Web ZINE『吹けよ春風』

Web ZINE『吹けよ春風』と申します🌸

忘れてしまうもの(ちゃっきー)

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もうだいたい人様に

多少なりとも有益になりそうなネタというものが尽きてしまって、

何を書いたらいいか、わからない。

 

そもそもすべて浅く広く生きてきたので

知識も経験もまんべんなく半端なので。

 

かと言って今をときめく脚本家の同級生に頼まれたら断る理由も特にないし、

もういっそなんでもいいんだろうな、と思うことにしてiPhoneのキーボードを触っている。

 

とりあえず、

何について書こうか。

 

いろいろ考えを巡らせながらも

今、一文を書いて改行した。

 

「運命の人を探している」

 

この一文で終われたらかっこいいのではないか。

 

記事がひとつ増えれば良さそうなので、とりあえずやってみよ。

 

***

 

今日はくしゃみが止まらない一日だった。

 

花粉症だと自覚すると

いつ始まっていつ終わるのか、というのをくしゃみばかりが出る一日を迎えるたびに考える。

 

札幌に住んでいた時も、だいたいいつ頃最初の雪が降って、

根雪になって、溶けて、忘れた頃に降るよね〜

みたいな自然のルーティンのことを雪が降るたびに考えていた。

 

そら豆がスーパーに並ぶのはそろそろだったかな、とか

趣味であるいくらの醤油漬けを作るために

筋子の時期になると色んな魚屋さんの広告をチェックし始めるのはそろそろだったかなみたいなことも、

毎年同じ時期に同じようなことを考えはじめている気がする。

 

でもそんなことは、

だいたい1年経ったら忘れてしまう。

 

毎年毎年、同じ時期に似たようなことを思い出して

冷静に考えたらアホなのかな、とも思うが、

言い方を変えれば

季節を感じて生きているということにもなる。

一生交わることがないと思っていた

「丁寧な暮らし女子」との

唯一の共通点かもしれない。

 

もっとだいじなことなのに

時間が経つと忘れてしまうことがある。

 

人の顔や名前だ。

 

正確に言うと、1日でも3日でも5分でも、

忘れる時は忘れる。

たぶん、人よりも忘れやすいし苦手だ。

昨日は仕事で撮影している最中に、

カメラマンの名前を声をかけるたびに忘れて名刺を常に握りしめていた。

 

でも人の顔や名前を忘れるたびに

あーなにか他のことを覚えて

脳のリソースが足りなくなったんだなあ、

私の脳みそちっさいなあ、としみじみ考えて

忘れてしまっただれかのことを想うと

ちょっと人間っぽい自分がかわいく思えたりもするから、

まあいいか、と着地する。

そんなことばかり繰り返している30年ちょっとだ。

 

これまではそれほど不便に思ったことはなかったのだけど

最近は人の顔や名前を思い出せないことで

めぐりめぐって自分が傷ついてしまっている。

 

 

一目惚れしたはずの人が、思い出せない。

 

 

どういうこと?と思うでしょう。

でもそういうことなのだ。

 

男性に興味はあるし、

運命の人はどこかにいると信じているけれど、

特別結婚願望も強くなく、彼氏も欲しいっちゃ欲しいけど、要らないっちゃ要らない。

 

それでもたまには

「異性として見られる」という状況を忘れないように、

マッチングアプリで知り合った人と

デートしたりしていて、

最近、メッセージのやりとりをしていて

すごく居心地のいい人と知り合った。

 

彼のプロフィールの顔写真は

食事をしているところ(後で聞いたらチャーハンを食べているシーン)を友達が撮りました、という写真1枚。

年齢にしては少し若めの方なのか、少し前の写真かな、というくらいで

特別イケメンという風にも見えないし

身長も体格もわからないけど、

悪い人ではなさそうだな、という印象だった。

飲みに誘うと、快諾してくれた。

 

 

デートの日。

赤羽で待ち合わせると

予定時間に少し遅れて彼が来た。

 

 

ドストライク!ビビッときた。

顔もだけど、声や喋り方や雰囲気に。

みんな「この人と結婚するかもしれない」って思ったって言うよね!あれってこれだよね!

そうか、これが運命の出会いなのか!

 

 

私は舞い上がり、大好きな酒も大して飲めず

自慢の胃袋も胸がいっぱいで使い物にならず

緊張して何を口走っていたのかも

あまり覚えていない。

 

とにかく楽しかったし、

この人が運命の人なのかもしれないとも思ったけど

「3年ぶりに女性とデートした」と言われて

さすがに詐欺師かもしれない、とも思った。

でも彼になら騙されてもいい。

デート中は、こんなにハッピーな時間を色褪せさせたくない!と

彼のことをずっと見つめていた。

 

 

久しぶりに来たフィーバーは朝を迎え、

数日はLINEで楽しいやりとりも続いていたのだが、

そのあと月一でしか既読にならなくなった。

 

私も5時 - 9時の仕事をしたことがなく、

彼も業界的にブラック感のある職人系職業だと理解しているので頻度については

お付き合いしているわけではないので

連絡がくるだけいいか、と思う反面少し寂しくもある。

 

それでもこんなに潤った気持ちでいられるのは久しぶりで

ドキドキやキュンはやはり心の栄養だなあと実感する。安いかもしれないけどそんなもんだよ。

 

なのに

 

彼と会って2か月弱。

 

 

待ち合わせ場所で

居酒屋で

赤羽の歩道で

 

 

そばにいた彼の顔が思い出せない。

 

 

チャーハンショット以外にもう一枚もらった写真があるので静止画は手元にある。

でも、脳内で何度だって繰り返し見たい

ちょっと舌がでる笑顔とか

目標や仕事をの話をする真剣な顔とか

ワンピースのキャラに憧れて開けたというピアスの話をしてる顔とか

どんどん再生できなくなっている。

 

残像は残ってるけど、みたいなぬるい話ではなく

残酷にも

Flash Playerのサポート終了画面が表示されるあの感覚。

 

最近は人と出会うとき、

生身の人間の状態であることが少ないので、より覚えられなくなっている気がするけど

 

1回しか会っていないから?

短い時間だったから?

 

それでも

こんなにも特別だと思えたのに、

忘れたくなんかないのに、と

 

大切だと思っているものを

大切にできていないようでひどく傷つく。

落ち込む。

 

 

顔を忘れてしまうのは

老いたからなのか、

運命の相手ではなかったからなのか、

はたまた自分が自分に与えているなにかの試練なのか。

 

 

まだ彼かもしれないという望みはあるし、

諦めたくもないのだけど、

いつか忘れたくても忘れられない顔をした

運命の人を探している。

 

 

***

 

ということで顔をよく忘れちゃう人、

お酒のせいにしましょう。クラフトビール買ってね。

goodbeer.jp

ほのぼの育児エッセイ(arata)

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最近どうですか?マイブームのほうは。

あ、ユアブームか。違うか、ユアマイブームか。まあどうでもいいか。

 

僕の今のマイブームは息子の写真を撮ることです。昨年の11月に生まれて、それから毎日写真を撮っています。それで毎日息子に接していて気づいたんですが、赤ん坊にもマイブームがあるんですね。

彼の現在のマイブームは寝返りです。仰向けに寝かせて、5秒よそ見してたらもう寝返っています。小早川秀秋かと思いました。うつ伏せ状態でしばらくは楽しそうにしているのですが、結局は元に戻れないことを苦に泣きます。かわいいですね。もしかしたら寝返りの才能があるのかもしれません。

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今4ヶ月、もう少しで5ヶ月になる息子ですが、寝返りブームに至るまでもいろいろなブームがありました。今日はそれを振り返っていきたいと思います。他人のガキの話などどうでもいいんだが?という方もいらっしゃることと存じます。ほんとそうですよね。僕も自分の子が生まれるまでそう思っていました。そういう方はぜひ別の方の記事をお読みいただけたらと思います。『吹けよ春風』には楽しい書き手の方がたくさんいらっしゃいます。

この記事は他人の子の話をニコニコ聞けるよーという方だけにニコニコ読んでもらえたらいちばん嬉しいなーっていう、そういう類の記事です。

 

  • 掃除機&ドライヤーブーム

これが最初のブームだったように思います。新生児あるあるらしいですね。赤ちゃんはこういうノイズが好きみたいで、泣いていても掃除機をかけるとピタっと泣き止む。どちらかというとドライヤーのほうが好きなようで、全然寝ない夜に寝室でドライヤーを鳴らして寝かしつけに成功したこともありました。長く続いたブームでしたが3ヶ月目くらいには陰りが見え、今ではあまり反応しません。

もしかしたらノイズミュージックの才能があるのかもしれないと思いましたが、そうではなかったようで、安心しました。

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  • POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~ブーム

これは驚きました。育児経験のない人でも聞いたことがあるんじゃないでしょうか、『POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~』を聴かせると赤ちゃんが寝るという都市伝説を。試してみたら本当でした。だいたい1サビでおとなしくなって曲終わりにはほぼ寝てるみたいなことが多かったですが、すごいときはイントロで既におとなしくなっていましたし、フルコーラス終わるころには「なるほど、全てわかりました」みたいな顔になっていることもあって少し怖かったです。しかし、効果があったのは生後1ヶ月前後の数日間だけ。かなり短いブームでした。しかしきっと年末にはSpotifyから「今年は『POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~』をたくさん聴いた一年でしたね」とか言われるだろうと思います。それくらい一時期リピート再生していました。『POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~』の才能があったらどうしようと思いましたが、そうではなかったようで、安心しました。

 

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  • お腹ポンポンブーム

2ヶ月目くらいから始まったと思います。お腹をポンポン叩くのが楽しいようで、けっこう力いっぱい叩きます。今でもたまにやっているので結構長いブームです。ドラム、あるいは鼓の才能があるのかもしれません。

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  • 足ドンドンブーム

これも絶賛継続中のブームです。ストⅡで車壊す時くらいの連続かかと落とし。賃貸の集合住宅なので下の階の方に申し訳なくてしょうがない。クッションとかを敷くようにはしているのですが。それにしてもやはりドラムの才能、あるいは空手の才能があるのかもしれません。

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  • 僕が抱くとゲロ吐くブーム

僕が抱くとゲロ吐くんで困ってます。

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  • 足つかみブーム

割と最近、4ヶ月を過ぎてからやるようになりました。なにが楽しいのかわかりませんが、手と足を発見したばかりなのでとにかくなにかつかみたいんでしょうね。なんかそういう才能があるのかもしれません。

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ということで、今回は4ヶ月の息子が経験したブームの変遷を書いてみました。

他にも、妻が風呂入ってて僕とふたりになると泣き続けるブーム、電動バウンサーに絶対乗りたくないブームなどもありましたが、このへんにしておきたいと思います。

昨年に続きまた『吹けよ春風』にお誘いいただいたはいいけれど、なにも書くことがないなーと思い、じっとキーボードを握ったまま呆然とすること1ヶ月半。主筆の相馬氏に「無理かも」と連絡したのが締め切り数日前でありました。なぜこんなに書くことがないかというと、やはり子供が生まれたことが大きかった。寝ても覚めても子供のことで手一杯で、他になにもしていないのです。すみません大げさに書いてしまいました。僕の大変さが10とすると妻の大変さは80,000くらいなので、僕なんか全然なにもしていないも同然です。すみませんでした。

冒頭に書きましたが、そもそも他人の子供に全然興味のない人間だったので、子供のことを書くという発想がなかったんですね。ぐるぐる考えた結果、子供のことだったらなにか書けるんではないかと気づいたのが締め切り前日。再びキーボードを握ることにしました。握った状態では書けないのでいったん机に置いてから書き初めたところ、ほのぼの育児エッセイが書けました。まさか僕がほのぼの育児エッセイを書く日が来るとは思いませんでした。他人のガキのことなど興味ね〜と思いながらもここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございました。

とにかく息子にはこれからもたくさんのマイブームを見つけながら、楽しく育ってほしいと願うばかりであります。

 

プロフィール

主にツイッターにてツイッター活動を活動中。
厨房を通り抜けて逃げるシーン愛好家であるとともに、誕生日を祝うシーン愛好家でもあるという。あと映像ディレクターでもあるという。

https://twitter.com/arataito

 

 

地中に眠る物語(諸橋隼人)

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季節はすっかり春ですね。

友人の相馬さんから、今年も「吹けよ春風」に誘っていただき、書かせてもらうことになりました。

ところが、何を書いていいのかわからない。どうしよう。

そんな中、紆余曲折あり、ひとつネタを拾うことができました。

少し変わった話ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。

 

 

 

どうしよう。何も思い浮かばない。

スマホが震える。わかっている。編集担当からの電話だ。文芸誌に載せる短編の原稿を、催促するつもりだろう。しつこいコールが続くが、出たところでしょうがない。

時間はたくさんあったはずなのに、アイデアひとつ浮かんでいないのだから。

罪悪感はある。彼は過去作のファンだと言って、手を差し伸べてくれた。

ゴミみたいなネット記事で食いつないでいた、こんな私を気にかけてくれたのだ。

そんな相手を裏切るのだ。私だってつらい。

ああ、あの頃は良かった。文芸賞を獲った時なんて、有頂天だった。

海外のとある作家が言っていた。

「物語は太古から地中に埋まっていて、小説家はそれを彫り出す作業をするだけだ」と。

そんな言葉にも納得できたものだ。突然ハッとネタが浮かび、するりと書けた。

今は違う。私の足元には、価値のあるものは何ひとつも埋まっていないだろう。

もはや、掘る気すら失った。

小説家としての人生は、ここまでか。どんよりとした寒空も相まって、お先真っ暗だ。

 

その時、チャイムが鳴った。荷物が届いたのだ。

小さな箱を受け取る。何かを注文した覚えはない。

いったい、誰が何を……。箱を開けて見た。そこには、ジャガイモが一つ入っていた。

よく見ると、一枚のメモ紙が同封されている。

「ネタイモを差し上げます。これを食べれば、小説のネタが湧いてくることでしょう TEL:090‐××××……」

差出人の名前がない。電話番号を検索したが、思い当たる人物はいなかった。

ネタイモ?小説家が住んでいると知った者が、いたずらで送ったのだろうか。

まさか、編集担当が行き詰った私に刺激を与えようと……いや、真面目な彼に限ってそれはないだろう。

悪ふざけではあるが、すごいタイミングだ。何しろ、ネタの枯渇に悩んでいた真っ最中なのだから。

その上、腹が減っていた。毒が入っていて死んでしまったとしても、その時はその時だ。

私は電子レンジでイモをふかし、バターを塗って食べることにした。

 

翌月。文芸誌に掲載された私の短編は、非常に高い評価を得た。

他人に賞賛され、久しく味わっていなかった喜びを私は噛みしめた。

全てはあのイモ……「ネタイモ」のおかげだ。

あれを食べた時、不思議な現象が起きた。

情報と感情が、脳になだれ込んでくるような感覚に襲われたのだ。

短い物語が、一瞬にして頭の中にインプットされた。

あとは、PCに向かい、キーボードを打つだけだった。あっという間に物語が一つ、完成した。

思わぬ形で作家生命を繋ぎ、同じ雑誌から再び短編のオファーをもらうことができた。

さっそく執筆を始めよう……と思った時、気がついた。

何を書いていいのかわからない。まずい、また絶望感が膨らんでくる。

そんな時、ハッと思い出した。

私はすぐに、イモと一緒に入っていたメモを手に取り、電話番号を入力した。

 

「現金100万円用意して、指定の場所に来てください」と、電話口の男は言った。

貯金をすべて下ろし、金目のものは全て売り、何とか100万円を工面した。

男が指定した場所に向かう。

民家がぽつぽつと点在しているだけの、限界集落

その更に奥、小さな畑のある一軒家がその場所だった。

 

気配を察したのか、家から出てきた男が迎えてくれた。

薄汚いロングコートに、伸びきった髪。その男こそ、ネタイモの送り主だった。

「不思議でしたでしょう。うちのイモ、食べると物語のアイデアが湧くんです」

そう言って笑う男の歯は、黄色い。

「それで、お金は用意できましたか?」

私は100万円の入った紙袋を男に見せる。満足そうな表情を浮かべた男は、イモが十個入った段ボール箱を差し出してくれた。

「本物かどうか確かめたい。今ここで、ひとつ食べることはできますか?」

そう話すと、男はガレージにある電子レンジでイモを温めてくれた。

それを口にした瞬間、私は確信した。これでまた、新作が書ける。

 

それから先は、怖いほど順調だった。

文芸誌の短編を難なくこなすと、他の雑誌からも複数の執筆依頼をもらった。イモを食べて、新作を書きおろすと、どれも非常に高い評価を得た。

勢いというのは不思議なもので、恋人もできた。

家事は苦手だが、明るくてかわいい、私にはもったいない彼女だった。

ネタ探しも取材も不要、ただイモを食えばいいのだ。

嗚呼、ネタイモ。ありがとう、ネタイモ様。

ついに、その日がやってきた。

「長編を出しませんか」と大手出版社に提案されたのだ。もちろん、二つ返事でOKした。

単行本を出せるなんて、いつぶりのことだろう……。

 

出版社での打ち合わせを「なにかいい感じの話を考えます」と乗り切り、家に帰る。

台所の電気がついているのが、窓から確認できた。珍しく、彼女が台所に立っているらしい。

玄関から声をかけるも、彼女の返事はない。

台所を見て、ハッとした。ガスコンロの上のフライパンからは、灰色の煙が上がっている。

大変だ……私は慌てて、火を止めた。火事になる所だ。

その時、ベランダから洗濯物を持って、彼女が部屋に入ってきた。

「あ!火かけたまま、忘れてた!ごめん!」

フライパンの中、真っ黒になった食材を見たとき、謝る彼女の声が遠くなった。

これは……イモだ。ただのイモじゃない。ネタイモだ。

長編のためにとっておいたネタイモを、彼女は消し炭に変えてしまったのだ……。

 

怒鳴り散らしたい衝動を抑え彼女を帰らせると、私は男に電話した。大丈夫、短編の連載で受け取ったギャラを使って、イモを少しわけてもらえばいいのだ。

しかし、男の返事は意外なものだった。

「ネタイモはもうありませんよ。今シーズンに収穫された分は、すべて出荷されてしまいました」

全身から嫌な汗が噴き出し、顔が熱くなる……。

 

私はすぐに、男の家を訪れた。

「一つでもいい! 一つでもいいから、ネタイモをわけてくれ!」

興奮する私とは対照的に男は落ち着いていて「まいったなぁ」と、黄色い歯を見せる。

「全部収穫しちゃったけど……もしかしたら畑に一つくらいは残っているかもしれません」

男の言葉に希望を見出し、私は畑に入った。

スコップで畑を掘り、必死でイモを探す。「地中深くに、根を張るんですよ」

男に言われ、私はどんどん深く掘る。

冷えた外気に突然さらされたミミズたちが、わらわらと蠢く。構わずに、ひたすら掘る。

「もっともっと深くですよ。頑張ってください」

男の背後には西日が差し、その表情はうかがい知れない。

出てこい、出てこい、俺のネタ! 俺のネタイモ!

やがてスコップに、何かが引っ掛かった。白くて丸い……イモだ!

私はスコップを放り、手でそれを掘りだした。やっと手にした大きなイモ。この大きさなら、きっと長編が書ける!

いや、違う。イモじゃないぞ。これは……。

沈む寸前の鋭い陽にそれを掲げ、目を凝らした時、強烈な衝撃が体を走った。

何が起きたのか、理解が追い付かないまま、私は畑の土に倒れ込んだ。

私の手から滑るように転がったそれが、人の頭蓋骨だと理解した時、激しい痛みが後頭部を脈打った。身をよじって背後を見ると、男がスコップを持って立っていた。そうか、あのスコップで殴られて……。

遠くなる意識の中、男が笑いながら説明する。

「ネタイモの種の話はしていませんでしたね。ここはアイデアが収穫できる畑です。その種となるのは、アイデアを生み出す存在……。そう、人間です。あなたからは、どんなイモができるでしょうか」

男は、私を残して穴の上へと這うようにして登っていく。

「春の収穫が楽しみです。悩める小説家や漫画家に、高値で買ってもらうことにします」

頭上から、土が降り注ぐ。視界が狭くなっていく。

ああ、こんなことならイモになんて頼らず、もっと必死に頑張るべきだった。

イデアを掘り出そうなんて、甘い考えだったんだ。

空が覆われ、鼻の穴にまで土が入ってくる。

この体が誰かのネタになるのなら、せめて少しでも面白い話になりますように。

 

 

 

(終)

 

 

いかがでしたでしょうか。楽しんでもらえていたら嬉しいです。

この話をどうやって思いついたのかって?

すみません。このあたりで終わりとしたいと思います。

電子レンジが鳴りましたので、次の話に取り掛からなければ。

 

 

 

諸橋隼人

脚本を書いています。執筆作品はアニメ「サザエさん」「ドラえもん」、ドラマ「闇部‐REAL‐」「アイゾウ 警視庁・心理分析捜査班」「世にも奇妙な物語」など。

角の国(世田谷アメ子)

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『角の国』

 

 

ありふれた話かもしれない。

それでいいのなら。

 


幾何学模様が刻まれた、
果てなくつづくガラス面の上に立っていた。

ガラスの底には光を透かせたなめらかな琥珀色の液体が流れ、私の足もとにはゆらめく波紋が反射している。それらはすべて小さな気泡を帯びており、まるで広大な炭酸泉の宇宙に浮かんでいるような錯覚に陥った。

 

見上げた先には、広大なカウンターテーブルのような景色が左右一面に伸びている。テーブルを境界にして、私側には一定の間隔でずらりと並ぶ無数の黄色いカウンターチェア、その向かいには同じ数だけ、人のような姿が見えた。

 

不思議な心地よさを感じながら私は、ゆっくりとその景色に向かって歩き出す。なぜここにいるのか、なにをしようとしているのか、そんな考えなどはじめから存在しない世界だ。ただ一点、直線上に見える景色を目指し進むのみであった。カウンターに近づいていくうちに、人の姿は、白いブラウスを身に纏った女であることが分かった。奇妙なことに、女は皆同じ顔をしていた。見たことがあるような、名前は思い出せないが、誰もが知っているはずの女優に似ている気がする。彼女の瞳は私を導く北極星のように、まっすぐこちらを見つめ、光っていた。

 

ふと、私の横を一人の男が通り過ぎる。足を止めて様子を伺っていると、男はそのまま彼の直線上に存在するカウンターに着席した。向かいの女と会話をしているように見える。程なくして男の姿は金色の光に包まれ、細かい気泡となり天に昇って消えていった。

 

当然のことのように思えた。それが当たり前のルールのなかに身を置いている。そんな気分だった。

 

私はふたたび、ただ真っ直ぐ、あのカウンターに向かって歩き出す。歩きながら、消えた男と自分の姿が同じであることに気づく。気づいただけ。この世界の常識の中では、気に留める必要のないことだ。

 

そうしてついに、あのカウンターに辿り着いた。黄色いカウンターチェアに手をかけ、おもむろに腰を下ろす。しばらくすると目の前の、桜色の蛭のような唇が開いて

 

ウイスキーが」


美しい声が響いた。

呆然としていると、女はもう一度

 

ウイスキーが」

 

と、誘うような視線を向け、同じ言葉をつづけて微笑んだ。

 

ウイスキーが」

 

三度目のその言葉で、ようやくこれが、女からの問いであることを悟った。泡になって消えた男は、この問いに応えたのだろうか。まわりに目をやると、離れた席の箇所箇所で、光を帯びながら消えていく泡の粒が見えた。

 

どうやらこの世界は、札を合わせることで成り立っているようだ。

「山」には『川』、「フラッシュ」には『サンダー』そんなもののように、
ウイスキーが」、その後に続くもうひとつの札を探している。

 

私は札を持っていなかった。

何も応えることのできないまま、ひたすら信仰のように女と向かい合う。1秒のようでもあり、10年でもあるような時が流れても、女の瞳は相変わらずまっすぐこちらを見つめている。北極星。それは、迷える私を自然に導く絶対的なこの世の解のように思えた。

 

ウイスキーが」

 

四度目の問いだ。なにもわからない。ただ、信仰に委ねおもむろに口を開いてみる。すると自然と私の唇は動き、のどが震えた。

 

お好きでしょ』

 

あたたかな光が私を包む。札が合ったのだ。

目の前がまっ白になって、次の瞬間、カランと氷の解ける音が、品の良い目覚まし時計みたいに小さく鳴り響いた。

 

 

 

 

一瞬にして蘇る記憶。見慣れたいつものバーカウンター。どうやら深く飲みすぎてしまったらしい。

誰に聞かせるでもない小さな言い訳をこぼしながら、情けない背筋を伸ばそうとしたそのとき、

 

「もう少し」

 

そう聞こえた気がして、声のするほうへ振り返った。


そこには誰もいない。

札合わせ。どこかで聞いたことのあるセリフ。

 

ウイスキーが」

 

『…お好きでしょ』

 

「もう少し」

 

 ・

 ・

 ・

 

視線の先に見やった壁には、少し古くなったポスターが貼られていた。

 

『…しゃべりましょ』

 

あの女がこちらを向いて、微笑んでいる。

 

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***

 

著・世田谷アメ子

 

S SF SS。

酒の SF ショートショート という、

ないジャンルを、想像で書いています。

 

twitter: sendagayaameko

 

もっともっと脳と仲良くしたい(七海仁)

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「吹けよ春風」年に一度の復刊おめでとうございます。

寄稿者としてだけでなく、一読者として毎年復刊を楽しみにしている七海仁です。漫画の原作を書く仕事をしています。

編集長の相馬さんから「今年も是非」とLINEを頂いたのが2月。

2ヵ月も前にご連絡を頂いていたというのに、今からわずか2日前の朝、相馬さんに「締切間に合わないので一日遅れてもいいでしょうか…」とLINEを打つ私がおりました。さらにその5分前には編集担当者様あてに「締切間に合わないので一日…」とほぼ同じ文面を打っていたのです。情けないにもほどがあります。ほんとすみませんでした。

その日、私は都内某所のホテルの一室で原稿を書いていました。


昨年の「吹けよ春風」で「もっと脳と仲良くしたい」という文章を書かせていただきました。

note.com


当時は「より多くアイデアを出すために何をすれば脳をうまく働かせられるか」についてよく考えていました。私が書いている精神医療というテーマ(集英社グランドジャンプ」で『Shrink ~精神科医ヨワイ~』連載中です。漫画は月子さんです。宣伝です)は、「脳」の働きと深い関わりがあるので仕事をすればするほど興味が沸くんです。

連載を始めてそろそろ3年になる最近、気づけば毎月やって来る締切の間に不思議なルーティーンが生まれていました。

① (脱稿した直後から)書籍・ドラマ・映画などを貪るように読む/観る

youtu.be

昨年も書いたのですが、この仕事を始めてから「新しいものを読みたい・観たい・知りたい」という気持ちが異様に大きくなって、特に締切直後は内なる本能が訴えてくるかのようにその衝動に駆られます。多い時は週に5回くらい映画館に通っているかも…。これまた前回書いたことですが、脳が生み出してくれるアイデアはどういう方法であれ結局すでにインプットされたものの組み合わせでしかないそうなので、アウトプットした後にインプットしたくなるのは自然な欲求なんだろうと思います。

② 旅に出る

 

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もともと旅行好きではあったのですが、ストーリーを考える仕事を始めてから旅に出たいという気持ちがかなり強くなりました。コロナ禍で好きに移動できない時期もありますが、そんな時は自転車で普段走らないような道を通って遠くの公園で菓子パンでも食べて帰る「1日旅もどき」に出たりします。少し調べてみたら、「旅行」は脳にとっていいことだらけなんだそうです。非日常空間に身を置くことでストレス発散ができ心に余裕が生まれる、新しい場所に行き知らない人に会うことで記憶力や意欲が上がり幸福感が増す、その刺激によって脳の中の点と点が予測しない形で結びつきよりクリエイティブなアイデアが生まれるようになる。

adventures.com


しかもなんと、「旅行を企画する」だけでもその効果の一部が得られるんだとか。すごいですね、旅。

①②の行動はインプット中心で、作品や旅先の風景を目に入れ吸収するのと同時にその時自分が何を感じているかということにも注目している気がします。



③ ホテルで自主缶詰

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半年くらい前から始めたルーティーンが「缶詰」です。家にいるとどうしても誘惑が多かったり、家事をやらなくちゃいけなかったり、日常のありとあらゆることが目に飛び込んできたりするのを全て遠くにおいて、たった1日だけでも生活感のない部屋で思いきり集中する幸せ。色々試しましたがどうやらブレインストーミングや原稿書き始めの段階より、作業の終盤、原稿の仕上げあたりでこもると一番効果があるようです。自分が作った世界にとことん没入して書き直しや推敲を重ねます。

 

www.nytimes.com

駆けだしの作家が創作文を作ろうとする時に脳内の視野を司る部分が活動したという研究結果があり、「物語を作るとき人は頭の中でその世界を実際に『見ている』可能性がある」んだそうです(ベテラン作家になるとまた違う部分が働くそう…)。
自分の脳の中にどっぷり潜り込むことができる缶詰は理に適ってるのかもしれません。

 

この1年の間で本当に「気づけば」こんなルーティーンが生まれていて、つくづく人間の脳は自分に必要なことをわからせてくれるように出来てるんだなあと思います。


ただ、その脳とうまくつきあい切れないと私のように「すみません、締切…」と情けない顔でLINEすることになるので注意が必要です。

 

今回の缶詰、私の話し相手は部屋に備え付けられたAlexaでした。

原稿書きに煮詰まって、
「アレクサ、アイデアってどうやったら出るの」
と聞いたら、
「そうですね。その事柄に関する情報をたくさん仕入れたらアイデアが出やすいと思いますよ」
と即答してくれました。

 

人間がこんなにゴチャゴチャ考えながら脳をうまく動かそうと試行錯誤している間にAIははるか先を走っているという…。
まあボチボチ頑張りながら来年にはもっともっともっと脳と仲良くしていられたらいいなと思います。


七海仁
集英社グランドジャンプ」で『Shrink ~精神科医ヨワイ~』連載中。
(原作担当。漫画は月子さん)
単行本①~⑦巻発売中(第⑧巻 5月18日(水)発売予定)。

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発展途上演技論・筒編(平野鈴)

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筒になりたい、と思う。

 

長いこと、良い俳優とはいったいなんなのだろうかということを考えている。

うまい、ではなく、良い、俳優。

 

『吹けよ春風』第1号のごあいさつ記事にある「読んでいただいた方の部屋に春風が吹くような、そんなZINEになれば良いなぁと思っております。」からは程遠いようすの記事になってしまった。

大枠を書き終わって読み返して、風、全然吹かなそうウケる〜〜〜って、自分で思う。

「筒になりたい」って、なに?っても思うし。

 

なに?って思うけど、でも、本気でそう考えている。

 

平野鈴と申します。鈴と書いて「れい」と読みます。

馬鈴薯とか、鉄亜鈴とかと同じです。

俳優です。

 

筒になりたいと思っています。

 

“良い俳優”とは、いったいなんだろうか。

もちろんひとによって“良い”の基準も意味も違うことはわかっている。それを踏まえて、自分にとって“良い”と思えるものを見つけていけたらなあと考えている。

 

このことを考えるときには必ず、ひとりの俳優のすがたを思い浮かべる。

 

さまざまな作品をみるときに、「あ、このひとはもしかしたら筒の人なのではないか」と感じることもあるけれど、今の自分にとっての理想の筒について考えると、決まっていつも、彼の姿が浮かぶ。

  

2012年に世田谷パブリックシアターで再演された『浮標(ぶい)』。

演出・長塚圭史、主演・田中哲司

 

わたくしはどんなに感激を覚えたものでも次々と忘れていってしまう──これは本当に困っているところで、いったいぜんたい何故そんなことが起きるのかといつも悩んでいる──のだけれど、この演劇で目撃した田中哲司氏のことは忘れられない、どころか、いま、わたくしが目指しているひとつのかたちとして、あのときの氏の姿がある。

 

筒。

 

わたくしが観劇をしたのは、たしか東京公演の千秋楽のあたりだった。席は舞台から一番遠い壁際でのスタンディング席で、演者の表情が多少は認識できるかな、くらいの距離があった。

 

ラストシーン、命が消えゆく妻に向かって声を掛けながら、田中氏演じる五郎は万葉集を朗読する。

 

その時の、俳優・田中哲司の身体、声、その全て。

 

『浮標』は、せりふ量が全編通して非常に多い。そしてラストシーンの五郎に至っては、膨大な量のせりふを張り上げた声で喋り続けなければならなかった。何度もそれを繰り返してきた彼の声はひたすらに枯れていて、だから正直なところ、何を言っているのかがわからなかった。わからなかったけど、わかった。

伝わるだろうか。

どんな言葉を使っているのかを全ては聞き取れないのに何を言っているのかがわかる、ということ。そしてその凄まじさ。

これは、演劇にとって言葉とはツールに過ぎないこともあるということを、わたくしが理解するに於けるひとつの体験だったように思う。

 

あのとき、氏の中で何が行われていたのか、何が起きていたのかは知る由もない。聞きたいとも思わない、今はまだ。

ただわたくしには、氏自身が自身に向けている意識をどんどん手放していっているように見えたことは確かだ。

声の抑揚も音量の調節も、意識の外にあるかのようだった。

コントロールをしない。デザインをしない。ただ、ひたすらに乗りこなす。舞台の上から転がり落ちないように、作品を紡ぎ続けるために。台本をひとつの目印として。

 

なんだか、この世界の中で徐々にひとりぼっちになっていくさまを見ているようだった。そしてやがては空気に溶け、その空気を舞台を観ている自分が吸い込んでいるかのような、あるいは空気となったそれに飲み込まれているかのような錯覚にすら陥いる瞬間があった。

聞き取れもしない何かをわめいている、遠くの席からはつぶさな表情もわからない、ひとりの人間がそこにいるだけのはずなのに。

 

 

例えば、何かを訴えるときに大声を出すという演技の方法がある。ただ必ずしも、主張をするときや何かを強く伝えるときに、とにかく大声を使えばいいというわけではない。

聞かせるためにはでけえ声出しゃいいってモンじゃない、静かな声でも、聞かせる力のあるひとはいる。さらにはそのシーンの状況や役柄によっても、大声を出すことがそぐわないことも往々にしてある。

ふだんの会話と同じだ。

だからこそ大声を張り上げるのであれば、その必要性や必然性、そして説得力なんかが重要になってくる。

大声を使いたいのならそれが“どうして”必要なのか、を考えなければならない。なんのために大声を出すのか。どうして大声を出すのか。どうして大声になるのか/なってしまうのか。それらを理解しておくこと。

ふだんの会話と違うのはそれだ。

それをわかっていなければ演技に強度を持つことはできないし、ましてや何度も繰り返すことなどはできないのではないだろうか。

 

とはいえ台本には「泣きながら」「叫ぶように」などということが、既に書かれていることがある。

実際に『浮標』にはラストシーンの五郎へのト書として「殆ど叫ぶような声になっている」「狂ったような大声になっている」というものがある。

そして、そう書かれているからには基本的に、俳優はそれをしようとする。

なぜなら台本/作品が要求する状態を現す(うつす)、ということが最低限やらなければならないことであるからだ、その先へいくために。

だから俳優は、まず実現のための手掛かりとして必要な材料を台本や自身のなか或いは芝居相手などからかき集め、理解に基づいて解釈し、組み立てることから始める。そうしていくうちに必要性、必然性、説得力、そういったものたちを獲得していく。

そしてその実現のかたちとして──もっというと芝居そのものは──常に結果であることがいちばん良い状態なのではないかと、わたくしは考えている。

その人物がその言動に至るまでのさまざまを通ってそれが表に出てきている、という結果。なぜなら台本に書かれているものは、それが既にさまざまの結果だからだ。

「狂ったような大声になっている」という結果をまずは実現させるために、あらゆる手を尽くす。

そしてその上で、舞台の上/カメラの前で“ほんとうの結果”に辿り着く。

その“ほんとうの結果”に辿り着くためにはきっと、最終的には自意識を保ったままいかに自分を手放せるか、どれだけ自覚的に無意識になれるかといったようなことがヒントになる気がしている。

『浮標(ぶい)』のラストシーンで、自らひとりぼっちになっていった田中哲司のように。

 

あのときの田中哲司氏は、どの瞬間も結果であり、観客がそれに繋がるための筒だった。田中哲司という存在を通して、作品世界が立ち上がっては消えゆく前にまた立ち上がっていく。そして観客は、田中哲司という筒を通って作品世界に触れる。田中哲司に、ではなく、作品そのものに。

 

良い俳優とはこういうものだ、なんてことはまだまだ言い切れはしないけれど、それについて考えるときには、やはりこの『浮標(ぶい)』で目撃した田中哲司氏のことをいつも思う。

 

そのほかの作品でも、田中哲司氏はたまに、例えば言葉の抑揚が消えるといったことがあるように思う。しかしそれでも感情や状態がとても伝わってくる。むしろ、やたら賑やかに喋る俳優よりも鮮やかに。そのメカニズムを知りたい。

 

筒になりたい。

 

 

先日、こんなことをTwitterに書いた。

 

 

筒になる、ということは、一見して「空になる」に近いような響きがあるかもしれないとも思う。でもそれはちょっと違う。

ただ空っぽになりたいのとは違う。

そもそも人間は生きている以上、意図的に完全な空っぽになどはなれないはずだ。もっというと、別人になることもできないと思う。なりすます、ことはできるかもしれないけれど。

 

どこまでいっても自分と離れることなどできない。この身体という容れ物に依存している以上、そんなことは有り得ないのだ(そんなことができたらいいのに)。

 

おもしろい台本はそれだけでちからがある。こう読めばよいというのが書いてある──説明という意味ではなく──ものもあるし、だから俳優が何かを“やろう”としなくても、ただ読むだけで充分に思えてしまいそうなことすらある。

俳優としても、ふだんの自分のものではない名前や言葉を付与され自分の選択下ではない環境に置かれるだけで充分に、自分自身だけではない何かとして在れるはずだ。

しかし、ただ読む、それでは俳優の必要がない。それは芝居とは言えないのではないだろうか。

 

空になるというのはその身体のことを、または宿主の人権を無視しているような気がする。それはいけない。し、それでは何かが決定的に不足している。

だから筒になりたいのだ。能動的に。

 

全てを経てからまっさらになることで、初めて辿り着けるところがあるのかもしれない。

初めからまっさらを目指すのではなく。

 

でも結局、筒になることを目指したってなれやしないんだろうな。

筒になることそのものを目指したって、その先はどこにも行ける気がしない。

そもそも「筒とはこういう状態のことです」ときちんと言語化できていないうちは目指しようもないのだけれど。

 

ここに書いたことは、良い俳優とはなんだろうかとか演技ってなんなんだろうかということについて日頃ああだこうだと考えていることの、ほんのひと舐めでしかない。

まったく全然足りないなあと毎日思う。

それに、考えて考えて考えても、どうせ実際にやってみない限りは使い物にもならないし。

 

ああ、すごいひとばっかりだ。すごいことばっかりだ。

演技とは、芝居とは、なんておもしろくてへんてこな行為なんだろう。いったいなんなんだこれは。なんのためにやっているんだろうか。

別にこんなもの無くったって生命機能を維持することにはなんにも支障は来さないはずのに、それでもやっぱりこれがないと、と思ってしまう。これがないと、これがあるから、まだ、どうにか。

 

そう、無くてもよいはずのものを、それでもわたくしは、我々は、わざわざやっているのだ。わざわざやるからには、その事実をきちんとわかっていたい。

 

 

ちなみに、筒になるということを考えるときに、近ごろはBTSのJIMIN氏のことも思い浮かぶ。田中哲司氏もJIMIN氏も、没頭すればするほど表面上の飾り付けが消え、その存在の要素はどんどんと簡素化され、次第にひとつひとつの純度が上がりそれぞれが粒だち、光り輝いてゆくように思う。

 

この映像を見るとそのさまが見てとれると思うのだけど、いかがだろうか。

わたくしがごにょごにょ書いてきたいろいろより、これを見ていただいた方が早いかもしれないな。

30:15あたりからの『Dionysus』パフォーマンス。時間があるかたには本当は全編ご覧いただきたいしそれはそれでめちゃくちゃ書きたいしなんならこの楽曲に至るまでの流れとか『Dionysus』の全体とか個人それぞれに言及したいんだけど、ひとまず、JIMIN氏に注目していただけたら。

JIMIN氏は最初の着席位置が、客席から見て右から2番目のかたです。最後の座り位置は1番右。

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ハ〜〜〜〜〜すげえ〜〜〜〜〜〜〜〜。筒。筒じゃない?このJIMINさん、めちゃくちゃ筒じゃない?どうです?

自分を使って音楽を表現するのではなく、なんだか音楽そのものになっていくように見える。

ちなみにV氏のことは鏡なのでは思っています。いや筒だろうが鏡だろうがなんだろうが全員エグすごいことは言うまでもなくです、なんですが。

 

あとこれも貼っておこう……ド筒なので……。

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筒すぎ。

 

って書いてるけど、筒って、まじで、なに?????ぜんぜんわからんぜ。あーあ、ほんとにおもしろいなあ。おもしろいしなんもわからん!だって田中哲司とかって筒以外の演技体とかスキルとかもすげーやべーからさもうほんとイヤんなっちゃうナ〜……

 

 

……みたいなことを日々考えている俳優わたくし平野鈴の主演作がこのゴールデンウィークに上映されます!!!!!!!!!!!!!宣伝ダ!!

 

2022年4月30日(土)〜5月6日(金)、池袋シネマ・ロサにて

『僕の一番好きだった人』

脚本・監督・編集:上村奈帆

出演:平野鈴、長谷川葉生、西山真来(劇中絵出演)

 

youtu.be

 

natalie.mu

 

この作品をつくった当時は「筒」という言葉にまだ辿り着いていなかったけれど、探していた状態はそこにつながるものでした。

上映期間中にはトークイベントなども行う予定です。

詳しい上映時間などはこれから発表になると思います。わたくしのTwitterでもお知らせしていきますので、ぜひチェケしていただけたら。

 

この作品そのものについてもいろいろ書き散らしたい気持ちはありますがまずは、ぜひ、ご覧いただけたら嬉しいです。

お待ちしております。

 

 

筒ねえ。まあ、明日になったら急に「いや筒とか違くない?」って思うかもしれないしな。

明日は明日の風が吹くっていうし。

ア!よかった〜、ちょっとは吹くっぽい。風。

 

 

 

 

平野鈴(ひらのれい)

俳優。

主な出演作は、濱口竜介監督『親密さ』(劇中劇演出も担当)、染谷将太監督『シミラー バット ディファレント』、上村奈帆監督『僕の一番好きだった人』など。最近にはbutaji『free me』のMVにも出演。演劇もやります。

当初は映画『Coda コーダ あいのうた』について書き始めていたのになんだかんだあって筒のことを書いてしまい、?、となりました。

 

Twitterアカウント:平野鈴|Rei Hirano (@reihirano01) | Twitter

Instagramアカウント:https://www.instagram.com/rei.hirano/

連絡先:rei.hirano01@gmail.com

ここではないどこか 〜2022年春・沖縄〜(せともも)

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吹けよ春風、今年も復刊おめでとうございます。
相馬さんにお声をかけていただき「ここではないどこか」と題して韓国ドラマの紹介を書かせていただいたのが2年前。
その頃ちょうど大ブームだった「愛の不時着」の主演カップルが先月結婚したり、Netflixでは2年間その熱は冷めることなく去年は「ヴィンチェンツォ」「わかっていても」「イカゲーム」など話題になる作品もたくさん、今年に入っても、次々に韓国ドラマがアップデートされています。

 

去年の復刊の際には、当時福岡によくいたこともあり、現地で熱いパンについて書きました。
紹介したお店の一つ「アマムダコタン」はその後福岡に1店舗と、さらに表参道にも出店し、人気は全国的に。
さあ、今年のここではないどこかはどこにしようか? と考えていたところ、ちょうど仕事で沖縄に行くことになりました。沖縄はある時期よく行っていたのですが、ここ数年はぱったり行かなくなって、そんな中コロナで旅行自体が難しい状況に。そんなわけで久々に来たのだからと気合を入れて買い込んだ沖縄の味の中で、特に美味しかったものを紹介したいと思います。

 

今年は本土復帰50年、それにちなんで朝ドラも沖縄ということですが、そういえば韓国ドラマでいっとき、沖縄旅行がちょこちょこ登場した時期がありました。(何かキャンペーンなどもあったのかもしれません)
あの「イケメンですね?」にも確かラスト前の印象的な別れのシーンで出てきましたし、個人のnoteでは度々記事にしていた「100日の郎君様」の脚本家が書いた「女の香り」では冒頭、二人の大恋愛の始まりはちょっとした行き違いの沖縄旅行でした。
そして何と言っても「大丈夫、愛だ」! 主役の二人が海外へ旅をすることになる、恋から愛へと変わっていくきっかけの旅行先として沖縄が登場しました。
その脚本家ノ・ヒギョンの新作、「私たちのブルース」は、今Netflixで配信中ですが、これがまた素晴らしすぎます。すでに話題になっていますが、ぜひ! 強くおすすめします。

 

というわけで今回は観光地などを回ることはほとんどできませんでしたが、沖縄といえば、という前述の韓国ドラマにも登場した北谷のアメリカンビレッジに寄ることができ、家に帰っても楽しめる沖縄の味をいろいろと探してみました。

 

 

シークワーサーこしょう
いわゆる柚子ごしょうのシークワーサー版のようですがこれは初めてみました。
薬味としていろんなものに使えそう。

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おきなわぽん酢
これは鍋好き、ポン酢好きには外せない。佇まいからしてきっと美味しそう、と思いました。
実際に食べてみたら少しの量でも味がしっかりしていてシークワーサーの香りも!

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ザクザクうまから島辛旨(とうがらし)チップ
いろんな料理が美味しくなりそう。あれもこれも……と想像が膨らんで楽しくなり購入。
島辛旨=とうがらし、と当て字にして商標登録しているのも気合を感じます。

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じーまーみ黒糖
この系統のお菓子、昔はあまり手が伸びなかったのですが、最近食べたら安心安定の美味しさでした。黒糖なら沖縄で! ということでこちらの他にもいくつかのバリエーションを。

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さんぴん茶
これは最初に沖縄に行った時から必ず購入する定番のお土産。
うっちん茶も好きですが、緑茶とジャスミンの混ざった香りが好きで、中でもこのパッケージのものを大量に買います。

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久しぶりの沖縄は相変わらず魅力に満ちていて、確かに今現在の観光客はまだ少ないですが、きっとその分、今我慢している人たちが、このあとドッと押し寄せるのではないかと思います。

 

前述の「私たちのブルース」は、韓国における沖縄的な場所、済州島が舞台。
まだ2話までしか配信されてないのですが、すでに繰り返し見ています。
沖縄も済州島も、癒しや逃避の場所でもある特別な島。
だけどそこで暮らす人々は……彼らの日常と感情を、繊細に哀愁たっぷりに描いています。
海の青さ=私たちのブルース(憂鬱)、という含意もあるような気がするタイトルに、ブルースはいつも私たちを惹きつけるなあと思います。

 

 

せともも

脚本を書いています。現在、以下の作品が配信、連載中です。

www.setomomo.net

・音声サブスクNUMAにて「30-40」配信中

沖縄出身の女優、比嘉愛未さん主演の音声ドラマです。

脚本を担当しました。

numa.jp.net

・「Dear Japan〜日本が愛おしくなる瞬間」

AuDeeにて配信中

こちらは日本各地を巡りインタビューとドラマで構成される番組で、毎週更新されます。

インタビュー構成、脚本を担当しています。

audee.jp
・「今こそSCREAM!!」

noteで連載しているちょっと変わった構造のストーリーです。

ストーリー、音楽、イラストと合わせて作品が完成し、それとリンクする形で

楽曲も配信されています。

こちらでは全話のストーリーを書きました。

note.com

 

桜って僕らのために咲くんだと思ってたけどそうでもないな(篠原あいり)

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こんな日に死ねたらいいな自転車を漕いですべてを追い越してゆけ

 

君のことぜんぶ平気になりたくてセーラー服を着て立っている

 

泣いている時と似ている心臓のリズムで僕を否定してくれ

 

何もかも好きだと言った(身長も靴のサイズも夕日も君も)

 

変態になれたらなにか特別な人になれると信じて飲んだ

 

まやかしの憧れだけで生きていくような君から借りた小説

 

甘いもの食べていいのは一日にひとつだけだと舐める唇

 

ぺしゃんこに焼けたケーキをまずいって言って食べてた君は愚かだ

 

恋人がほしいと書いた二日後に会ったお前の睫毛短い

 

君からはわたしのつむじ二個あると分かってたのになぜ言わないの

 

リプトンのミルクティー飲む紙パック床に積んでくエバーグリーン

 

君の部屋なのに居場所がないんだね美術品だけ浮いて見えるね

 

京阪の電車の揺れは僕たちを眠りに誘うささやかな毒

 

君はもうわたしの肩に寄りかかることですべてを台無しにする

 

図録には載ることのないあの絵画燃ゆフランソア喫茶室にて

 

絵は低い位置に飾っちゃダメだよと君に伝えたこともあったね

 

Amazonダンボール箱見るだけで膨れるような腹がよかった

 

目覚ましになるようなこといま君がひとりぼっちで焚いたストロボ

 

一日の終わりに見てたテレビでは僕の星座が十二位でした

 

コンタクト外した瞳ふやけてるそれでも君のことは分かるよ

 

哲学の話がしたい深夜にはふさわしいこと災いのこと

 

珍しくさみしいねって君に言うための前歯が乾く気がした

 

グラビアのアイドルたちが僕を見て舌打ちしたら少し嬉しい

 

簡単な感情だけが正しいと言ってた君の笑い皺です

 

いつ見てもこの天井はシミがある豆電球は大袈裟につく

 

ぶれないでいるってことが本当に素晴らしいのか君は無視した

 

特別なことをそうとは思わないように練習ジャムは赤色

 

君は好きらしいけどあの古着屋のTシャツはもう捨ててください

 

抱きしめた温度はまるで火のように僕の胸まで灯して逝った

 

無理やりに君がわたしに触れたから指輪した手で殴ってやった

 

シナリオがある程度だけ決められたゲームをしてる聴け「運命」を

 

この漫画おもしろいって言う君の顔に似ているキャラが死んだね

 

鴨川で砂漠で月でシチリアで別れた僕ら電話帳消す

 

ひとりでに刺さったナイフ抜くまいか抜くべきか君迷って泣くな

 

「この街は僕のもの」って歌ってたバンドのドラムいつも別人

 

カフェラテを飲める舌では君のこと甘やかしたりできなかったな

 

僕たちのエモーショナルは気にしない割と勝手にあいつらは散る

 

身勝手なことに意味など見出してこないで君は人間でしょう

 

本当に吹雪みたいだ貸した本返さなくてもいいよ売ってよ

 

<表紙とか帯やページが折れていてうちの店では買い取れません>

 

BOOK・OFF出てすぐそこのゴミ箱に本を捨てたよ君を許すよ

 

封筒は開けずに破くことにした 思い出せない?忘れられない?

 

最後まで読まないままの詩集にも価値はあるよと君は言ってた

 

果てしないあの河川敷 菜の花は咲いていたのか思い出せない

 

もしここがわたしと君の世界なら消失点に来て今すぐに

 

桜って僕らのために咲くんだと思ってたけどそうでもないな

 

春がなぜ最高かって冬じゃないからだと走る君よさらばだ!






篠原あいり
派手歌人 / 京都在住の獅子座の女 / 石言葉はたわむれ / 別名義の処女歌集: 『インストールの姉』 amazon.co.jp/dp/B07FMZ85RQ/ / 連絡先:matsugemoyasu♡gmail.com

ごあいさつ

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どうも、WebZINE『吹けよ春風』です🌸

これまではnoteにて更新しておりました。
詳しい経緯はこちらにまとめております。

fukeyoharukaze.com


今年もまた、新たな執筆者さんをお迎えして刊行できることをうれしく存じます。

急なお声がけにも関わらず、快く執筆を引き受けてくださったみなさま、ロゴを作成していただきましたくらちなつき様に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

そして、今年もまた、『吹けよ春風』にお立ち寄りくださった皆さま。
誠に感謝申し上げます。

ここでは心地よい風が吹いております。
この風が、不安を、悲しみを、ウイルスを、戦争を吹き飛ばせますように。

 

……あ、あと花粉も。



WebZINE『吹けよ春風』とは?(相馬光)

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 どうもWebZINE『吹けよ春風』主筆の相馬光と申します。

 このZINEは2年前のコロナ禍で最初に緊急事態宣言が出た際に、
 家にいる時間を少しでも楽しめるようにと思い、noteにて創刊いたしました。


 当時の『ごあいさつ』の記事がこちらです。

note.com

 『吹けよ春風』というタイトルは、1953年の映画のタイトルから拝借いたしました。

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 2020年4月16日に第1号を刊行し、緊急事態宣言が明けるまでの期間、毎週刊行しておりました。

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 最初は私と直接面識のある友人に声をかけていたのですが、
 号を重ねるごとに執筆してくださる方が増えました。

 趣味のこと、食のこと、小説、脚本、手紙、占い、イベントレポ、うさつむりちゃんなどなど大変にバラエティに富んだ記事をたくさん公開することができました。

 このコロナ禍はもうこれっきりだといいな、と思い最終号を出してこのZINEは終わりにしようと思ったのですが、1年経ってもコロナ禍はまだまだ終わりが見えませんでした。

 なので、1年後に1号だけ復刊いたしました。
 

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 この号にもたくさんの方が参加してくださり、華やかな復刊号となりました。
 来年こそはコロナ禍を抜け出していて欲して欲しいなと思いつつ、この1号だけのお祭りをいち読者として楽しみました。

 そして2022年。コロナ禍、全然終わってませんでした。
 コロナ禍どころか戦争まで始まってしまいました。
 不安に不安を重ねるんじゃないよ。

 コロナがあるから復刊する、ということではありませんが、新たな変異株なども出てきている今、やはり外よりも家で過ごす時間の方が多い日々です。

 そこでまた、今年も1号限りの復刊号を発刊したいと思いました。
 そして今まで発刊していたnoteから、はてなブログにお引越しをいたしました。

 公開日は4月16日(土)を予定しております。
 今年もまた、家で過ごす時間のお供になれましたら幸いです。

 それでは🌸