Web ZINE『吹けよ春風』

Web ZINE『吹けよ春風』と申します🌸

小さいものの大きい変化(橋本夏)

 引っ越しをした。子が来年小学校にあがることや、住んでいた賃貸の壁に「そういうデザイン?」ばりにカビが発生しまくること、夫が上階に住んでいるフランス人から脳みそに埋め込むチップをすすめられたことなど理由はいろいろあるけど、とにかく引っ越しをした。子の保育園を変えるのが面倒だったので、同じ区内で、ほぼ生活圏が変わらない場所になんとか良さげな中古マンションを見つけた。三ツ口コンロ、ウォシュレット付きのトイレ、浴室乾燥機など、前住んでいた賃貸にはなかったものに囲まれ、QOLは爆あがり。心なしか夫と家事の分担で喧嘩する量も減った気がする。

 同じ区内での引っ越しだし、生活環境自体はそんなに変わらない中、ひとつだけ小さいけど大きい変化があった。それはコバエだ。どれだけゴミの処理に気をつけても、いつの間にか部屋の中を飛んでいることでおなじみのあのコバエ。その生態というか性格が、前の家と今の家では全然違う。私は脚本を書く仕事をしているので、基本的には一日中部屋でパソコンに向かっている。前の家では、「私ってもしかして死体なのかな?」と思ってしまうぐらい、コバエが仕事中の私の周りをブンブン飛び回り、しかも動きが早くて全然捕まえられなかった。仕事に集中しているふりをして、相手がどこかにとまるのを待って、バチンとつぶそうとするけど逃げられる、の繰り返し。それが今の家に引っ越してきて変わった。もちろん相変わらずコバエは出るし、私の周りを飛び回っているので私が死体である可能性は消えていない。ただ、なんというか動きがノロい。どこかにとまるのを待つまでもなく、飛んでいるやつを一発で仕留められる。最初に仕留めたとき、自分の瞬発力が劇的にあがったのかと思ったけど、次もその次も同じように仕留められたため、これはコバエ側に理由があると確信した。夫も同じことを感じていたらしく「この家のコバエはフワフワしている」と言っていた。確かに、前の家にいたのはコバエ界のプロだとするなら、今の家にいるのはアマチュアっぽい。そう考えるとなんだか潰してしまうのが可愛そうな気になってくる。でも私は今日も多分コバエを倒す。自分が死んでるなんて信じたくないから。

 

【プロフィール】

橋本夏

脚本を書いています。4月からフジテレビ系にて脚本を担当したドラマ「わたしのお嫁くん」が放送されています。

ビジネスパートナー(諸橋隼人)

 通話スペースの空気は淀んでいる。こんなところで、楽しそうに電話をする人間はいない。私以外の2人も、何やら神妙な面持ちをしていた。
 自動販売機の不味そうな菓子パンは、賞味期限がやたらと長くて不気味だ。私は相手に一言お礼を言い、通話を終わらせた。
 病室に戻ると、みーのお母さんが、布団が片付けられたベッドを指先で撫でていた。私に気が付くとすぐに視線を上げる。
「なっこちゃん、もういいのよ。私一人でできるし、バイト行ってもらって」
「大丈夫です。代わり、見つかったので」
「最後まで、迷惑をかけるわね」
 そう話す彼女の顔には、数日前とは別人のような疲れが浮かんでいる。この一年、ずっと疲れていたようには見えたけど、今日は何かが違う。こんな顔を見なくてはならない日を、どこかでずっと恐れていた。
 あの子が寝ていた布団がなくなった病室は、すっかり匂いが変わってしまった。そんな些細なことに気が付くとは、自分でも思わなかった。もちろん、わざわざ口にすることはない。
 お母さんは力なく微笑み、「ありがとうね」と一言だけ呟く。
 その横顔が、みーに似ている。この人も20代の頃は、もう少しつり目だったのだろうか。みーも歳を重ねていたら、こんな顔になっていたのだろうか。
 おばさんになっても、私たちは二人でやっていただろうか。
「お母さん、ぜんぜん休んでないですよね。大丈夫ですか?」
「休まず動いてるほうが、楽なのよ」
「……そうですか」
「これからは、どうするの? 続けるの?」
「きっぱり辞めます。決めてたんで」
 みー無しでは続けられない。それは、みーの病状を聞いてすぐに覚悟していたことだった。
「もともと、みーに誘われたから始めたことですしね。私みたいなクソ真面目の人見知りを選んで、引っ張り出してくれた」
 高校時代。テキトーに赤本を読んでテキトーな道を選ぼうとしていた引っ込み思案の私を、みーが見つけた。
 まだ『みー』ではなく『美穂子ちゃん』と呼ぶのが精一杯の関係だったあの頃、みーは突然私を誘った。
「あたしくらいめちゃくちゃな人間には、あんたくらい真面目な人間が必要なのよ」
 それがあの子の言い分だった。
 誰かに求められることなんて初めてだったから、嬉しかった。真面目が武器になるのなら、ただ真面目に美穂子ちゃんの隣にいてみようかな、なんて、簡単に口説かれた。もともと、憧れていた部分もあったと思う。みーは人気者なのに、クラスの上位グループに属していないところも、カッコよかった。人を集めるのに、群れを成さないのだ。  
夜のコンビニの明るさにふらっと吸い寄せられるように、軽い気持ちで足を踏み出した。一度も寄り道してこなかった私が、ただ一つ選んだ買い食いが、みーだった。こんなに大きな買い物になるとは、思いもしなかった。
 私にとって絶対的な指標だったあの子。
 私は今、そのお母さんと二人で病室にいる。あの子なしで。
「……美穂子が入院してから、1年。頑張ってくれたね」
 この1年間を思い起こすと、苦笑いしか出ない。
「誰だっけ?」「見たことある気がする」「かわいそうに」「どこまでやれんの?」
 自意識過剰な私は、集まる視線に数多の言葉を聞いていた。
 はいはい、すみませんね、私一人で出てきてしまって。面白くない上に、卑屈な私。
「じゃない方」という言葉があってよかった。それはヘラヘラ自己紹介をする私にとっての、お手軽な肩書だった。
「『ビジパー』は、みーでもってたって、思い知った1年でした」
「……そんなことないわ。なっこちゃんじゃなきゃダメだって、よく言ってたもん」
 お母さんの口から聞く、私が知らないみーの言葉は嬉しかった。
 でも、みーは買いかぶり過ぎだよ。
 私なんか、所詮みーの添え物だったんだから。あなたの才能を、ただただ横で見ていることだけが、私の喜びだったんだから。それだけが、続ける理由だったんだから。
 感情が湧いては消え、ふと我に返る。
 一番悲しいのは、ひとり娘を亡くしたみーのお母さんのはずだ。
「……荷物、車に運びますね」
「ええ、ありがとう」
 床に積み上げられたダンボール箱のひとつを持ち上げ歩き出す。
 この1年間、みーがいた病室。今はもう、ただの405号室。さようなら。
 その時ふわっと、懐かしい匂いがした。ダンボールの中からだ。私があの子に突っ込んだ時、ふわっと香ったあの匂い。
「香りくらいは華やかにね」なんて、そんな風に話してたあの匂い……。
 匂いに驚いた私は、何にもない病院の床で足を滑らせた。前につんのめるようにして、マンガみたいに転んだ。ダンボールの中身が飛び出して、床に散らばった。病室には似合わないそれらを見て、私は言葉を失った。
 私が一番親しみを感じるバカバカしさ。それぞれが「全力でくだらないことやってます」と訴えている。
 コントで使うその小道具たちは、見たことのない新しい形のものばかりだった。
「なっこちゃん! 大丈夫?」
「はい……これって……」
「……なっこちゃんに見つからないように、病室で作ってたのよ。100個ネタ作って、あなたを驚かすって」
「そうだったんですか……」
 みー、こんなヘンな小道具で、どんなコントをしようと思ってたの。
 自分の命が助かるかわからない状況で、どうしてこんなにバカバカしいものが作れるの。
 何がそんなに、みーを動かしたの。
 目の前が滲んでいく。病院に入るときには、絶対に泣かないと決めていたのに。いつだって、それだけは唯一守れていたのに。真面目に決めたことを守るのが、私の取り柄なのに。
 みーのお母さんが私に歩み寄る。ごめんなさい。一番泣きたいのはあなたですよね。
 お母さんは、私そばでかがみ、横に転がっていた紙製の手作りマスクを手にとった。それをかぶって、立ち上がる。
 宇宙人かカマキリかわからない奇妙な造形。小さくてずんぐりした体型が妙にマッチして、舞台上では出オチが心配なくらいの面白さ。
 マスクを取ったら、汗だくのみーが笑ってくれそうな錯覚を抱いていた。それくらい、お母さんとみーは似ている。
「これかぶって、なんだかブツブツブツブツ言ってたわ。こんな感じで。ブツブツ……ブツブツ」
 頭を振っておどけて、みーの真似をしてくれる。みーのあの感じ、暗く考えがちの私を助けてくれるあの感じは、絶対にお母さん譲りだ。
 私は涙を拭いた。あの子と一緒にいた時のように、自然に笑ってしまった。
「みー、いつも被り物かぶってネタ作ってました」
「なんでもカッコから入るからね、あの子は」
「とりあえず、作ってから考えるんですよね。非効率すぎ」
 いつでも、みーが元気をくれた。あの子だけが私の続ける意味だった。
 みーがいない私に、芸人と名乗る資格があるのか。自信はない。
 それでも。
「……私、もう少しやろうかな。『ビジネスパートナー』の……『ビジパー』のなっこで。みーが目指してたところに、ちょっとでも近づけるように」
 マスクの下で、笑ってくれているのが分かった。
「そうだ! なっこならできるぞ!」
 声までそっくりで、みーに言われているみたいだった。
 私は立ち上がった。
 ふたり分の想いで、ひとりでやってみる。
 ダメならダメで、それはそれで。
 私、前よりちょっと、ざっくりと、生きていけるかな。 (了)


諸橋隼人
脚本を書いています。執筆作品はドラマ「アイゾウ 警視庁・心理分析捜査班」「世にも奇妙な物語」「ひともんちゃくなら喜んで!」、アニメ「サザエさん」「ドラえもん」など。



 

謎のお菓子と、メスティンで作るシーチキンペペロンチーノ(仲井 陽)

 天馬フレークというお菓子をご存じだろうか。
 小指の先ほどの大きさの薄い揚げ菓子で、形は馬のひづめのような切りかけのある楕円形、色は白く、食感はサクッと軽い。和紙を捩じったような包み紙に入っていて、きめ細かい砂糖のような粉がまぶされ、口に入れると甘塩っぱい味が尾を引き、あとひとつ、あとひとつと際限なく手が伸びてしまう。ハッピーターンの魔法の粉なんか目じゃないくらい麻薬的で、子供のころ大好きなお菓子だった。

 最近、ふとしたことから思い出し、そういえばあれはどこが出してるどういったお菓子だったんだろうと調べてみようとしたところ、なぜかいくら検索しても出てこない。
 何十年も前の記憶だから曖昧なところも多々あるのだが(表記が『天馬』なのか『テンマ』なのかとか、スナック菓子の類なのかそれとも和菓子なのかとか、ちょっと落雁とかその辺の和菓子とごっちゃになってる部分もあるかもしれない)、それにしても何一つかすりもしない。
 友達に訊いてみても皆知らないと言うし、そうかそうか地域差か、関東の人間は四角い雑煮を食うからなと、実家にLINEしてみても、そんなものは見たことも聞いたことも無いとすっとぼけた孔明のスタンプが返ってくる。
 こんなことがあるんだろうか。この情報化社会で、鼻歌からBorn Slippyすら検索出来てしまう世の中で、お菓子の正体ひとつ分からないなんて。てっきりケンミンショーあたりで、「うそー、東京の人これ知らないんですか? えー、ありえーん」とジャージ姿の中学生たちが口を揃えて言うような、地方の製菓会社が作っているその地域では有名なお菓子の類だと思っていたのに。
 自分一人だけ違う世界の記憶を持っている気分だ。知らないうちにパラレルワールドへ迷い込んだのかもしれない。それとも夢が過去に取りついてありもしない記憶を生成したんだろうか。いやでもしかし、あの薄くてざらついた包装紙を解く感触、粉が零れないように少し息を吸いながら口に入れ、たまにむせつつサクサクと嚙み砕く心地良さ、それを目の前に置かれた麦茶で流し込もうとして、粉まみれのテーブルに気づいてびっくりしたことなど、今でもありありと思い浮かぶというのに。

 天馬フレークはいつも祖父母の家に置いてあるお菓子だった。両親の仕事の都合と自分自身の体調の問題もあり、小学校の低学年までの間、私は週四ペースで父方の祖父母の家に預けられていた。まだそのころは祖父母も働いていたので、日中の面倒は主に曾祖母が見てくれていた。
 曾祖母は95歳まで生きた人で、記憶の中にあるのは薄くなった白髪を垂らし、綿麻の浴衣を着崩して骨ばった皺だらけの肌を露出させながら縁側で団扇を扇ぐ姿だ。子供心に、掛け軸とかに描かれている鬼と似ている、と思うこともあった。
 基本的には穏やかで柔和な人柄だったと記憶しているし、紛れもなく私にとっては優しいお婆ちゃんであったが、しかし、10歳にも満たない子供が90幾つの老人の本質を捉えられるわけもない。家族に訊くと、彼女はなかなか苛烈な人だったらしい。やんちゃだった子供のころの父をベルトで縛って蔵に何日も閉じ込めたり、祖父母の結婚に最後まで反対し、いわゆる嫁の立場となった祖母とは死ぬまでろくに口を聞かなかったり、曽祖父の指が一本欠けていたのは愛人発覚騒動があった際に極道の掟さながら詫びで詰めさせたという逸話もあったりなかったりした。
 ただ、歳を取って丸くなったのか、四世代まで隔たると慈愛の情が湧くシステムなのかは分からないが、印象に残っているのは、そうやって団扇をゆっくりと動かしながらこちらに向ける慈しむような眼差しと、やたら言っていた「かわいやー」という口癖だ。
 当時病気がちだった私は、祖父母の家に行くとよく床に転がってはお絵描きをしていた。何に影響を受けたのか分からないが、ひたすらグリフォンとかペガサスとか幻獣の絵を描きまくっていた記憶がある。そうしていると、曾祖母が「そんなダラんてーにやっとってえらなったらばらやぞ。少し休んまっし」と呪文のような言葉と共に台所から籠一杯に入った天馬フレークを持ってきてくれるのだった。画用紙から顔を上げて見た曾祖母の笑顔と鉛のような冬の北陸の空の色をよく憶えている。

もし仮に曾祖母と夢の中ででも会えたなら、天馬フレークの詳細を、せめて入手先だけでも訊いてみたいものだけど。でもきっと、なんか呪文みたいなキツイ方言であんま聞き取れないんだろうな。

 と、ここまで書いたところで進展、というか急展開があった。

 結論から書くと、天馬フレークという商品は存在せず、曾祖母が生み出したオリジナルのお菓子の可能性が高い。
 昨日、親が施設へ祖母を見舞ったついでに訊いて来てくれたのだが、曰く、私のやってくる日が近づくたびに、彼女は台所に立って何やら揚げ菓子のようなものを作っていたそうだ。ただ、関係がアレだった祖母はともかく、祖父にも食べさせることは決してなく、作るときもどこかコソコソと隠れるようで、材料やレシピなんかも分からないらしい。なるほど、だからググっても出てこないのか。

 と、ひとつ謎が解けたところで、また別の疑問が浮かぶ。なぜそれを和紙で個包装し、天馬フレークという名前まで付けて、さもちゃんとしたお菓子のように装ったのか。
 まるで自分が作ったと悟られたくないかのように。

 そもそも天馬フレークを思い出したのは、Twitterで回って来た画像がきっかけだった。『春になって野草や山菜が芽吹いてきたけど、有毒なものには気を付けて』という注意喚起で、その画像に写っていた植物の種子が、色の白い、小指の先ほどの大きさの、馬のひづめによく似た形だった。
 弱い神経毒があるらしく、昔は堕胎や口減らしなどにも使われたそうだ。『子供が口にすると死ぬこともあるので』とRepがぶら下がっていた。

 今ではピンピンしている私だが、持病のせいである時期までは大人になってもまともな生活が送れるか分からないと言われていた。
 そんな曾孫を、曾祖母はどんな思いで見つめていたのだろうか。よく山菜取りに行っていたという話だから、毒草のことを知らなかったはずはない。むしろ知っていたからこそと考える方が自然だろう。まともに生きられない子ならいっそのことと? 大好きなペガサスの名前を冠した『ちゃんとしたお菓子』ならあまり疑わず、バクバク食べると考えた?(実際アホみたいに食べていたのだが)
 曾祖母の口癖であった「かわいやー」は、可愛いという意味ではないらしい。昔の方言で「可哀そう」という意味だそうだ。
 さいわい私は何がどう作用したのかは分からないが、何事もなく、というか、むしろ人並みに健康に育った。しかし特に問題はなかったとはいえ、今更何十年も前に死んだ人間のことで心を乱されるとは思わなかった。

 と、まあ、四月の始まりの春も盛りの日にこれを書いているのだが、全く相応しくない内容となってしまった。馬のひづめの形は桜の花びらに似ている、とこじつけることもできなくはないが、なんかゴメン。
 お詫びと言ってはなんだが、最近ハマっている『メスティンで作るシーチキンペペロンチーノ』のレシピを記そうと思う。天馬フレークと比ぶべくもないが、なかなか美味しいはずです。あと、ザルも鍋も皿も一つで賄えるので洗い物が劇的に出ません。

 

 

【材料】

にんにく 二欠けくらい

オリーブオイル

唐辛子

シーチキン 一袋

味の素

 

 

1・にんにくは超大きめの一欠けか普通サイズの二欠けを微塵切りにします。たっぷりあった方がおいしいです。

2・メスティンににんにくが浸るくらいのオリーブオイルを入れ、塩を4、5振り(ペッパーミル式での換算なので容器によって調整してください)し、超弱火でフツフツさせつつも決して焦げないように揺すりながら二分超煮ます。にんにくの風味をオリーブオイルに移すためなのですが、焦げると風味が死にます。

3・次に唐辛子と二つに折ったパスタを入れ、パスタがくっつかないように追いオリーブオイルを軽く回しがけ、混ぜます。

4・水をメスティンの7割か8割くらいのところまで入れ、そこにシーチキンと、また塩を4、5振り、味の素を2,3振り入れて混ぜます。(ここでは茹で時間が9分のパスタを使っているので7,8割の水量ですが、もっと少ない茹で時間のパスタなら水量は少なくなると思います。トライ&エラーで頑張ってください)

5・中火にかけ、(9分のパスタなので)9分茹でます。

6・パスタの茹で時間が過ぎたら、火にかけたままグルグルかき混ぜます。すると、スープパスタのようだった汁が麺に吸収され、ほどよく無くなっていきます。汁が多少残っていた方がジューシーで美味しいので、麺が軽くメスティンに引っ付き始めたらすぐに火を止めます。

7・召し上がれ。



 

 

 

仲井 陽(なかい みなみ)

アニメーション作家/脚本家。Eテレ100de名著やグレーテルのかまど等のアニメーションを作ったり、テレビドラマの脚本を書いたりしています。タヒノトシーケンスという演劇をやったり、小説を書いたり、主に物語を作ります。謎の団体ケシュ ハモニウム主宰・ケシュ#203所属。

https://kesyuroom203.com/roomnumber203

https://twitter.com/minamiGIGA

 

サスティナブル・オタク・ライフ(森山流)

 社会人を15年ほどやっている。双極性障害の患者としての歴史はもう少し長く、17年を越える。オタクであることについてはいつからなのか自覚がない。物心ついた時には、父からコレクションしている映画スーパーマンシリーズ(初代)を見せられ、サンダーバードの1号とそのパイロットである長男スコット・トレーシーのファンをやっていたので、そのあたりからもうだめなのかもしれない。1990年代のゴジラシリーズは、たぶん自分が観たかっただけの父がわざわざおれと妹を映画館に連れて行ってくれたので、ゴジラvsキングギドラ(1991)、ゴジラvsモスラ(1992)、ゴジラvsメカゴジラ(1993)を中心に劇場で体験しており、映画(極度に特撮とヒーローものに偏っている)っていいな~~という思いはこのへんで養われたのだろう。
 しかし5歳の幼稚園児とかだった当時のおれならともかく、現在のおれにはそれほど遊ぶ時間はない。36歳の研究職で家庭がある。くわえて持病のために常に心身が扱いやすい状態であるわけではない。天候や季節や業務の忙しさなどで体調が毎日変わる。それでもオタクをやるのにどうしているのかという話をしようかと思う。
 平日は4日間仕事に行っている。朝は8時に目覚ましが鳴るのを叩き切ってベランダへの掃き出し窓のカーテンを開けてガンガン朝日を浴びる。人間の体内時計は1日を25時間くらいだと思っているので太陽を見て毎日リセットしたほうがよいのだそうだ。洗濯機を回して干してから会社へ行く。
 会社へ着くまでにはなんだかんだ徒歩の時間が40分くらいある。以前はチャリに乗っていたが、おれの住む街は上海もかくやという自転車保有率で、駅周囲の契約駐輪場が毎春500人待ちになっていて置くところに難儀したのでやめた。朝歩くと元気が出て良いし、足腰が強くなって体力がつき、結果としてオタクをやる心身の余裕の確保につながる。
 会社ではめちゃくちゃでかい弁当を食う。弁当は自分のも配偶者のもまったく同じ内容で、フードマンの600mlの色違いに詰めている。縦向きに持っても汁が漏れないパッキン付きの弁当箱だ。前の晩に作っておいて持ってくるが、温めるとかそういうしゃれた設備はないのでそのままバリバリ食っている。昼にたくさん食うと前後に余計な間食をしたり、空腹で頭がぼーっとするとかイライラするとかいうことがなくなるので、集中して仕事ができて早く終わる。血糖値を何度も上げ下げしなくて済むのも良い。弁当自体は作っても大して安くはないが、菓子とかヘルシーなメニューとかをチミチミ買うと地味に金がかかるので、これをでかい弁当で解消する。本とか仮面ライダー第2号の変身ベルトとか小島秀夫のフィギュアとかを買うためには、日頃の小さな節約が効くので頑張っている。
 帰りながらスーパーで材料を買って、家に着いたらばんめしを作る。これはその日安かった野菜を見て毎日適当に決めている。何がなんでも今日はローストビーフが食いたい、とかたく決意しているような時も年に1回くらいはあるが、基本的に自分で作ってあればなんでもうまいという大雑把な気質なので、あり物で良い。とりあえず野菜はたくさん食うようにしている。食ったら台所仕事ついでに弁当を支度しつつ皿や鍋釜を洗って片付ける。そこから1〜2時間ほどが趣味の時間になる。体力が尽きている場合はばんめしの前後に1時間くらい寝て、その日の遊び時間はなし。変な脳波が出る睡眠障害があるとかで、もともと常に人よりは眠く、眠気が出たらどうにもならない体質だから、ここは割り切っている。
 やりたいことはいろいろある。本を読んだり、小説を書いたり、イラストを練習したり、本屋さんでゆっくり新刊を見たり、古本屋でこの間間違って売ってしまった絶版本である白水社エクス・リブリスのジーザス・サンとかをネチネチ探したり、図書館で資料(銃火器とか近接格闘戦、スパイのなり方についての本など)や普段ぜんぜん馴染みのない分野(自己啓発書とか)の本を借りたり、映画館で映画をあれこれ見たり、ストリーミングで昔の映画やドラマを見たり、録画した深夜アニメを見たり、買ったけどあまり遊べていないCyberpunk2077をやったり、攻略サイトを見まくってるのになお死に続けながら初代メタルギアをやったり、リングフィットで鍛えてドラゴをボコボコに叩きのめしたりしたい。毎日そんなに時間はないのでどれもちょっとずつ手をつけてはやめての繰り返しで、鎌倉殿はまだキャラがいっぱい生きてる段階で積んでいるし、わざわざツタヤに出張ってレンタルした北野武映画は見ないまま返却したし、借りるだけ借りて気が済んで2週間経った資料本も多い。映画もシン・仮面ライダーばかり見ているからスピルバーグとかどんどん見逃している。
 それでも22時までには風呂に入って22時半には絶対に寝る。遅くて23時、睡眠時間は9時間死守だ。風呂は湯船に浸かって10分測っている。なんとなくそのくらいが丁度いいような気がする。土日など暇な時はスーパー銭湯式の温泉施設に行って、風呂に飽きるまで入って、休憩室で本を読んでごろごろするのもよくやるが、風呂はスマホとか持ち込めなくて邪念が入らないのが良いと思う。自宅でも風呂はなにか見たり聞いたりはしないで無に集中するようにしている。
 週末は自由にオタクっぽいことをするよりは、配偶者と過ごす時間に使うことのほうが多い。おれの家はおれが持病をもちすぎていてこれ以上家族の人数を増やすことができないが、とりあえず2人で出かけるのが双方結構楽しいので助かっている。ゲームをする場合はそれぞれのXBoxとSwitchとでテレビの奪い合いになる。2人で対戦や協力プレイをするようなソフトは持っていないのでしない。映画やドラマやアニメの趣味もあまり被らないが、岸辺露伴ストーンオーシャンとチキップダンサーズだけは居間で並んで見た。家庭があるとなかなか単独プレイのオタク活動だけに没頭しているわけにもいかないのだ。
 あとはオタク的なアイテムを買う時どうするかという問題がある。どうするかというのは3種類あり、買うときの金をどうするか・買ってから遊ぶ時間や場所をどうするか・保管や維持管理をどうするかということだ。これは基本的に全部ひとつのルールに集約して解決している。「グッズを買っていい推しは一人に絞る」というルールである。おれは結構いろんなものに手出ししているから好きになる人物とかキャラクターが何人にもなるが、グッズというか、こう、物体としてどうにもならぬオタク的なアイテムみたいなものはその時最推しと決めたひとりについてしか買えない決まりにしている。今は一文字隼人(柄本佑)がその地位にあるので、シン・仮面ライダーグッズだけは買っているが、その他の好きな俳優のものとか漫画のキャラのグッズとかは買えない。最推しを入れ替えたくなった場合、前任者のグッズは譲ったり売却したりする。これでできた財力とスペースを新人のために充てる。それで熱中している時でも処分しづらいものとか発売時期がものすごく先のもの(その頃最推しが変わるかもしれない)は買わない癖がついた。薄情な感じもするが、賃貸住宅でそんなに多くのものを保管できないし、おれはなにについてもメンテナンスとか保存とかがとにかく苦手で買った瞬間が楽しさのピークになるため、こういう運用にしている。
 ちなみに、書籍を買うのと映画を見るのに関しては、それ自体が小説やイラストを描くための心の肥料みたいなところがあるため結構惜しみなく出費していいことにしている。好きな映画は2回までなら繰り返し劇場で見る。3回めとなると鑑賞だけで総額が5700円とかになるので見合うかは悩むところで、今もまさに一文字隼人の可動フィギュアが発売されそうなのでそのための資金を貯めたい気持ちと、劇場で見られるうちにもう一回! の気持ちとで葛藤の最中にある。
 36歳にもなってこんな感じの生活をしている。それなりに規律を持った自制的で持続可能性のあるオタク活動を模索していて、できたら死ぬまで小説をグダグダ書いたり映画を何回も見たりしていたい。いつまで視力や聴力がもつのかわからないし、持病がめちゃくちゃ悪くなったり仕事が突然無くなったりする可能性もあるが、生活なくしてオタク活動なしと思う。今日はこれを書いていて23時を少し過ぎてしまったので、そろそろ寝る。また明日。

<プロフィール> 

森山流(もりやま・りゅう)。小説を新人賞に出したり同人雑誌に寄稿したり店に出したりしている。憧れの作家はコーマック・マッカーシー村上龍好きな俳優は加瀬亮高橋一生西島秀俊柄本佑パシフィック・リムと柴犬が好き。はやく大きくなってミッシェル・ガン・エレファントになりたい。

twitter:@moriyamashoten

カクヨムhttps://kakuyomu.jp/users/baiyou

note:https://note.com/jozenyo

BOY・meets・BOØWYとBowie(赤松新)

「これやってると時間がすっ飛ばされる」ってことないですか?
14時くらいから始めて、気が付いたら20時過ぎてた、みたいな。
この6時間なにやってたんだ?的な。
決して違法なクスリとかの話ではなく、没頭というか夢中というか、もう身体が言う事を聞かずに、ただただそれだけやってしまっている。
うん……言えば言うほど、やべぇクスリっぽいな……。

僕にとってその初めての体験が「BOØWY」だったんですよ。
中学3年生の時、受験勉強とかしないといけないのに、一度聴いたらもうずっと聴いてしまっている。
あれ?もうこんな時間?なんか怖い……ってやつが何度もあった。
学校から帰ってくるのが大体、17時前位。
親は共働きで誰もいない。
鍵を隠すで言えば不動のNO.1,牛乳箱の下から鍵を取って家に入る。
今も各家庭にあんのかな?牛乳箱。
毎朝、牛乳が配達されるんだけど、その箱の中に入れられているの。
さすがに都会じゃ見かけないけどな。
その下に家の鍵が置いてあって。
よく考えたら危ないよな。
まぁでも、逆にベタすぎて泥棒も見過ごすか。
とにかく、そこから鍵を取って家に入り、部屋に行ってすぐにポータブルのカセットプレイヤーでBOØWYを聴くの。
自分専用のオーディオ機器なんて持ってないし買ってももらえない。
当時で言うとCDラジカセかな。
兄貴は持ってた。
ていうか、なんでいちいち兄貴と弟で格差が生まれるのだろう?
姉と妹にも格差ってあったのかな?
CDラジカセを欲しがると、「お兄ちゃんが持ってるでしょ」の一言。
みんなそうだと思うけど、幼少期には“兄”や“姉”という存在は、歴史上のどの独裁者よりも独裁者だし、歴史上や童話上のどの継母よりも意地悪。
だから貸してもらえるわけがない。
僕が持っている唯一の音楽を聴く機械は、友人から借りている「ポータブルのカセットプレイヤー」
当時なんてiPodはもちろん、ポータブルのCDプレイヤーもないから。
持ち運んで聴くにはCDからカセットにダビングして、それをポータブルのカセットプレイヤーに入れて聴くパターンしかなかったと思う。
しかも、僕は友人がもう新しいの買ったからと、古いやつを貸してくれた。
当時は薄くてオートリバース(A面終わったらB面が始まる)するやつだったけど、僕のは分厚くていちいち入れ替えないといけない。
A面が終わったら、開けてテープをひっくり返してB面を聴く、みたいな。
それでも幸せだったな。
17時くらいから聴き始めて、床にごろんと横になる。
A面が終わったら、B面にしてずっと聴いている。
またB面が終わったらA面にして聴いている……これを親が帰ってきて夕飯を食べるからと呼び出される19時30分くらいまで繰り返し、繰り返し。
ご飯食べて、すぐに部屋に行ってまた同じことの繰り返し。
気が付いたら24時前。
「期末テストなのに全然勉強してない……」なんて思いながら、寝ちゃうの。
なんだったんだろう?あの時期のあの感覚。
人生に何度かあった特別な時間。
BOØWYが初めてで、前回の記事に書かせてもらったSparks。
SEX PISTOLSやNirvanaの「NEVERMIND」も。
(あ、奇しくもSEX PISTOLSも「NEVERMIND」だけども)
Franz Ferdinandもそうかな。
きっとこれからもあるんだろうな。
痺れるような、時間がすっ飛ばされる音楽に出会えるのが楽しみでやめられない。
それもこれも全部、BOØWYに出会ったからであって、思春期と言えばお馴染みの14,15歳で出会った事が全ての始まりのような。
そんな赤松少年とBOØWYの出会いが……
   

〈BOY・meets・BOØWY

1989年の12月28日。
平成になった年で、ベルリンの壁が崩壊したり、教師びんびん物語2で田原俊彦が「エノモト~」って高い声で言ってた色々な転換期の暮れ。
赤松少年は14歳の中学2年生。
実家ではもっぱら大掃除の最中で、真冬の昼間に縁側で一生懸命に障子張りをやらされていた時の事。
障子を貼り直すときは、まず古い障子を剥がし奇麗にしてから貼り直すんだけど、
それがめちゃくちゃ大変。
ある程度障子を剥がしてから、格子に糊付けされている部分を水を付けたハケで濡らして奇麗になるまで剥がす。
真冬に、暖房の届かないベランダで、水を使って作業する……。
マジで苦行。地獄に採用してもいいんじゃないかな。
その苦行を兄貴と一緒にやっている時、「なんか音楽かけようか」と兄貴が持って来たCDが「布袋寅泰」のソロ1st.アルバム「GUITARHYTHM」。
当時の僕は音楽を積極的に聞くような人ではなく、みんなが聴いているのをなんとなく聞いていたような感じ。
その当時に流行っていたモノで、「バンドやろうぜ!」的な音楽が多かったかな。
なんか、こう上手くハマれないというか。
そういうハマるとかも経験した事がないというか。
家は変な所が厳しくて、食事中にテレビは禁止。観るなら親父が野球かNHK。
音楽番組はうるさいからダメ。
ドラマも大河とか時代劇ならOKと、庶民のくせにいい家柄ぶってて。
食事中に水も飲んじゃダメって家だったから。
だから今でも食事中には水は飲まない、ていうか上手く飲めない。
そんな感じで、音楽というモノにあまり触れずに生きてきたもんだから、布袋さんのアルバムを出されても「誰?」って感じ。
兄貴は3歳上で、きっと友達とかから情報を得てたんだろうと思う。
高校生ならそういうもんか。
居間にあったコンポ(兄にはCDラジカセ、両親はコンポ、なのに僕には何も買ってくれない……そりゃ家のお金を盗むようになるわな)
に「GUITARHYTHM」を入れて、PLAYボタンを押す。
スピーカーからオーケストラみたいな曲が流れて来て、「え?兄貴、こんなん聞いてんの?」と、ちょっと戸惑っているうちに2曲目の「C’MON EVERYBODY」。
もう最初のギターで完全にノックアウト。
「なにこれ!?こんなの聞いたことない!」って大興奮。
障子張りの手が止まって、スピーカーの方にフラフラって近づいちゃったもん。
とにかくメロディーがカッコよすぎて。
この「C’MON EVERYBODY」がEddie・Cochranのカバーってのを知るのは、もっと後。
とにかく、そのメロディーに一発で持ってかれちゃって。
「DANCING WITH THE MOONLIGHT」も、英語の歌詞だから何言ってるか分からないけど、情景が目に浮かぶっていうか。
とにかく、この時に「音楽」というものの洗礼を受けた様な気がする。
この時から始めて、音楽を“聴く”ということをしたんだと思う。
音楽に夢中になってボーっとしてたら、「おい、手を動かせよ」と怒られ。
それでもこの初めての体験に身体中がフワフワというか、なんというか。
「GUITARHYTHM」が終わると、今度は氷室京介のソロ1st.アルバム「FLOWERS for ALGERNON」。
PLAYボタンが押された瞬間に飛び込んでくる「one way so far away」「stand by me angel」のヒムロックの歌声!
もうセクシーすぎて、その場に崩れ落ちるほど衝撃的で。
「こんなにカッコいい歌声ってあるんだ!?」って。
糖分を取ると脳内で抗うつ物質のセロトニンを出すって何かで見たけど、明らかにあの時、僕の脳内にはセロトニンがダダ洩れだったと思う。
狂犬病の犬のヨダレくらい出てたと思う。

それからというもの、兄貴がいない時にこっそりと「GUITARHYTHM」と「FLOWERS for ALGERNON」を聴きまくって。
貸してって言っても、そこはほら、歴史上のどんな継母よりも意地悪な兄だから貸してくれるわけがない。
だから留守の時にこっそり聴きまくるしかなくて。
そして1990年、中学3年生で受験が迫ってきている7月   。
近藤っていう友人と学校に登校している時に、「そういえば最近、布袋寅泰っていう人と氷室京介っていう人の音楽を聴いている」って話して。
そしたら近藤が「え?BOØWYじゃん」って言い出して。
「はい?ボーイ?少年?なにが?」って僕。

近藤「だから、BOØWYだって」
赤松「いやいや、二人とも大人だと思う」
近藤「違う違う。BOØWYだってBOØWY
赤松「完全に大人。あれは少年じゃない」
近藤「そういう事じゃなくて。BOØWY
赤松「なに?男ってこと?そういう意味でボーイ?それならボーイ」
近藤「BOØWYだって!BOØWY!」

リアルにこのやり取りを続けていて、最終的に近藤が、
BOØWYってバンドなの!二人とも!」
って怒りながら教えてくれて。
もうこっちはビックリですよ。
僕の脳をとろけさす二人が同じバンド?マジで?
「嘘つくなよ。そんなわけないだろ」って、何も知らないのに勝手にあり得ないって決めつけて。
近藤は「本当だって!」と、他の友達が通りかかった時に、「布袋と氷室って同じバンドだったよな?」って聞きまくってて。
みんなが「うん、そうだよ」「BOØWYだろ」って知ってるの。
それでも僕は信じてなくて。
「そんなん、おかしいって」と、なにがおかしいのか知らないけど、否定する僕。
「じゃあ証拠見せてやるよ」と、友達がCDを持って来て。
それがBOØWYの5枚目のアルバム「BEAT EMOTION」。
ジャケットに二人が映ってて。
「本当だったんだ……!」って。
叶姉妹”が本当の姉妹じゃなくて、ただのユニットって聞かされた時も、同じようなリアクション取ってたけど、BOØWYの時はその比じゃないというか。
「この二人が一緒に……!」って、すごいワクワクしたの憶えている。

友達から「BEAT EMOTION」をカセットにダビングしてもらって、1曲目の「B・BLUE」で鼻血が出まくり。
超メロディアスな音から氷室さんの声で「乾いた風にかき消されて 最後の声も聴こえない」で、膝の皿がわれるんじゃねえかってくらいに崩れ落ちて。
だって二倍だから。
布袋さんの「GUITARHYTHM」と氷室さんの「FLOWERS for ALGERNON」それぞれで脳内がやられてるのよ。
それが同時に押し寄せて来るんだから。
「うわ~……なにこの世界……こんなの知らない」って呆然としてた。
みんな、こんなカッコイイの聴いてたんだ。
なんで誰も教えてくれないんだよ……。
ていうか、兄貴よ。
布袋さんと氷室さんのCDを聴かせてくれた時に教えてくれればいいのに。
やっぱりシンデレラの継母のちょうど50倍、意地が悪い“兄”という存在。
簡単におしえてくれるわけないんだ……。

それからというもの、他のアルバムも友達からダビングしてもらって。
「JUST A HERO」と「PSYCHOPATH」かな。
高校入ってから「MORAL+3」とか「INTANT LOVE」「BOØWY」もダビングしてもらって。
とにかく聴きまくってた。
あれはみんな知ってるんですかね?
「JUST A HERO」の7曲目「1994  LEBEL of COMPLEX」で氷室さんと吉川晃司さんがサビを交互に歌ってるの。
教えてもらった時に、マジでビックリした!
もし知らなかった人は聴いてみて!
マジで、なにこのカッコよさ!ってなるから。
全身にたった鳥肌で「あれ?空飛べるかも?」って思うくらいカッコいいから。
今は便利よ。
「1994  LEBEL of COMPLEX」って検索したら、すぐに出て来てYoutubeで聴けるんだからさ。

あと何と言っても「MORAL+3」よね。
まだ6人編成だった頃のBOØWYで、サックスとかも入ってるの。
パンクっぽくて、でもニューウェイブでダンサフルで。
「ON MY BEAT」とか直接的な曲なんだけど、荒々しさじゃなくてメロディアスなんだよね。
そこはさすが布袋さんって感じで。
前回も紹介した「Oingo Boigo」の1st.「Only a Lad」的な、スカとパンクに日本的な味付けをしましたって感じ。
伝わるかな?
だって「Oingo Boigo」聴いた時に、まっさきに「MORAL+3」を思い出したし。
これぞニューウェイブ!の1枚だと思う。

あと完全に余談だけど、フジテレビのヤングシナリオ大賞で佳作を貰った時にインタビュー受けて。
その時に「今後、脚本でどなたに出てもらいたいですか?」って質問があって。
他の方は大御所の俳優さんとか落語家さんとか答えられてて。
自分の番になった時に「布袋さん、氷室さん、松井さん、高橋さん。まぁBOØWYですね」って答えて、無事に滑ったって事があったな……。
本当にBOØWYの物語を書きたいって気持ちはあって。
「大きなビートの木の下で」をベースにしてさ。
絶対にみんな見ると思うし。」
でも、その会見ではがっつり滑った……。
布袋さん、氷室さん、松井さん、高橋さん、この場を借りて謝罪します。
お名前を出して、ガッツリ滑ってしまいました……すみません……。

とまぁ、とにかく夏休み中にもあまりにも聴きすぎて、受験勉強が手につかないわけ。
「これはマズい!」って、さすがに危機感を覚えてさ。
あと半年しかないのに……。
だからダビングしてもらったテープとポータブルのカセットプレイヤーを箱にしまって、親に預けたの。
とりあえず受験が終わるまでって。
そこまでして、やっと呪縛から逃れられたというか。
本当にあの時はギリギリだったな……。
あのまま聴き続けてたら、高校は落ちるだろうし、今とは違う人生になってたんだろうなぁ。
まぁ、もしかしたらそっちの方がいい人生だったかもだけど……。
いまだに結婚もせずにフラフラと……。
あ、ヤバイ。とりあえず話をBOØWYに戻そう。

無事に高校が受かったという日に親から返してもらって。
春休み中はずっと聴いてたかな。
高校入学のお祝いに、新しいポータブルのカセットプレイヤーも買ってもらえて。
電車通学だったから、ずーーーーーっと聴いてた。

で、前回にも書いたけど、布袋さんのラジオを聴くようになってってさ。
そんな時に、布袋さんが「GUITARHYTHMⅡ」を発表するってなって。
ラジオで先行で何曲かかけてくれたんだけど、そこに「David・Bowie」の「Starman」のカバーがあったのよ。
それからですよ、「David・Bowie」にめちゃくちゃハマっていったのは……!

後編は、
〈BOY・meets・Bowie〉で!!

ことを投げるなや(インターネットウミウシ)











「こと」は常に空気中を漂っている。
「こと」は人間の目で見ることはできない。
「こと」は人間の声に反応し集まってくる。
「こと」は人間の手のひらが好きだ。
「こと」を怒らせてはいけない。

菌でも粒子でもない「こと」。
霊でも念でもない「こと」。
敵でも味方でもない「こと」。
食用でも観賞用でもない「こと」。
上機嫌でも不機嫌でもない「こと」。

人間が話す場に「こと」はよく現れる。
言葉を聴いて「こと」はその音に合わせて漂う。
言葉の意味を「こと」は知らない。
だけど時折、「こと」は反応する。
その反応は「こと」にとっても人にとっても危険だ。

「こと」が反応するのは人間の言葉のゆれ。
「こと」が好きなのは親切と笑い声。
「こと」が嫌うのは悪意と自己卑下。
「こと」が言葉の中の成分からそれを掬い取る。
「こと」が反応する言葉(以下、記)。

「そんな、私なんか」
「いいよいいよ、私のことは」
「いやいやいや滅相もない」
「やだもう、笑っちゃう」

この全ての言葉に「手」が加わることが多い。
言葉に合わせて「手」が動いてしまう。
横にスイングする「手」。
縦にスイングする「手」。

「そんな(1スイング)、私なんか」
「いいよいいよ(2スイング)、私のことは」
「いやいやいや(3スイング)滅相もない」
「やだもう(1スイング)、笑っちゃう」

このスイングで「こと」は一気に集まってくる。
集まった来た「こと」たちはそこで言葉に反応する。
よくない成分を「こと」が感じると怒り始める。
スイングで弾き飛ばされる「こと」たちが今度は話し相手の方へ向かう。
話し相手もまた「こと」を怒らせてしまうとさらに危険なことになる。
その人間たちの間で「こと」は静かに重たくのしかかっていく。

「こと」はずっと人間たちに言い続ける。
「こと」を投げるなや。

逆によい成分を感じ取ると途端に軽くなる「こと」。
紙風船を投げ合うようにポンポン飛び交う「こと」。
踊るように人間たちの間を舞い続ける「こと」。
だから今、まさに私とあなたの間に漂っている「こと」。



と、いう訳なのだけどどうかな、私の発見は。
私なんかの話に長々と付き合っていただき、申し訳ない。
ですけどね(1小縦スイング)、これは大発見なんですよ。
え、あなたも気づいてた?まさか(1横スイング)。
いやいや(2横スイング)、これは私の発見ですから。
「私も思ってた」って、そんなの、言わなきゃわからんでしょうよ。
ダメダメダメダメ(4大横スイング)、これは絶対に私の発見です。
そんな言い訳、聞きたくもない。やめやめ(2大横スイング)。





なんですか、そんな押し黙って。
あんた、何か言ったらどうなんですか。
どうして喋ろうとしないんです。









あっ













インターネットウミウシ
書き出し小説大賞や文芸ヌーなどで書いている。
相馬光の名前で脚本も書いている。
投げるなや。

onl.la

約10年前のわたしへ(兵藤るり)

『約』とつけているのは、最近自分の年齢をなるべく意識しないように努めているからである。まあ、それはさておき。なぜこのようなタイトルなのかというと、きっかけは先日、ぼーっとテレビを見ていたときのことだった。とある番組で合唱コンクール特集がやっていて、本当に久しぶりにアンジェラ・アキさんの『手紙』を聞いて、それはそれは懐かしい気持ちになったのだ。過去とか思い出とか、そういうものにあまり執着のないわたしだが、たまには、約10年前、つまり、高校1年生くらいだった自分に話しかけてみてもいいのではないかと思った次第である。

約10年前のわたしへ。
そろそろ高校に入学したくらいの時期でしょうか。とはいっても、中高一貫だから、周りの人間が変わるわけでもなく、そもそも入学式自体あったのか、記憶が定かではないです。あ、どうも。申し遅れました。約10年後のわたしです。そんなに長々と話すつもりはないです。

こういうのってずるいと思うんですけど、先に謝ります。ごめんなさい。わたしいま、だいぶ人としての道を踏み外してます。踏み外し歴5年くらいになります。人としての道っていうのは、語弊があるかも。まあ、わかりやすく言うと、高校1年生のあなたが思い描いていたような未来の自分とは、かなりかけ離れているという意味です。いまあなたは、学校帰りに週4くらいの頻度で、帰りの電車が酔っ払いだらけになるくらいの時間まで塾に行って勉強してると思います。それが無駄だったとは言わないけれど、ずいぶんと遠くまで来てしまいました。それなりに遠いけど、全く違うところに来たわけでもないのかも。行きつくのがどんな場所なのかは、楽しみにしていてください。嘘。震えて待っててください。

良い変化もあります。これはやむを得ずネタバレなんですけど、どういう訳か、未来のあなたは野球にハマってます。あ、さすがにやる方じゃないですよ。見る方です。生まれつき運動神経という概念が存在しないレベルで運動ができないわたしが、なぜ野球にハマるのか。こういうのを、まさに人類の神秘と言うんだと思います。周りの友達が、やれアイドルやら芸人やらにハマる中で、自分にはそういうものが一切ない。そんなことに悩んでいましたが、無事、出会いました。出会ってしまいました。こんがり日焼けして筋肉質な若者たちが、どろだらけ汗まみれになって全力プレーする姿。チャンスのときに球場中に応援歌を響き渡らせる応援団の人たち、そして観客。諸々に、熱いものを感じてしまったのです。タオルもユニフォームも、結構買ってしまいました。どこの球団のファンになったのかは、楽しみにしていてください。嘘。震えて待っててください。

変わらないこともあります。それは、『やさしい人になりたい』という気持ちです。やさしいって、『優しい』も『易しい』もあって。本当の『やさしさ』って、どっちもある気がして。でも、『やさしさ』って具体的に何なのかはよくわからなくて。だからこそ、『やさしさ』とは何なのか、考え続けたい。その気持ちだけは、未来のわたしも変わらないです。まあ、かっこいい感じに言ってみたけれど、自分なりの答えが出せていないだけなのかもしれないです。『やさしさ』については、さらに未来の自分に期待しようと思います。都合の良いところだけ、他力本願です。

バラバラしましたけど、言っておきたいことは、まあ、こんな感じです。またいつか、過去の自分を振り返ったとき、「きっといいことあるから大丈夫だよ」そんなことを言える自分になれるように、ぼちぼち暮らしていこうと思います。では、また。

名前:兵藤るり
プロフィール:犬を飼いたい人。

おわりに

気づいたら、春。

「春といえば桜」と勝手に思っていたのですが、最近の桜は冬と春の境目辺りに咲いて春になるかならないかぐらいでいなくなっているような気がします。

コロナが流行り、家から出られない日々を数年過ごし、外に出ても常にマスクをしている生活に慣れてしまうと春(だと思っていたもの)を感じる機会が少なくなります。

代わりにあっしなんていかがですってな具合で花粉がやってきやがって四六時中目鼻を赤くさせて春を感じるようになりました。

こんな感じ方は嫌だいっと思ってもアレルギー反応だからどうしようもないのです。
かかりつけの医者へ行き、オルゴールの『桜坂』を聞きながら待合室でぼんやりと「春め……」と思ったりしております。

ですが、もう一つ、「あ、春だ」と感じるものを思い出しました。

それが、このZINEです。

2月くらいになると土の中で眠っていた『吹けよ春風』がむくむくと出てき始めて、
3月くらいになるとどなたをお誘いしようか、何を書こうかとぐるぐる考え始め、
4月になると素敵な記事が集まり、お花見のような賑わいになるのです。

この時間の流れ方が私の中の「春の訪れ」とぴったり合うのです。

今年も無事に春を迎えることができました。
しかも今年は2号(!)。
つまり来週も新たな記事を公開いたします。
こんなに豪華な春があっていいのでしょうか。
いいんでしょうな。
だって春なんだもの。

なのでぜひとも来週もここでお会いいたしましょう。

それでは。

吹けよ、春風。

地上ツアーへようこそ(七嶋ナオ)

人が地上に生まれてくるときには、運命の女神たちのいる門にまず行かねばなりません。
どのような地上ツアーにするのかの大筋を決めるのです。どこに生まれ、何をするのか、運命の女神にクジで決められる人もいれば、徳貯金が貯まっていて、自分の希望を反映した行き先や内容になる人もいます。これが、「今世のメインシナリオ・設定」となります。
そのメインシナリオは、スタートとゴールがまずあり、ゴールに辿り着くまでのルートはいくつか後から選べるようになっています。

そして、門をくぐり、地上に降りるときに、一緒についてきてくれるのがダイモーンと呼ばれる聖霊(神霊)です。天使だったり、運命、ときに悪魔と呼ばれることもあります。

人生のシナリオを書く天使たち(運気)は、コンシェルジュのごとく傍にいます。彼らは「言葉」を聞いておらず、感 情が放つ「色と音」を見ています。
人生を進める中で、「こうなったらいいな、ああなったらいいな」という類の妄想をしたことがない人はこの世にい ないでしょう。しかし、その妄想を、愚直に叶うことだと信じる人はほとんどいません。ほとんどの人が、その願い を馬鹿馬鹿しいと自分で下げて、「叶いっこない」とラベルをつけて捨てるのです。希望を見つけても、その後に やっぱり無理だね、と打ち消せば、そこにはなんの色も音も残らず、最初のオーダーはキャンセルされ、「無理で ある」というオーダーを渡すことになります。

もし、魂の粒ひとつまで、真に、その妄想を否定しないでいられるのであれば、その願いは叶うはずです。

また、切羽詰まった、悲壮感あふれる、飢餓感に煽られた...切実な声で、”叶えて欲しいこと”を願ってもそれは 本意ではない叶い方をします。
それらの感情の持つ「色と音」は「苦痛に満ちた黒」や「曇天のような灰色」「じりじりと焼け焦げた嫌な臭い」に満 ちていて、天使はその「色と音」を”オーダー”として引き受けます。そしてその「色と音」に似合うシナリオを用意してくれるのです。
つまり、苦しいと叫べば叫ぶほどに、それに似合った舞台とシナリオが増えていくのです。

「良いできごとがたくさん起きて幸せになりますように」と、オーダーを天使(運気)に頼むのであれば、感情を幸 せなときに発する「色と音」にすることです。その「色と音」にするために、一番簡単なのが「感謝というモード」に なることです。「光と喜びに満ちた場面なので、そのようなライティングとBGMを用意して当然だよな」と天使(運 気)にわからせること。さらに、自分がオーダーしていたことをすっかり忘れてしまうくらいに執着を持たないこと が大きなコツです。
総じて、意図的な楽天家であることが強運の持ち主となります。 また、叶わないときは、メインシナリオに抵触するオーダーだと納得することも大切です。


プロフィール:七嶋ナオ(占星術家)

「占い」は、しんどい日常の息継ぎや潤滑油、サプリメント、面白がってリフレッシュするツール、勇気を出すため のエナジードリンク、夜、良く眠るための寝物語、ポップで明るい観覧車、他者を理解して受容するためのポケッ ト、気持ちを柔らかくするためのバスボムであったらいいなと思っています。

2023年.BRUTUS web版の12星座占い中の人。ツイ廃。
ブルータス:https://onl.sc/BGxeZSE(お仕事その1.です)
ツイッター:https://twitter.com/manaka_kotohogi?s=20(ただのツイ廃です)
ホームページ:https://miracle12witches.com/(鑑定依頼はこちらから)

カマンベール(ハーシップハーシップ)

 


 バンコクで夜行列車に乗り込む。
 思い出にと食堂車でタイ飯弁当をたべる。車掌が座席をベッドに変えてくれる頃合いを見計らって席に戻ると、おばさんが寝ていた。起こす。
 拙いタイ語で伝える。「ワタシココ」。
 おばさん騒ぐ。何言ってるかさっぱりわからないが、おそらく「ワタシココ」。
 何度か繰り返し、おばさんは去って行った。その背中は寂しげであった。

 席は二等でおばさんの温もり以外は快適だった。翌朝終点で下車。
 ラオスとの国境までは結構歩く。入国審査付近で現れる「入国審査手伝うよおじさん」をかわし、入国審査。

 おじさんたちは揃ってにやにやしている。おじさん経由でないと通れないかと心配したが、無事入国。単に朗らかなだけの様だ。
 今度は「移動はおれに任せろおじさん」たちに囲まれるが、移動手段はなく、おじさんに命を託し、トゥクトゥクに乗り込む。

                                  (つづく)

 

ハーシップハーシップ
34歳製造業従事。好きなものは美味しいお魚、横浜DeNAベイスターズ、行きたいところはイスタンブールサマルカンド 

 

Continue to be saved.(宮本七生)

 

記事中には、被害の描写が含まれています。フラッシュバックなどの心配がある方は注意してご覧ください。

 

 

2021年5月21日

今回の山谷議員の発言から陸上大会の話については大会規定の話であるし、そもそもの人権と差別問題については切り分け、すり合わせて考えていくべき内容であるので、その中でこのような発言は酷く不適当で不適切である。

www.asahi.com

また、この様な話をした際に、トイレはどうする?風呂はどうする?という話を話してくる人もいるが、既に多くの当事者が生きている社会の中で、その様な人達を潜在的な加害者として見て扱うのは、そもそもの人権の考え方から逸脱していると思う。

基本として、何かの当事者として生きている時に、人よりも否定される機会が多い社会は望んでいない。多数派の特権として、向き合うことを面倒だとは全く思わない。差別と向き合うとしたら、これはNOと言わないと差別を温存させているのではないかと考えるので、めちゃくちゃ喋ってました。
https://twitter.com/miyamo1073/status/1395616013148819456



 

2021年5月24日

友達がSNS上で、他者からはらわたが煮えくり返る様なとんでもない悪意をぶつけられていて、それでも強くやってかなきゃいけない世の中はバグっている。こういったヘイトスピーチに対してここで出来る手段としては、Twitter社に報告するのが、出来ることの第一歩なんだけれど、やるせねぇよなって。
石を投げられている人々に対して、「(不条理に耐えて)偉いね」だとか「強いね」「よくやってる」なんて声を伝える人間が酷く苦手で、もう一歩相手の事を考えて、出来る形で手を差し伸べられる人の多い社会が俺は望ましいし、俺はそう出来るようにしています。(この時の文章を読み返すと、怒りに振り回され不遜だなと僕は感じたので、訂正致します。自分が出来る写真撮影という形でNPOや社会活動に参加する事で、少しでも不合理を解消出来るように活動を行っています)
https://twitter.com/miyamo1073/status/1396701012153442310

 

 

2021年5月26日

昼のニュースで倒れそうになり、別角度のニュースで朦朧としたので、割と立ってるだけで偉いみたいになってきたな。

>自民党の合同会議は、出席者から「差別は許されないと明記すれば、社会に混乱が生じる」といった懸念が相次いだものの、国会での議論を促すことを条件に党内手続きを進めることになりました。

■自民 LGBTへの理解促進法案 党内手続き進めることに

www3.nhk.or.jp

https://twitter.com/miyamo1073/status/1397555161594171402

 

 

2021年6月28日

当たり前に出来ない事を口にした時に、当たり前に出来る人達が、“分かるけどそれを話すには話し方がある”や“逆差別では?”みたいに毎回なってしまうのは、マジでキツイ。他人を傷付ける気を持って、いや、傷付くとも想像もしない、人を人とも思って無いのかもしれないが、人間がそんな言葉に晒される様な社会は最低。自分と考えを同化させようとするのも、自分が納得する意見を求めさせるのもグロくてきつく感じてしまうな。

これがヘイトの現実みたいな感じで友達を話したくないし、こんなにも素敵な人なのにと俺が知ってる友達の話をした所で、傷付けたい/傷付けても良いと思っている人達には意味を為さないから、なら傷付けられた友人を心で抱きしめるくらいしか出来ないのが歯痒い。

“差別”問題に中立な立場はなく、構造として起こっている不合理だと分かる事も、自分の持っている特権や優位性に気付く、向き合わなければならない。これは難しいが、この気づきを無くして話せないし、差別や特権について話していくことが、暴力や不合理を減らしていく一歩となると俺も考えています。

■こここスタディ:差別や人権の問題を「個人の心の持ち方」に負わせすぎなのかもしれない。 「マジョリティの特権を可視化する」イベントレポート

co-coco.jp

https://twitter.com/miyamo1073/status/1409326123935170567

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月15日
見晴らしの良い地獄

https://twitter.com/miyamo1073/status/1415612116745129989

 


いつだって、全ての人間が尊重されるべきで、また、尊重されていない人間が居る事を認識出来て、助けるために全ての人が犠牲にならず、誰もが心地の良い居場所で加害することもなく、隔てなく手を取り合って仲良くあってほしい訳で…SNSを観ていると自分に向けられた言葉で死にたくなる為、離脱します

https://twitter.com/miyamo1073/status/1415629984530534401

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 




 

 

 

 

 

 

 

2021年8月5日

変わらず撮影の仕事をしつつ、通院をしたり人を避けたりしつつ、生きています。諸々、連絡をくださった方ありがとうございます。今日は、一ヶ月振りのスナックカワウソONLINE 21時からどうぞ。

■片想い - 環境

open.spotify.com

https://twitter.com/miyamo1073/status/1423237810371194880

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月31日

去年から今年も変わらず悪かったが、その中でも不合理や制度の行き届いて無さに声を上げて署名という形で行政にアプローチをしていった人達を撮影で関わってきていた実感としては、変わるところは変わっているし、声が届かないとそもそも動かないという仕組みをうまく使うしかないなという所です。

身近な人や知り合いがこのコロナ禍で自ら居なくなっていったり、僕自身も居なくなりそうだったそれぞれ別別の気持ちを一つ一つ忘れずに、今まで起きてきた事も無かった事にしないで、また次の一年を暮らしていきたいですね。幸多からんことを。

https://twitter.com/miyamo1073/status/1476928814290587648

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月18日 ─ Continue to be saved. 救われ続ける。

昨年に引き続き主催の相馬さんに声を掛けて頂いて、今年も『吹けよ春風』に参加させて頂きました。前回は、2020年から2021年に跨る形で写真をまとめたので、今年も同じく2021年から今に至るまでに身に起きた事柄やその時々のツイートを絡めております。

僕にとって記事中で引用した共有トイレに纏わる SNS 上で起きたことについて、他者との “対話” を深く考えるきっかけになりました。
対話の前提として、個であり独立した一人の人間として、過去の経験や学んできた事、世の中に溢れる情報を一個人の判断で取捨してきた蓄積で形成されております。そこから生み出される意見も同様に。
そこから互いの置かれてきた環境を知らず、自身と異なっているのが普通である他者と建設的な対話を行うには、あまりにも短文がベースになっている SNS では、“対話” 以前に互いを尊重し、相手の言っていないことを想像して話さないという行為が非常に困難であると今は判断して距離を置くようになりました。
言葉としてある “対話” を一つ取っても、その行為に共通する認識が異なる他者と対話を試みる場合、“対話とは互いの違いを理解し合う行為であり、それにはコミュニケーションが不可欠である” という事が抜け落ちていると、他者と意見が異なる場合、不遜になったり酷く感情的になってしまい話し合うこともままならなくなってしまいます。
※この“対話”という行為については、物理学者のデヴィッド・ボーム氏がまとめた著書『On Dialog ダイアローグ─対立から共生へ、議論から対話へ』(https://eijipress.ocnk.net/product/75)が参考になりましたので、お時間があればご覧下さい。

また、昨年の2021年の11月にトランスジェンダーについてのファクトチェックや知識を発信する情報サイトが立ち上がっておりましたので、こちらも併せてどうぞ。

nordot.app

trans101.jp


丁度、三年前に大病を患って命を失いかけた際にも思いましたが、それと同じく周りの人々に助けられて今も生きています。これは、たまたま僕が生きていたから言える事なのですが、これから先、身近な友人や他者が ヘイトスピーチ “人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、容姿、健康(障害)などに基づいて、個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動のこと” を受けているのを目撃したら、出来れば声を掛けて欲しいです。
集団からヘイトを受けると、自尊感情が著しく欠如し、怒りや悲しみ、諦めにとらわれ、判断能力が混乱し普段考えないような決断に踏み切ってしまいそうになります。
今の僕が生きていられるのは、あの時、見知らぬ僕にもメールやDMで声を掛けてくれた人、直接相談を受けてくれた人、身近で支えてくれた人のおかげで今の命があります。本当に、助かりました。ありがとうございます。その優しさが人を救う架け橋になっていますよという事を伝えたいです。引き続き、個々の仕事も勿論そうですが、僕が出来る形で社会参画しつつ、これからも活動を続けていきます。

最後に、タバブックスより発行されている『仕事文脈 vol.18』(http://tababooks.com/books/shigotobunmyakuvol-18)より “10年10人のshit” という企画で寄稿した文章の中から、私の指針に当たる箇所を引用して終わります。

私は私の怒りを豊かに説明するために、言葉を覚えてきた訳ではありません。本当は、身近な親しい人々やこれから出会う人たちと対話を重ねていく術として、言葉を使っていたい。しかし絶望して何もしないでいたら、またセーフティネットをすり抜ける人が増えていくかもしれない。だから自分のできる範囲で、引き続きおかしなことにはおかしいとアクションを起こしていこうという所です。それは、たとえば署名だったり、友人と話し合うでも良い。すべてとは言えないけれど、日々の営みは政治に繋がっていると考えています。それが自分たちや様々な世代に影響を及ぼし響き合って、今よりもより良い未来に続いていくと信じていたい。



■ 宮本 七生
1986年生東京在住のフォトグラファー。Web媒体やアパレル、オンライン署名のChange.orgなどさまざまな媒体で活動中。
https://miyamotonanami-view.com/
https://www.instagram.com/miyamo1073/

台車の話(あめち)

台車の話

 

みなさん台車好きですか?

 

基本的には四角い箱か板にタイヤが4つ付いているアレです。

 

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(スタンダードな台車)

 

 

ぼくは台車が好きです。

 

職業的にも台車に触れる機会が多く、仕事の効率も台車の性能に左右されると言っても過言ではありません。

 

 

その為多いときには最大4個の台車を所有していました。

 

体は1つなのに3個の台車、、愛故に、、、というのもありますが、それぞれ性能が異なるからですね。

 

そんな私が所有してきた(している)台車を紹介したいと思います。

 

皆さんの台車チョイスの参考になれば幸いです。

 

 

 

 

 

①スタンダード台車タイプ(過去所有)

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冒頭で出てきたThe台車というタイプ。

 

素材も機能も色々なタイプがあって、樹脂製の軽量タイプが人気。価格も安めな物が多いようです。

 

難点は箱物タイプの荷物に特化されているということ。長物や転がるタイプの荷物にはあんまり向かないです。

 

ただ価格的にも安いのでこれを愛用するカメラマンも多く、アシスタント時代には不安定な物の上に裸の三脚なんかを乗せたりするので盛大にひっくり返したこともあります。

 

そういう時にはバチクソに叱られるのでこの台車が嫌いだったこともあります。

 

 

 

 

 

 

 

②アウトドアタイプ(現在所有)

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最近持っている人も多い、アウトドアなんかで使うキャリータイプのカート。

 

このタイプの特徴は軽い、大容量、折りたためる、デザインが色々あってかわいいという点です。

 

箱タイプの荷室なので何も考えずに物を詰めても途中で落としたりする心配が少ない、最強のカートです。

 

板を付けてテーブルにできる物もあり、台車界で今最も進化が進んでいるタイプでしょう。

 

難点としては結構大きいのと、キャリータイプということで操作が慣れないと難しい、小回りがきかないという点です。

 

ぼくもそうですが、周りのカメラマンも結構この台車を使いまして、オフィスなんかをガンガン進むには気が引ける台車です。ガンガン使いますけど。

 

Cスタンド10本くらい積んでもびくともしないです。

 

 

 

 

 

③店舗用運搬タイプ(過去所有)

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スーパーなんかで皆さんもよく使うアレです。

 

あれを自己所有している人も珍しいと思いますが、結構便利です。

 

元々の用途がそれなだけに特に小物を運搬するには最高です。

 

ちなみにぼくが所有していたのは日本製のものではなく、ドイツ製の物でした。

 

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なにが違うのって点ですが、日本の物と違って樹脂製で軽量、折りたためて真っ平になります。(車輪も4輪外せて収納できる)

 

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なのでロケバスなんかに積んでたり、そういうロケ多いカメラマンが使っていたりします。

 

業務以外にも、マンションの駐車場から荷物を運んだりとかなり活躍の場が広い台車です。

 

手放した理由は、ぼくのヘビーな利用にはちょっと心細いという理由です。(耐荷重は数十キロあるので通常使用は全く問題ないでしょう)

 

 

 

 

 

 

④ヘビー業務用タイプ(現在所有)

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仕事柄結構ヘビーな荷物を運ぶことが多いので、思い切って本格的な業務用のカートを導入しました。

 

今回導入したカートはアメリカのROCK N ROLLERというメーカーのカートです。名前なんやねん。

 

元々の使用想定がミュージシャンのローディーや映像系の人たちらしいのでピッタリ。

 

自分の用途に応じて本体を伸ばしたり縮めたりできるので、狭い場所でも使えるニクイやつ。

 

たださすがアメリカで、作りはクソ雑だし後輪タイヤの取り付けもピンで刺して曲げるだけ、しかもそれで耐荷重200キロ違いんだから、、、マッチョ、、、、。

 

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しかもこれ棚が追加できたりして、荷物を運んだ後にも仕事ができるナイスなカート。ナイスカート。

 

使ってみた感想はというと、70/100点くらい。

 

値段はそんなに高くなくて2万円くらいから買えちゃうので気になる人はチェックしてみてください。

 

 

 

 

 

 

最後に、、今後欲しいと思っている台車を紹介して終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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これ。

 

 

いわゆる撮影専用台車。マグライナー的なやつです。

 

映画やCM、プロ中のプロが使う撮影に特化した台車。

 

値段75万円。

 

 

 

は?

 

 

 

 

75万円。

 

 

 

 

え?

 

 

 

 

750000円。

 

 

 

 

 

くそたけ〜〜〜〜

 

 

 

 

ちなみに重さは52kgあります。

 

 

 

 

エンジンがついてて東京ー神奈川まで1時間で移動できなきゃ納得できなくない?

 

 

 

 

皆さんも自分に合った台車で、人生を豊かにしてみてください!

 

 

 

あめち(カメラマン)

 

物撮りと人物。たまに照明部で働く。

タイヤが4つ付いている物と酒が好き。

 

https://salon.io/Mori

 

おわりに

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どうも、『吹けよ春風』主筆の相馬光です。

この度は最後までお楽しみいただき、ありがとうございます。

このWebZINEがまさかこんなに続くとは思いませんでした。

春が近づくとこのZINEのことが頭の中をふわふわと駆け巡るようになりました。
そして公開日の4月16日が大切な人の誕生日のようなそんな感覚になります。

今年はnoteからはてなブログに移り、独自でドメインを取得いたしました。

大きなお引越しをしたな、と思いましたし、別のZINEになってしまうのではないかと心配しておりました。

しかし集まってきた記事をひとつの目次の形にまとめた時に、
やはり『吹けよ春風』は『吹けよ春風』なんだなと感じました。

今までもご参加いただいた執筆者に加え、今回もまた新たな執筆者をお迎えすることができました。

みなさまの記事はどれも素敵でこの文章を早くたくさんの人に見てもらいたい!という気持ちでいっぱいでした。

こうして公開できることを心よりうれしく思います。

また、今回はcodocというサービスでサポートを受け付けることにいたしました。
ドメイン取得の際にかかったホームページの運営費と、それ以上のサポートをいただいた場合は全て日本赤十字社の『ウクライナ人道危機救援金』への寄付に使用いたします。

従来通り、記事はすべて無料でお読みいただけます。
もしもサポートをしたいという方がいらっしゃいましたら、ご協力いただけますと幸甚です。

もはや年中行事のようになりつつありますが、もし来年もお会いすることができましたら、その際にはまたみんなで楽しくわいわいできたらうれしいです。

それでは。

吹けよ、春風。

WebZINE『吹けよ春風』2022年復刊号目次

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1、ごあいさつ

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2、記憶の片隅にある(どうでもいい)言葉について(橋本 夏)

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3、歌って踊るために生きてきたんじゃないかって(天羽尚吾)

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4、広島のローカル番組では、アンガールズ田中が広島弁を使う(北向ハナウタ)

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5、雑誌の図書館、大宅壮一文庫へ行って雑誌以外を楽しむ(相馬光)

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6、ほのぼの育児エッセイ(arata

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7、地中に眠る物語(諸橋隼人)

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8、もっともっと脳と仲良くしたい(七海仁)

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9、リンダルー(次七)

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10、角の国(世田谷アメ子)

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11、しめてくれ!(インターネットウミウシ

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12、忘れてしまうもの(ちゃっきー)

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13、「『やついフェス 勝手に応援記事』のその後」のその後(うめすみ)

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14、2020年4月の私に伝えたい「6つの変化」(はとだ)

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15、もう止めようぜ。『スパークス・ブラザーズ』が始まってることだし(赤松新)

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16、Continue to be saved.(宮本七生)

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17、ここではないどこか 〜2022年春・沖縄〜(せともも)

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18、台車の話(あめち)

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19、居酒屋百景(日下田)

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20、発展途上演技論・筒編(平野鈴)

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21、桜って僕らのために咲くんだと思ってたけどそうでもないな(篠原あいり)

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22、春の野の花たちへ(weed)

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23、おわりに

fukeyoharukaze.com

春の野の花たちへ(weed)

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「Poetomy」(ポエトミー)の皆さん、
こんばんは。

一斉送信で失礼します。
weedです。

「こんにちは」や「おはよう」の方も
いるでしょう。

私の住んでいる北の島は、
陽が落ちて、
海鳥たちが静かに
浜辺で羽を震わせています。

今日は一日中ぽかぽかと暖かくて、
風が吹いて気持ちのよい日でした。


土曜日のミーティングでは、
皆さんありがとうございました。

そして、我らが詩のweb同人誌
「Poetomy」
創刊2周年おめでとうございます。


私たち、
お互いの作品は知っているけれど、
顔を見て集まるのは初めてでしたね。

集まるといっても、
パソコンの画面上だし、
国も昼夜も様々だし、

なかなか全員揃うのは難しいね、
って感じでしたけど、
それでも皆さんとお話しできたこと、
とても大切な時間になりました。

参加するまでは、
「やっぱり詩作についてとか、
世界情勢とか、
真面目な話や議論になるのかな」
なんて、
ちょっと身構えていたのですが、
とんだ杞憂でした。


ワインを片手に、
画面からはみ出しながら
民族舞踊を踊り続け、

最後は顔が紫色になっていた
南の共和国のウシガエルさん、
二日酔いは治りましたか?


いきなり一人ポエトリー・
リーディングを
始めたかと思えば、

他のメンバーの詩に
めちゃくちゃな節をつけて
熱唱していた、
東の村の学生・小指君、

君のキャラには助けられました。
ありがとう。


皆さんが詩のみならず、
ユーモアの才能にも
恵まれている方々だと
いうことが分かって、

改めて「Poetomy」に
参加していることを
幸せに思いました。

ありがとうございました。

今回は残念ながら欠席でしたが、
創刊号から欠かさず投稿している
sunflowerさんも、

次回はぜひお待ちしています。
(そういえばsunflowerさんって、
お住まいはどちらなんでしょう?)


これからもそれぞれの場所で、
それぞれの詩を
語ってまいりましょう。

そしていつの日か、
この世界のどこかで
皆さんと直接集まって、

マスクもワクチンもなしに
抱き合ったり笑い合ったり、

詩を詠み合ったりできることを
願っています。


我ら「Poetomy」の
ますますの発展を願って。


また次号、Spring issueで
お会いしましょう。


2022.2.23
Message from:
weed


——-

「Poetomy 2022.Spring issue」
(2022.4.16 発行)


○編集後記

「Poetomy」の皆さん、こんにちは。
今号も投稿お疲れさまでした。

今回の編集後記は、
北の島より私weedが担当いたします。


皆さんは、我らが「Poetomy」の由来を
ご存知ですよね?


そうです、
poetry(詩)にanatomy(解剖)を
足した編集長の造語です。


私たちの愛する詩を、
細部の細部、奥の奥まで解体、
分析して、

創造と破壊、そして再生を図ろう
という試みを表しているそうです。


2年前、世界が未知のウィルスに直面し、
大切なものは自分で守ろうと思い立った
編集長が、web上の同人誌として
「Poetomy」を創刊しました。


国、
人種、
民族、
宗教、
言語、
性別、
年齢、
職業、
他のいかなる属性に関係なく、

ただ詩を愛する人が集まって、
詩を詠み、語り、唱い、叫び、

そうやって私たちは互いの言葉を感じ、
受け取って、

悲しみや怒りをともにしてきました。

皆さんはこの2年間、
私とともにいてくれた。


そのことを
どんな言葉で感謝すれば足りるのか、
わかりません。


私のペンネーム・weed(雑草)は
子どもの頃のあだ名です。


私はこのあだ名が嫌いでした。

背が低く不細工で、
ドジでのろまで役立たず。


いてもいなくても変わらない。

踏み潰してもかまわない。

周りの子どもたちは
私のことをそんなふうに
見ていたと思います。


「Poetomy」の皆さんは優しいから、
「そんなことない」とか
「ひどい同級生だ」と
思ってくださるかもしれません。


でも、違うんです。
私のことを誰よりもweedだと
思っていたのは、
私自身だったの
です。

自信がなくて、人と比べて落ち込んで、
「私なんて」と思うことで
努力や戦うことから逃げていた。


語りたい言葉を吐き出すことが怖くて、
窒息しそうに苦しくても
飲み込んできた。


自分を踏み潰して何でもないような顔で
のうのうと生きてきたのは、

私なのです。

そんな私が、詩に出会いました。

言葉を紡ぐ楽しさと、
息をすることの気持ちよさを
知りました。


仲間ができました。
それは時にはライバルであり、
ともに戦う同志になりました。


どんな場所で、
どんな暮らしをしているのかも
知らない。

本名や、
顔すら知らない人だっている。


でも、互いの痛みを知っている。
かなしみを知っている。
悔しさを知っている。
よろこびを知っている。
生きていることを、知っている。

私は自分のペンネームを
愛しています。

誇りに思います。
強く、
たくましく、
生きていこうと思える名前だから。


そしてもうひとつ、
「Poetomy」のメンバーの中に
私の好きな名前があります。


sunflowerさん。

ひまわりって大きくて凛々しくて、
強い花ですよね。

私の雑草とは大違い。
あ、また人と比べて卑屈なことを…

でも、ひまわりの見事な咲きっぷりと、
堂々とした佇まいには
やっぱり勝てません。


勝てないといえば、
sunflowerさん、
あなたの詩です。


「Poetomy」が発行されるたび、
私は真っ先にあなたのページを
クリックして、

ドキドキしながら一度読んで、
「うわぁぁ〜やられたぁぁぁぁ〜」
ってなって、

それから深呼吸して
もう一度読んで…っていうのを、

一体どれだけ続けてきたと思います?

あなたがいたから、
私は詩を続けることができたんです。

逃げずに戦わなくちゃと思えたんです。

それなのに、あなたときたら…

「しばらく休載」って、
どういうことですか。


この間のビデオミーティングも
不参加だったし。


「やむを得ない事情」って、
何ですか。


「家がちょっと」って、
何ですか。

大体どこに住んでるんですか。

待たされる身にもなってください。
待って、
待って、
どれだけ待てば
あなたの詩に触れられるんですか。

言葉をもらえるんですか。
ため息を受け取れるんですか。
涙を拭えるんですか。
どうしたらあなたの苦しみを、
痛みを、
悲しみを、
虚しさを、
怒りを、
名付けることのできない感情を、
どうしたら私は、

私たちは、
ともにすることができるのですか。


答えをください。

投稿ができなくてもいい。

声を出せなくてもいい。

あなたのいまいる場所で、
あなたが詠みたい言葉を、
あなたの中で連ねていてください。

私はそれを受け取って、
触れて、
分析して、

あなたの言葉の奥の奥まで
解き明かしていくから。


応答せよ、sunflower。
現在地はどこだ。
応答せよ、
強く開いた野の花よ。

私たちはここにいる。
いつだって帰ってこい。
応答せよ、
応答せよ、
応答せよ、


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weed
北の島在住。
web同人誌「Poetomy」のメンバー。