あらゆるシグナルを発していることに気がついた。

例えば、

 

ひらいている俳優は、地に足が着いていて視野が広く、声がよく通る。様々な物事に気がつき自由に動き回り、または動かずにいることの選択を常にとり続けている。だからこそこちらからは俳優自身の次の動きが予測できないし、そのため新鮮さを持ち続ける。そしてなにより、まとう空気が柔らかい。柔らかい空気は変形し、流れ、循環し、交わってゆく。その身体は、見ているこちらを心地よくさせる。

 

とじている俳優は、身体に余分な力が入り、声の響きは硬く、視線/目線は不自由である。とにかく忙しなく動くか動けないかでいるし、また、予想外の出来事が起きたときには「正解」を探そうと動く。そして空気も必然、常にピンと張り詰める。常にピンと張り詰めているということは、それ以上にもそれ以下にもならないということだし何とも交わることができない。その身体は、見ているこちらを窮屈にさせる。

 

というものが挙げられる。

「ひらく」の定義が俳優それぞれで違ったものだったとしても、不思議と身体にあらわれてくるものは共通するものがあった(あるいは、身体の状態から「ひらく」が誘発される可能性があるとも考えられる)。

 

では、「ひらく」ためにはどんな意識や行為/作業を通ればよいのだろうか。

俳優たちを見つめながら、「自分自身と距離をとる」という考えに至った。いやいや自分と離れることなどはできないと『筒編』で書いていたじゃないか、と思われるかもしれない。その通りである。だがしかし、それは物理的な──身体や声はじめ、すでに備わっているものという意味での──条件下においてのみの考え方であって、条件を変えてみるとあらゆる可能性が見えてくるのだ。

その可能性について、実感を持って理解が深まるできごとがあった。

『青々とした日に』が終わってからアントン・チェーホフ『かもめ』のテキストを使用して藤原佳奈とワークショップをしたときのことだった。なるほどこれがもしかしたら「ひらく」のヒントかもしれないと実感した瞬間があったのだが、振り返るとその瞬間の自分が試みていたことは、まさにこの「自分自身と距離をとろう」とすることだった。

具体的な行為としては、せりふに書かれてある状況を想像することである。より正確に言えば役としてその状況を「思い出す」こと。

 

トレープレフ […]おっ母さんの客間には、よく天下のお歴々がずらり顔をならべたもんです──役者とか、文士とかね。そのなかで僕一人だけが、名も何もない雑魚なんだ。同席を許してもらえるのも、僕があの人の息子だからというだけのことに過ぎん。僕は一体誰だ?どこの何者だ?大学を三年で飛び出した。理由は、新聞や雑誌の社告によくある、例の「さる外部事情のため」って奴でさ。しかも、これっぱかりの才能もなし、一文だって金はなし、おまけに旅券にゃ──キーエフの町人と書いてある。なるほどうちの親父は、有名な役者じゃあったが、元をただせばキーエフの町人に違いない。といったわけで、おっ母さんの客間で、天下の名優や大作家れんが、仁慈の眼を僕にそそいでくれるごとに、僕はまるで、相手の視線でこっちの小っぽけさ加減を、計られてるみたいな気がした、──向うの気持ちを推量して、肩身の狭い思いをしたもんですよ……

チェーホフ著 神西清訳 『かもめ・ワーニャ叔父さん』 新潮文庫 1967年 P.17)

 

ワークショップ時に使用したせりふの一部である。

このときにわたくしが「思い出して」いたのは、おっ母さんの客間の間取りや家具の配置、流れる音楽や、たばこの煙や香水、食べ物やお酒なんかがあったかどうかについて、そこに集う人々について、そこで行われた会話について、その場の盛り上がり方、よくある社告を具体的にいくつか、そしてそれを読む人々の顔、自分の持つ旅券とそこに書かれた内容、また、(それが頭の片隅にへばりついたまま)客間に立ち尽くしているときに見聞きしていたもの、など。要は「自分の外側にあるもの」へ意識が向いていた。

これは、想像であるとも言える。しかし実際の行為としては、確かに「思い出して」いた。想像することと思い出すことはどちらも内面的行為という点では同じであるが、その意識の存在しようとする時間が、現在/未来であることと過去であることが相違点であると考えられる。

この思い出す内容の種類や具体性や解像度が上がれば上がるほど、対象(またはせりふそのもの)への実感をより濃く持てるのかもしれない。もちろんトレープレフとしてこのせりふを発話するためにはそれだけで十分だとは言わない。また別の行為や作業も必要であろう。

逆に意識を自分の内側に向けるとすると、「天下のお歴々」について自分がどう思っているのか、自分が何者かわからないことへの気持ち、大学を辞めた理由をこの文言を使って言うことの意味、才能も金もないことや身分のことについての気持ち、肩身の狭い思いをしている自分の気持ち、などを探すことになる。

ひょっとするとそういった感情といわれるようなものたちは、それそのものに注視していないときこそに、つまりはさまざまを「思い出した」結果として、必然的にあらわれる──あらわれてしまう──のではないかという可能性を思う。

結果。『筒編』でも用いた言葉である。芝居は、常に結果であることがいちばん良い状態なのではないか、と。

 

だからそのために新しく思い出し続けるのだ。そしてまた同じくして、現在を、世界を、発見し続けることも必要である。まさにいま何が見えるのか、何が聞こえるのか、相手の状態、立っている場所、空間の温度、さらには自分自身の体温、声、汗、着ているもの──たとえばそういったものごとを。

「自分自身と距離をとる」とは、自分の外側にあるもの、つまりは外的要因に意識の矢印を向け、最終的に自分自身をも外的要因のひとつとして捉えようとすることから始まると考えてみる。それはわたくしに『青々とした日に』で目撃し続けた「ひらいている」俳優たちの身体を想起させる。

ワークショップでこの内面的行為が行われていたときの自分の身体は、録画したものを見ても、そうでない時とは一目瞭然に違いがあった。

「思い出して」いた身体には、余白、があった。余白があるということは固定されきっていないということであり、言い換えれば変化の可能性や自由を持ち続けている身体であったと説明できる気がする。またそれは、ひとりで喋りながらも、誰か/何かとコミュニケーションを図ろうとする身体だったとも言えるのかもしれない。

 

ということは、『筒編』で言及した田中哲司氏の「溶けていくかのような」、いま考えるとあれこそが「ひらいて」いた身体だったのではないか。

なぜならわたくしは「[…]そしてやがては空気に溶け、その空気を舞台を観ている自分が吸い込んでいるかのような、あるいは空気となったそれに飲み込まれているかのような錯覚にすら陥いる瞬間があった。」と感じたのだから。

 

そうか。「筒」とは状態で、「ひらく」とは態度だと言えるのかもしれない。世界に在ろうとするときの態度。

 

「筒」である自分を「ひらく」。「ひらく」ために「筒」になる。

演技を以って、芝居をする。

 

ひらいたままとじることはできるが、とじたままひらくことはできない。まるで謎かけのような一文ではあるが、そうなのだ。

いや、もしかしたらとじたままひらくこともできるのかもしれないけれど、今のわたくしにはまだ、それに届く何かは見つけられていない。

 

 

安全と信頼

「ひらく」ことは、怖いことでもある。無防備さと隣り合わせにあるからだ。そしてその無防備さのすぐ側には、いつも危険が寄り添っている。

 

よく、「演技/芝居には俳優そのひと自身が出る」「嘘はつけない」という言葉を聞く。その通りだと思う。

これには様々な解釈の仕方があって、そのひと自身の身体のくせや声などを指している場合もあるが、しかし、いちばん出てしまうもの、嘘がつけないものは、「世界への態度」なのかもしれない。自分でもコントロールしきれないそれが、自分以外の、役という一種のペルソナを通して顕になってしまうのだから、演技をすることは恐ろしいことだ。さらにはより具体的に、自分でも隠しておきたいような醜さ、嫌いなところ、なおしたいと思っているところ──そういったものが自分ではない人物として立ったときに滲み出てしまった場合、演技をしながらそれをいじることはできない。なぜならそれは役ではなく自分のものであって、役として立っているときにその領域へ手を入れることは、その瞬間から役や戯曲を放棄することに繋がりかねないからだ。もしそういったものが露出してしまった場合は、そのまま受け入れるしか方法はないように思える。

そのことを、多くの俳優は知っている。だからこそ演技をする上では安全というものが確保されている必要がある。万が一その隠しておきたいことが露出してしまったとしても、また、それこそを魅力的だと、面白さだと評価されたとしても、それで俳優本人の尊厳が脅かされるようなことなどはないという安全が。

 

この「尊厳が脅かされない安全」の必要性は、日常においてもたいへんに重要なことである。

例えば誰かと会話を用いて対話を試みようとするとき、自分の選んだ言葉によって自分自身そのものをジャッジされたり、損得勘定や力関係などがうまれたり、相手を傷つけたり自分を傷つけられたりすることは必ず起きてしまう。どんなに注意深くあろうとしても、それらを完全に回避することはできないだろう。

しかしそんなことがあっても相手との関係が崩れない、自分自身が損なわれることがないという安全性が──信頼関係と呼ばれるものが──ある程度でもお互いに築かれている間柄であれば、そしてそれに遠慮なく頼れるような場にいることができているならば、ほんとうに話したいことへ辿り着ける。ほんとうに話したいこと。そのときに人は初めて、自分自身のまま、かつ、自分自身を危険に晒すことをせずに発話することができるのかもしれない。

 

『青々とした日に』で、ひとつ印象的だったエピソードがある。この作品では俳優の立ち位置や出ハケの方向はじめ、舞台上にある唯一の美術である箱馬の位置や動かすタイミングなどが、何ひとつとして決まってはいなかった。

劇中、いわゆる見せ場にもなるようなところで、それは起きた。

舞台上全体の照明は暗く、俳優を追うための照明もない。そんな中、さらに顔も見えなくなるような舞台の奥へと移動した俳優がいた。後で聞くと、意図的にそうしたのだったという。「相手役の人がどう動くかやってみた」という、ある種の実験的行為だったそうだ。

どのような意図だったのかと質問すると「相手役の俳優さんの顔が、客席に向いたらいいなと思った。それまでと違うルートを相手役が辿ったらどうなるのだろうと思ったのもある。自分の選択によってその先がどうなるのかを見たかった」と返ってきた。さらに、その考えだけでその選択をしたわけではなく、「今日は絶対に“ここ”な気がするという、ある種の直感が働いた」とも言っていた。なぜなら「それまで舞台上で積み重なってきた時間があったから」と。

もうひとつ。怖くなかったのかという問いへの答えは、まっすぐとした否だった。

 

どうしてあんなことができてしまったのかと考えたときに、「信頼」という言葉が浮かんだ。そしてそれを実行した俳優が持ち合わせていた「遊び心」。

自分の意志によってとられた行動でその先の全てが変わってしまうであろう可能性を選べること、選択することそのものが歓迎される環境であると知っていること。そしてその先がきっと続いていくであろうという予感、受け取って繋いでくれる誰かがいる、場があるという確信を持っていること。また自分も、今まで繋がってきたものの先にいるのだとわかっていること。

これらが行動にあらわれるときの背景にあるのは、もしかしたら、相手への、場への、そして戯曲への信頼ではないのだろうか。何を選択しても大丈夫である、安全であると思えることは、わたくしには信頼以外のなにものでもないと思えた。

その上で発揮される、まだ見ぬ一寸先の未来への期待による遊び心がもたらす、その瞬間の尊さ。

わたくしはあのシーンで起きたことを、そしてそのような瞬間があふれていたあの作品のことを、きっとこの先も忘れずにいるだろう。

 

信頼などという物理的に手につかむことのできないものを「これだ」と指し示したり言葉で縁取ることは、こう書きながらも非常に難しいことに思える。しかし、そうとしか言いようのないときがある。

まさにあれこそが、ひとつの信頼のかたちではなかったか。

演技や芝居などといったものは、目に見えない、実態がないとされるものを扱っている側面がある。それを証明することは非常に難しいことではあるが、しかし、それは在る。在るのだ。そして“在る”ためにまず必要なのは安全のためのコミュニケーションを続けることである。

究極的には安全というものは誰か/何かに提供されてはじめて成立するものであると考えるのは、少し無理がすぎるだろうか。だがしかし、もしそうであるのならば誰かの安全は自分自身こそが提供することができるはずだとも言えるかもしれない。

自分は、ここは、安全であると示すこと。示し、合うこと。示し合うことで安全性はより強固なものとなっていくし、そうしてしか始まれないものがある。

 

芝居とはもしかしたら、どうコミュニケーションをとるかをひたすら考え続けることでもあるのかもしれない。

 

 

暮らしの中で「ひらく」こと

調子の悪い日々があった。眠りから目が覚めても起き上がるまでに4時間5時間は優に超えてしまうし、そのくせ寝つくのにも時間がかかる。お風呂に入ることすらままならない。気分転換のために漫画を読んでいても、目は滑り、内容は頭に入らず、脈絡のない涙が突如としてこぼれてくる。仕事もないしお金もないし、そのくせ部屋はあらゆるもので溢れかえっている。行動したほうがいいことがわかっていても実際に動き出すエネルギーもない。何もできない。頑張るべきことは山ほどあるのに頑張る理由がない。いや、動こうとしない自分を何かしらで正当化して見ないふりをし続けている。甘えだと思う、努力ができない人間性に問題がある。住む場所があって着る服があって、今日を過ごすのには困らない環境にいるくせに何も頑張ろうとしない。なんの役にも立ちゃしない。せめて映画を観るなり本を読むなりすればいい、いやこれはやりたいことしかやらないということじゃないか。散らかった部屋を片付けなければ。封を開けてすらいない何かの書類を整理しなければ。料理なんていつが最後だったっけ。仕事をしたいのなら営業をしなければ。営業ってどうやって?仕事、俳優であるとはいったいなんだ、そうだ何か約束事があった気がする、期限のある何かもあった気もする、考えるべき問題が山積みだ、俳優うんぬん以前の問題が、だめだ、自分で自分をつくることすらできない、情けない、しんどい、どうしようもない。とは言えこのような状態は初めてではないし、なんだかんだどうにかやってきたし、まだやれる、どうにかなる、問題は自分にある、自分が変われば、頑張れば、耐えれば、何かしら時間が解決するはずだ、少なくとも今まではそうしてきた──。

 

ハッとした。

ただただ横になりながら過ごしていたある日のこと、友人から届いたメッセージの通知をぼんやりと眺めているときだった。

 

とじている。

 

何をしていても自分のことばかり考えている。

これは、完全に、とじている。

 

冷静に考えてみると、心や考え方がある程度でも健やかなときは、目が覚めたときに見える日の光、布団の中の温度、着る服や読む本に観る映画、よく連絡を取り合う友人の存在、外を歩くときに漂ってくる何かのにおいや街中の喧騒、すれ違うひと、風の音、空の色、生活のこと政治のこと、そのほか身近であるなし関係なくいろんなものごとに関心や感想があったし、実感を持っていた。

しかし、調子が悪いときの自分にとってそれらはただの事実であり現象であり、なんの実感も持てないものだった。自分の内側にばかり囚われ、外側のことを、世界を、まるで意識すらしなくなっていたのだ。

あの日々の始まりがいつで何がきっかけだったかなんてことはわからない。きっとさまざまの積み重ねなのだろうし、わかったところで、少なくとも原因のひとつとして直ぐに思い当たるものでさえ、すぐさま解決するわけでもない。

しかし「とじて」いると気づいてから──気づかせてもらってから──見えるものが変わり、考えることが変わった。この状態のまま足掻いていてもしかたがない。溺れないように暴れるのではなく、力を抜いていちど沈むなり浮くなりする必要がある。そのためにはとにかく、例えば腹を括ってしっかりと休み、例えば友人に相談し、例えば適切な病院へ行き、現状を受け入れて対処すること。そうしてから、世界を発見し直す必要がある。そう考えられるようになった。

 

世界を発見し直すこと。また発見し続け、さまざまな方法でコミュニケーションを試み続けること。

そしてその世界を、自分とそれ以外として分断してしまわないこと。積極的に動き続けなくてもよい。危険を感じたなら安全を求めて立ち止まってもよい。大切なのは、全てを終わりにしてしまわないことだ。

ひらかなければ、自分ひとりに閉じこもったままでせっかく発見したこの世界のどこにも在れはしない。そのどこかに在りたいと望むのならば、やることはきっと、自分の意志のもとにただ「ひらく」ことだ。

 

 

おわりに

こうやって文章を書き誰かに届くかもしれない場所に置くことを、とても怖いと感じる。

怖いというのは、これが誰かの目に触れるかもしれないことで自分自身をジャッジされる可能性がある、もっというと「ダメ」だと言われてしまう可能性があるということを知っているからである。それが例えば自分ではなく書かれた内容に向けられたものであると頭でわかっていたとしても、やはり怖い。

だからきっと、ジャッジする/される、消費する/される、“だけ”の関係ではないコミュニケーションをこそ求めようとするのだと思う。それはわたくしにとって全てを終わりにしないために必要なことだからだ。ふと、三木那由他氏著『言葉の展望台』にあった、

「家でひとり過ごすときだって本を読んだりネット記事を見たりはするし、そうしたらそこには言葉があって、誰かから私に向けられたコミュニケーションがあります。」

(三木那由他 『言葉の展望台』 講談社 2022年 「はじめに」 P.001)

という一文を思い出す。

 

そして正直なところこのように『演技論』などと掲げて文章を書くことを恥ずかしいという思いもある。恥ずかしいと思っているということすら書き記すことも恥ずかしい。しかしどんなかたちであれ、演技や芝居などについて考えることや書くことそのものを、何にも恥じる必要などないはずだ。

だがそうやって恥ずかしいと思うのは結局、他者にどう捉えられるのかということやどういう自分でありたいのかということ“ばかり”を気にして、隠そうとしていることの表れなのかもしれない。こんなに長々とくどくど書いたのだから少しでもよく見られたい、おもしろいと思われたい、何かの役に立ちたい、評価されたい、俳優として価値があるとどうにかしてせめて自分だけでもそう思えたらいいのに。そういった気持ちを自ら「ダメ」なものとしてジャッジし、隠そうとしていることの表れ。

もはやそれだって、とじているのかもしれない。怖いもんは怖いし恥ずかしいもんは恥ずかしい。それで良い。ちがうな、良いとか悪いとかではない。そうである、のだ。どうしたって考え続けてしまうのだし、書きたいから書くのだし、そしてできれば、それを通してさまざまに繋がりたいと思うのだ。ひらいていたい。

 

そういった意味で、この記事を書くことはわたくしにとって「ひらく」ためへの一歩なのかもしれないし、ひらかれる場に成るのかもしれない。いや、もしかしたらそうなりますようにと、少しばかりの願いと期待を込めて終わることとする。

 

 

 

平野鈴(ひらのれい)

俳優。フリーランス

お仕事のご依頼、その他ご用事は下記の連絡先をご利用ください。InstagramのDMでもコンタクト可能です。

Twitterアカウント平野鈴|Rei Hirano (@reihirano01) / Twitter

Instagramアカウント:平野鈴(@rei.hirano)https://www.instagram.com/rei.hirano/

連絡先:rei.hirano01@gmail.com