Web ZINE『吹けよ春風』

Web ZINE『吹けよ春風』と申します🌸

BOY・meets・BOØWYとBowie 後編(赤松新)


〈BOY・meets・Bowie〉

“一生かけて作る音楽アルバム”ってのはあります?
10曲入りの、自分にとっての最強アルバム。
ある人はビートルズが多めに入るっていう人や、またある人は邦楽で固めるっていう人もいるだろうし。
なんだっていいんです。自分にとって最高であれば。
これがなかなか難しい。
どんどん素晴らしい曲が出て来るし、聴くタイミングで毎回印象も変わるし。
CDやサブスクで聴くのと、ラジオから流れてきたのを聴くのでは、また印象が変わるし。
でもなんとなく自分の中で「この曲は入るだろうなぁ」ってのはある。
その中の1曲で、まぁ今後何があっても絶対に入るのは「David・Bowie」の「Starman」。
1991年に布袋寅泰さんが「GUITARHYTHMⅡ」を発表されるんだけど、自身でやられてたラジオで何曲かかけてくれたの。
どれも最高で、「BEAT EMOTION」も「YOU」も「FLY INTO YOUR DREAM」とか、惜しげもなく流してくれて。
そこにカバーしてた「Starman」が流れたんだと思うんだよね。
それも滅茶苦茶かっこよくてさ。
確か布袋さんが和訳した歌詞を言ってくれたと思うんだよな。
「空にはスターマンが待っている 夢を忘れるな そこに価値があるんだ」的なこと。
素敵すぎない?
空を見上げれば、そこにスターマンが見守ってくれているっていうか。
きっとそこにいるんだろうな、見えないけど。
高校生の僕は、なんか本当にスターマンがいるような気がしてて。
なんかあるとこの曲を聴いてたような気がするし、色々な節目節目に必ずこの曲があったと思う。

音楽って人の記憶と密接に関係してるらしく、「これ聴くとあの頃の事を思い出すんだよな」ってのがある。
例えば僕は、浜崎あゆみさんの「Boys&Girls」とかその辺りの曲を聞くと、“ウーロン茶1杯650円”という超割高なカラオケ屋でアルバイトしてたこととか思い出す。
ポテチとポップコーンとポッキーを少量づつ入れたセットAが1000円とかで、バカみたいな値段でやってて、今はもう潰れたカラオケ屋。
「Blur」の「Modern Life is Rubbish」を聴くと、浪人していて通っていた予備校の前にある公園で昼飯を食べていたこととか。
その公園にはよく「祈らせてください」おばさんが多発してて、結構な頻度で声をかけられた。
「こうやって祈ってもらったら、大学に合格しますかね?」って聞いたら、「それはまた違う。勉強しなさい」ってド正論を喰らったこととか。
こんな風に「音楽」と「記憶」って本当に密接なんだなって思う。

それで「Starman」を聴くと思い出すのって、本当に色々な思い出が蘇ってくる。
高校3年生の時、別に好きでもないし一言もそんな事を言ってないのに「ごめん、赤松君とは付き合えない」って電話で言われたこと。
しかも当時なんて携帯とかないし居間にしか電話がなくて。
それを聞いてた親父が「なんだ?フラれたんか?」とニヤニヤしながら言って来て。
初めて「ああ……この気持ちが“殺意”っていうんだな」と思った事とか。
イラつきながら「Starman」を聴いた思い出。

他にも大学に全部落ちて浪人が決まった時の事。
浪人生の癖に、昼間っから映画館に行ってずっとそこにいた事とか。
その頃の映画館は、一回入ったらずっと入れるシステムで。
ちょうどお祭りの時期に朝から映画館に行って同じ映画を何回も見て、夕方に新潟の万代橋を渡っていた時に見たあの景色。
法被着た人達が美味しそうに缶ビールを飲んでいるから、酒なんて飲めない癖に自分もと思って買って飲んだら全部吐いちゃった時の事。
その後に公園で「Starman」を聴いてたな。

東京で一人暮らしした部屋に空き巣が入った時もそうだった。
大学に合格して初めて住んだアパートが「メルヘンランドC」とかいう、ラブホテルみたいな名前のアパートの103号室。
夜に帰ってきたらなんかおかしいの。
部屋がいつもより荒れてるというか、なんかを引っ掻き回した後があるというか。
そしたら、窓ガラスの鍵の所が壊されていて、そこから侵入。
「あ、泥棒だ。警察に連絡するか」って結構冷静だったんだけど、エロ本とかも散乱してたから。
「警察が来る前にこれだけは隠さないと!」って、急いで片付けたこととか。
よっぽど盗るモノがなかったのか、結局、1万円で買って履き潰したエンジニアブーツだけ盗られてた。
警察や鑑識が帰ったあとも「Starman」を聴いたっけな。

初めて出来た彼女との、初めての夜に変な腕立て伏せみたいな動きしか出来なかったこと。
吉本入ってルミネtheよしもとの満員の前で誰一人笑わないという大スベリをかました時の事。
ヤンシナの授賞式後に4人で食事した時の事。
初めて自分の脚本がテレビで放映された時の事。
色んな時に「Starman」を聴いていた気がする。
聴きながら空を見上げるの。

「空にはスターマンが待っている 夢を忘れるな そこに価値があるんだ」

きっとこれからもお世話になる曲の一つだと思う。

もちろん、David・Bowieには名曲がもっともっとあって。
まずはなんと言っても「Ziggy Stardust」のアルバムは一家に一枚の必聴盤。
「Starman」も収録されているし、有名すぎる曲「Ziggy Stardust」もカッコいいのなんのって。
あと僕が大好きなのが「Suffagette City」!!
もう最初からノリノリで聴いていると身体が勝手に動き出すというか。
で、2分50秒あたりで、曲がぶわーっと盛り上がったあとの「oh wham bam thank you maam」ってとこ!
このアルバムでも1,2を争うかっこよさだから聴いて欲しい!
それで言うと、「Young Americans」って曲ね。
ソウルっぽさのある超名曲なんだけど、3分54秒のバックコーラス。
「I heard the news today, oh boy!」
って入るの!!
ビートルズの「A Day in the Life」の歌詞なんだけど、この曲が収録されている「Young Americans」のアルバムにジョン・レノンも参加してて。
「Fame」では作詞作曲で、「Across the Universe」にはバックコーラスやってて。
この2曲も滅茶苦茶かっこいいんだけどね。
ちなみに、「Fame」って曲は1990年に宮沢りえさんが「Game」って曲でカバーして出してます。
その次の年に写真集「santa Fe」を出版。
「santa Fe」なんて、どこに行っても売ってなくて。
まぁ買うお金なんて持ってないけど、当時、カメラ屋の友達がいて、そいつに見せてもらったなぁ。

あとなんと言っても大好きな曲が「Modern LOVE」!!
2020年に日本公開の映画で、わたくし赤松が独断と偏見で決める「赤デミー賞」でこの年の作品賞にも輝いた作品。
「Modern LOVE」がかかった時の圧巻のダンスとタップ。
あれは映画史上にも残るシーンだと思うから、是非観てください!

本当に大好きなDavid・Bowieなんだけど、実は「LET‘S Dance」以降は追いかけてなくて……。
試聴などで聴いてはいたけど、CDを買うまでにはいたってなくて。
David・Bowieが組んだバンド「Tin Machine」もちゃんとは聴いてないかな。
その後のソロアルバムとかも。

でもこの前、David・Bowieのドキュメンタリー映画デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」を観に行きまして。
もうただただ素晴らしくて、「ああ、そっか……本当に亡くなっちゃったんだな……」って痛感して。
このドキュメンタリー映画は全部デヴィッド・ボウイがナレーションしてる作りになってて、まさに「ボウイの、ボウイによる、みんなの為の、ボウイの映画」って感じで。
ボウイの幼い頃の話も聞けるし、その観ていた世界、頭の中、スーパースターとして駆け上がったのちに起こる苦悩や葛藤、アーティストとしての矜持。
もう全部見せてくれる。
音楽だけじゃないボウイ。
戦場のメリークリスマス」や「ラビリンス」、あと舞台で「エレファントマン」もやってたボウイ。
画家としてのボウイや映像表現を模索していたボウイ。
で、それが全部、音楽に繋がっているという。
とにかく、ずっとアーティストというか、全てのみんなに何かを伝えようという事しか考えてない発信する人。
それを全部見せてくれた、このドキュメンタリー。
そこで流れる最近の曲とかも、やっぱり「David・Bowie」なんだよなぁ。

全世界の人が言っていると思うけど、David・Bowieは本当に宇宙から来た人で地球での役目を終えて、違う惑星に行っちゃたのかも。
だから最後に「★」というタイトルのアルバムを残して。
でも、空を見上げればずっとそこにいるというか、宇宙から見守ってくれているというか。
これから、David・Bowieが残してくれた作品を聴いてみよう。

そんな事を「Starman」を聴きながら、空を見上げて思っています。

「空にはスターマンが待っている 夢を忘れるな そこに価値があるんだ」


赤松新(吉本興業所属)
ルミネtheよしもと出演中
第29回ヤングシナリオ大賞・佳作受賞
映画やドラマ、舞台などに出たり書いたり。
Twitterやインスタもやってます。是非に。

 

おわりのまえに


 どうも、主筆の相馬光と申します。
 WebZINE『吹けよ春風』は、コロナ禍の在宅期間のささやかな楽しみになれればと思い創刊した雑誌です。

 中々先の見えない状況下ではございますが、少しずつ変わってきている部分もあるのかなと思います。

 もちろん、収束にはまだまだほど遠いです。
 きっとこれからもたとえマスクを外せるようになったとしてもコロナが脅威で在り続けることには変わらないでしょう。

 来年ももし、また今と同じ状況、もしくは考えたくはないですがさらによろしくない状況で、家から出ることがどうにもできない状況だったら、復刊をしようかと考えております。

 例え状況が好転しても、この『吹けよ春風』は続けようかとも考えたりしたのですが、やはり前に進む、という意味でもこの名前でWebZINEを刊行することに一区切りをつけようと決断いたしました。

 これまでたくさんの方にご寄稿いただき、こんなにも華やかなZINEになるとは思ってもいませんでした。
 執筆者のみなさま、そしてロゴデザインのくらちなつきさまに、厚く御礼を申し上げます。

 そしてお立ち寄りいただきました皆さま。
 皆さまにこのZINEは支えられて来ました。
 感謝してもしきれませんが、本当に感謝しております。

 本当は、最後の最後にこの記事を載せようと思ったのですが、この後にある記事をご覧いただきたく、今回はこのような構成にいたしました。

 それではみなさま、どうかご自愛ください。
 そしてゆかいに日々をお過ごしくださいませ。



 吹けよ、春風🌸

 

さよならだけが(宮本七生)

勧酒 于武陵


勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

于武陵の漢詩『勧酒』の一節を「花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」と訳したのは、小説家の井伏鱒二ですが、そこからその部分を受けて「さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう」と自身の詩『幸福が遠すぎたら』にて綴ったのは歌人であり劇作家の寺山修司。演劇を高校時代にやっていた私は、例に漏れず寺山の戯曲や詩作に触れて少なからず彼の思想の一端に影響を受けて、今に至っております。

限りある人生の中で、さよならという言葉を交わして、どれだけの時間をその時々のやさしくあろうとしている人々と共にしていけるだろうか。願わくば、道を違えても、それが今生の別れになったとしても、その時々で私は私の幸せを願うのと同じ様に、さよならを共にした人々の安寧を望みます。

 

 

■ 宮本 七生
1986年生東京在住のフォトグラファー。Web媒体やアパレル、オンライン署名のChange.orgなどさまざまな媒体で活動中。
https://www.foriio.com/nanami-miyamoto

https://miyamotonanami-view.com/

https://www.instagram.com/miyamo1073/

ほのぼの育児エッセイ2023 〜うちの子のかわいい語彙〜(arata)


今年もやってきましたね、春風の季節が。

去年はなにを書いたんだったかな〜と振り返ってみると、ほのぼの育児エッセイを書いていました。

そのときのエッセイに同じ月齢のお子さんがいらっしゃるという方からコメントがついていまして「更新楽しみにしています☺︎」ということだったのですが、なにせ僕のブログではないもんですから更新もなにもないな〜と1年間思っていたので、今回またお誘いいただけてよかったです。あのときコメントくださった方、見てますか?1年間放置してしまってすみませんでした。

あれからなにが変わったかと言うと、当時4ヶ月だった息子が今や1歳4ヶ月になりました。計算通りです。ハイハイもできなかったくせに、生意気にも歩くようになりました。そして言葉を使うようになってきました。言葉といってもまだほぼ単語のみですが、日々着実に語彙が増えています。人が言葉を覚えていく様子というのはたいへん興味深いものですね。

ということで今年は「ほのぼの育児エッセイ2023 〜うちの子のかわいい語彙〜」をお送りしたいと思います。

去年に引き続き、他人の子の話など興味ね〜という方はAmazonプライムビデオで『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』でも観たらいいと思います。すごいおもしろいので。

 

まずは食べ物篇。

 

【べんべー】

たぶん1歳2ヶ月くらいのとき、最初に「えっいまこの子喋ったよね!?」ってなったのがこの言葉だったと思います。せんべいのことです。「せんべい食べる?」と聞いたら「べんべー」と答えたのです。これは感動しました。それがだんだん崩れてきて、今は「ばーばー」になっています。なんでせんべいから遠ざかるんだ。

【しりしり】

シリアルです。

【でゅーでゅー】

牛乳です。朝はしりしりをでゅーでゅーに入れて食べています。

【ちっちー】

クッキーです。すぐ覚えた割に食べてみたらあんまり好きじゃなかったという少し珍しいパターンのやつ。

【ちー】

チーズです。あの丸いキャンディチーズってやつ、懐かしいですね。べんべーと同じように「チーズ食べる?」と聞くと「ちー!」と答えてくれて最高かわいかったんだけど、最近そこまで好きじゃなくなってきたようです。

【ちー】

イチゴです。果物大好きで特にイチゴはすごい勢いで平らげます。はじめは「イチゴ食べる人〜」「はーい!」というやりとりだったのに、最近は先に「はーい!」と言ってイチゴを要求してきます。そんなに毎日は買えませんよ。イでもゴでもなく2拍目のチを取るのは意外と珍しいパターン。チーズとかぶっているということについては本人あまり気にしていないようです。

【ぶー】

ぶどうです。10ヶ月くらいのころに親から立派なシャインマスカットが送られてきたのですが、その時はちょっとしか食べなくてなんだこいつと思ったのですが、今ではイチゴと並んで大好物になりました。また送ってもらえるといいのですが。

【ぼぼ】

桃です。桃ですがまだ食べさせたことはなくて、桃アイスの空き容器で遊ばせてたら覚えたので、ピンクの丸いもの全般を「ぼぼ」と思っている可能性は少しあります。

【ちっちちっち】

ホットケーキです。これも正確には食べ物ではなくて、『しろくまちゃんのほっとけーき』という絵本を指しています。

【ぼっこ】

ブロッコリーです。ちょっとネイティブな発音っぽくていいですよね。なんのネイティブかはわかりませんが。

食べ終わったはずのイチゴの最後のひとかけらを握り続けている

 

続きましてキャラクター篇。

 

【シュッシュ】

おとうさんといっしょ』に登場するキャラで、子が初めて名前を呼んだ人物(?)です。お父さんよりもお母さんよりも先にシュッシュでした。中の人はアメリカザリガニの柳原さんだそうです。相方のポッポのことも呼んであげてほしい。というか、回数で言ったら『おかあさんといっしょ』のルチータ、みもも、やころ、あーぷんのほうが多く見てるのに、そっちは覚えないのなんでだろう。

【しりしり】

カエルです。『おかあさんといっしょ』にけけちゃまというカエルのキャラがいるのですが、そいつの登場ソングが「知り知り知りたいな なーるケロ♪」という曲で、そこからけけちゃま=しりしりになり、転じてカエル全般がしりしりになりました。

【ちっちー】

ミッキーです。アニメとかは見せたことないんですが、お土産の缶とか、妻のTシャツのプリントとかですぐ覚えました。ディズニー恐るべし。

【ぱんぱんぱん】

アンパンマンです。これもアニメとか見せてなくて、むしろあんま見せないようにしようとしてたのですが、小さな絵本とアンパンマンパンの袋の絵ですぐ覚えました。やなせたかし恐るべし。

【もん】

ドラえもんです。これは積極的に覚えさせようと思っていました。普段僕はドラえもんのマグカップでお茶を飲んでいるので、それを見せて「ドラえもんだよ」と言っていたらある日「もん!」と言い出して、そっちか〜!と思いました。なんですか、人がどんなマグカップを使っていようと別にいいじゃないですか。ほっといてください。

【ぱ】

これはパディントンです。ドラえもんがもんならパディントンはトンだろうという大人の浅はかな予想は簡単に裏切られました。Eテレで『パディントンのぼうけん』というCGアニメのシリーズをやっていて、すごく食いつきがよかったので録画して見せてたら僕がハマってしまいました。パディントンが居候してる家の隣にカリーさんというオッさんが住んでるんですが、この人がなかなかの変人で、カフェで水道水しか注文しないやばい人でおもしろいです。

オンバト世代

 

日常篇。

 

【ちし】

ティッシュです。「ちし!ちし!」と言いながらティッシュを細かく千切ってばら撒きながらパレードしてたのでティッシュ箱は彼の手の届かない所に置くことにしました。おかげでいますごい不便。

【も】

ひもです。ドラえもんと同じように、語尾を取るパターンがわりとあるんですね。

【ぽ】

散歩です。これも語尾を取るパターン。上着を着るなど出かけそうな雰囲気を出すと「ぽ!」「ぽ!」と言って散歩を要求してきます。

【ちっちー】

うんちです。うんちっちからちっちだけが残ってしまいました。

【ぱっぷー】

CPAPです。いろいろあって(おもに睡眠時無呼吸症候群)最近CPAPを装着して寝てるんですが、それが届いた日に「これがシーパップか〜」とか話してたら「ぱっぷー」とか言い始めたのでそんなの覚えなくていいよ〜となりました。

【ばぶ】

バブです。お風呂の。赤ちゃんって本当に「ばぶー」って言うんだ!という謎の感動がありました。

【じ】

字です。これが最近の僕の一番のお気に入り。絵本やチラシなんかの字の部分を指して「じ」と教えてくれます。

天才かよ

 

教えてるのに一回も言ってくれない篇。

 

【おはよう】

毎朝起きたら「おはよう〜」と言ってるのですが、ガン無視。まだあいさつの概念がわかってないようです。

【とうちゃん】

とうちゃんさみしいです。(ママは言う)

うらやましい

 

以上、「ほのぼの育児エッセイ2023 〜うちの子のかわいい語彙〜」をお送りいたしました。チーズとイチゴのところにも書きましたが、結構かぶりがありまして、シリアルとカエルが同じ「しりしり」だったり、「クッキー」と「ミッキー」と「うんち」が「ちっちー」になったりしています。これは同音異義語と言って、どのちっちーなのかは文脈で判断していくしかありません。30符4飜であがったのかな?と思ったらうんこしてたりします。

他人にはまじでどうでもいい話になっちゃうだろうな~というのは始めからわかってはいたのですが、書いてみると思ったより他人にはどうでもいい話になってしまいました。まあ僕が数年後に読んだときにはきっと楽しいんじゃないかなとは思います。数年後の僕、読んでみてどうですか?懐かしい感じ?腰痛はどう?こういう長い文章書くの慣れてなくて、どうやって終わったらいいかわかりません。とにかくお付き合いいただきましてありがとうございました!また来年!(あるの!?)

 

プロフィール

主にツイッターにてツイッター活動を活動中。
厨房を通り抜けて逃げるシーン愛好家であるとともに、誕生日を祝うシーン愛好家でもあるという。あと映像ディレクターでもあるという。

https://twitter.com/arataito

WebZINE『吹けよ春風』2023年復刊号その1 目次

f:id:fukeyoharukaze:20220403111159j:plain

1、ごあいさつ

fukeyoharukaze.com

2、お抹茶が飲みたい(ひなてこ)

fukeyoharukaze.com

3、ほのぼの育児エッセイ2023 〜うちの子のかわいい語彙〜(arata

fukeyoharukaze.com

4、日晷儀の日々(次七)

fukeyoharukaze.com

5、青臭くってもいいじゃないか 心の底から夢を見ようよ(海老原恒和)

fukeyoharukaze.com

6、怪談収集家、夢を叶える(オオタケ)

fukeyoharukaze.com

7、地上ツアーへようこそ(七嶋ナオ)

fukeyoharukaze.com

8、竹林・ウワーッ(あばら粉砕コース)

fukeyoharukaze.com

9、カマンベール(ハーシップハーシップ)

fukeyoharukaze.com

10、それは天啓、あるいは(レジーオーウェン

fukeyoharukaze.com

11、ある春の夜のビール(とんこつ一番豚しぼり)

fukeyoharukaze.com

12、アイツから逃げ切れなかったのでホテルで過ごした記録(うめすみ)

fukeyoharukaze.com

13、小さいものの大きい変化(橋本夏)

fukeyoharukaze.com

14、ビジネスパートナー(諸橋隼人)

fukeyoharukaze.com

15、謎のお菓子と、メスティンで作るシーチキンペペロンチーノ(仲井 陽)

fukeyoharukaze.com

16、サスティナブル・オタク・ライフ(森山流)

fukeyoharukaze.com

17、BOY・meets・BOØWYとBowie前編(赤松新)

fukeyoharukaze.com

18、約10年前のわたしへ(兵藤るり)

fukeyoharukaze.com

19、ことを投げるなや(インターネットウミウシ

fukeyoharukaze.com

20、ひとりぼっちの世界(次七)

fukeyoharukaze.com

21、おわりに

fukeyoharukaze.com

ごあいさつ

どうも、WebZINE『吹けよ春風』と申します。

2020年の緊急事態宣言下から毎年不定期刊行してZINEです。
2020年、2021年、2022年、そして今年、2023年。
毎年書いている気がしますが、このZINEがそんなに続くとは思ってもいませんでした。


今年もまたさらに新たな執筆者さんをお迎えでき、誠にうれしく存じます。

突然のお声がけにも関わらず、快く執筆を引き受けてくださったみなさま、そしてこのZINEのロゴを作っていただきました、くらちなつき様に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

今年もあたたかだけどどこか爽やかでほっとする、心地よい風が吹いております。

毎年訪れてくださる方に、今回初めて訪れてくださった方に、春風が届きますように。

心ゆくまで、お楽しみくださいませ。

お抹茶が飲みたい(ひなてこ)

ここのところ和菓子にハマっている。京都でお気に入りの和菓子屋さんができたため、季節のお菓子が変わったと聞いてはウキウキで出かけては、いくつかの持ち帰りのお菓子を購入し、店内でいただけるお抹茶と和菓子のセットを頼む。

 

私は根っからのコーヒー党なので、家ではおやつがケーキだろうが大福だろうがコーヒーを淹れるんだけど、やっぱり抹茶と和菓子というのは最高の取り合わせである。和菓子はそこまで香らないのでコーヒーが相手でもおいしさが損なわれる事はないんだけど、引き立てあうかと言われるとちょっと違う…という気がする。

 

なんか私、お茶点ててみたいかも。

折しも外は春。ちょっと桜でも見ながら野点できたら最高なのでは…!?

 

突然そう思い立ったら最後、やってみたくて仕方なくなった。

でも茶道を習うのはあまりに仰々しすぎる。正座できないし。

調べてみるとmonbellやsnowpeakがかっこいい野点セットを出したりしているのが分かった。でもたっけェ〜。とりあえずあのシャカシャカするやつとお茶碗さえあればなんとかなるんじゃないか?などと思い、私が唯一知っているお茶のブランド「一保堂」のwebサイトを覗いてみたところ、「抹茶スターターキット」なるものが売られていた。

 

抹茶スターターキットはじめの一保堂(のどか)

いいじゃん!

うーん、でも6千円かぁ。どうせなら気に入ったお茶碗を選んでみたいしなぁ…実物見たいかも…などと考えながら、最寄りの一保堂を訪ねてみた。

そこで店員さんに経緯を話すと、「あらぁ、なにもこんなセットなんて買わなくても、シェイカーで振って飲んでもいいんですよ!味はおんなじだから!」と言われて、私は雷に打たれた。

 

シェシェシェシェイカーで!?

そんなんで…………いいの!?

 

お作法も何もないその答えに衝撃を受けたが、よく考えればこの人は茶道家ではなくお茶屋さんである。そりゃみんなに気軽にお茶飲んでもらったほうがいいよね!

自分の中のお抹茶=敷居が高い、という固定概念が壊された瞬間だった。

結局その日は一番お求めやすい抹茶をいただいて帰った。お値段なんと648円。最初に手を出そうかと悩んだスターターキットの十分の一だ。これで20回飲めるらしい。

 

シェイカーで飲むお抹茶は一保堂のサイトにもシャカシャカ抹茶として掲載されていた。

私がイメージしていた温かいお薄ではなかったが、これならすぐさまできるじゃないか!

 

 

早速こどもと川で遊ぶ時のお供として持ってきてみた。

私は緑茶を飲んだ後に舌に残る渋味が好みではなくあまり飲まないんだけど、抹茶には渋さがなくほのかに甘い気さえする。

こんなに簡単に「外で桜を見ながら抹茶飲んで和菓子食べたい」という夢が叶ってしまった。

 

とはいえ私は工芸科出身なので、茶道具の格好良さとか伝統にも興味がある。見様見真似で茶碗でお茶を点ててみたら、お湯を入れたときに抹茶が飛び散って(ああ、こうならないようにするためのお作法があるはずだ…)ということを如実に感じた。いつかは本格的に茶道を習ってみたい。正座できないけど。

 

このあと茶筅(シャカシャカするやつ)買った

 

それまでは気軽に自分の好きなように抹茶ライフを楽しんじゃおうと思って、抹茶ラテを作るべく百均でミルクフォーマーを買ってみたんだけど、用意した器が浅かったようで牛乳を360°キッチンに撒き散らしました。皆さんはお気をつけください。

 

最悪



Author:ひなてこ

タツノオトシゴが好き。吹けよ春風創刊号では生後半年だった赤ちゃんは、この春から幼稚園に通い始めました。

Twitter @Hinatic

ブログ「てこログ」

https://hinatic.com/

青臭くってもいいじゃないか 心の底から夢を見ようよ(海老原恒和)

「結晶化」っていう現象があるらしい.。
ちょっと前に何かの本で読んで引っかかるところあって、、、

あの日あの時あの瞬間、私はこれをしたいと思った。
あの時のプレーは今でも覚えてる
あの映画は最高だった、感動した
とか。

やりたいと思った原体験。何かを
好きになったきっかけを指したりするみたいです。
忘れかけてた頃に、その「結晶」に向かって人生は進んで行っていたり、行ってなかったり。

小さい頃に「将来の夢は??」
なんて嫌というほど聞かれるのに
大人になったら「なに夢見てんだよ」って言われる
僕ら夢想家には生き難い世の中になっちまった


実は、昔っから「もの書き」なるものに憧れていて、「作家」とか「小説家」とか、包括して
「もの書き」なぜか「もの書き」
僕は音楽好きだし、語感がいいのかな
それに俳優なもんで、
言葉を美しく操る職業かっこいい


個人的にnoteを始めてみたり、1行で辞めちゃった戯曲があったり、
シドフィールドの本やSAVE THE CATも持ってたり、
コラムだって秘密のノートに溜まったりしてる
今まで何度も書いてみたいって思うことはあったんですが、その度途中で辞めてるんです
それに、実兄は「物書き」なんです。


今年ミュージカルをやりました
とても素敵な作品で「NOW LOADING」
作曲を始めた頃から、いつかは!いつかは、、、!
ってずーっとミュージカルの作曲をしたいって思っていたら出演と作曲をすることになり、、、
あれよあれよという間に進んでいって
簡単に言えば一つ夢が叶ってしまったわけです
自信もついちゃって、今や二作目に取り掛かってます

他にも、気がつけばたくさんつながる

漠然と、夢って叶うんだなあって思ったりして
まだまだ叶えたい事はたくさんありますけど
でもこういう積み重ねが「人生」なのかもなあなんて思ったり
捨てたもんじゃないかなって、救われて


うちの一家は祖父母からの影響が強いと言いますか、
ええ、2人は圧倒的存在感でした
なんてったってどっちも医者
僕が音楽を好きになるきっかけは祖母の影響で
毎週土曜日に祖母は自宅で歌のレッスンを受けてました
隣で見ていた僕は今でもその時の曲をそらで歌えるほど
何より歌がものすごくうまかった
祖母の声の艶をきっと僕は受け継いでいてほしい
僕の人生に歌を与えてくれました
これに人生決められたと言っても過言じゃない

祖父は俗にいう活字中毒ってやつで

朝5時まで毎日本を読み続けるほどだったらしいです
ビールとウイスキー、タバコに小説を愛して
それでいて医者なんだから
渋かっこいいの詰め合わせだし
ワードのセンスもなんだかカッコよくて
「すごい」→「極めて」
「美味しい」→「いい味だ」ってなるし
カップラーメン食べて「世の中にはこんな美味いものがあんのかあ」って言っちゃうし
戦時中の話も幼心には衝撃の数々
「まつ毛ってなんであんの??」って聞いたら
いきなり目の前のお茶を頭から被って
「ホラ、目に入らないだろ?」って実演してくれるし
床抜けるんじゃないかっていうほどの
そんな祖父の書斎の本たち
小さい古本屋なら出来るかもしれないほどの量
そうです、きっとこれが「結晶化」

「物書き」に憧れを抱いていたことなんて
忘れた頃に、「webZINEになんか書いてみない?」ってお話がくるわけです
そうしてまた夢が叶うんですね
人生って捨てたもんじゃないってまた思えるわけです
また明日生きていける
好きはいくつあってもいいし
やりたいことはいくつあってもいい
夢こそいくつあってもいいんだ

泥臭くってもいいじゃないか
密かに夢を叶えていこうぜっ


海老原恒和(エビハラ ツネカズ)
俳優・音楽家
シンガーソングライター「恒和」として
各配信サイトにて楽曲配信中
出演作
ドラマ「相棒」 ミュージカル「NOW LOWDING」 映画「東京リベンジャーズ」
「私たちの声」2023年秋公開予定など

怪談収集家、夢を叶える(オオタケ)

はじめまして。

福岡在住で怪談収集をしております、オオタケと申します。

「怪談収集家」の活動内容としては、怪談奇談不思議な話を聞き集めて、それをイベントや配信などで語ったり(最近は有難い事にテレビでも語らせて頂きました、楽しかったです)もしくは文章にして発信すること。

また、集めた怪談を、体験者の方に許可取りをした上で語らせてほしいという方に「提供(貸し出し)」する活動を行なっています。

 

 

今回はそんなわたしの夢の一つが叶った話をさせて頂こうと思います。

 

 

時を遡って半年前、わたしは怪談イベントの「裏回し」をしていました。怪談イベントをするのは、界隈では有名な怪談師さんたち。

(怪談師とは怪談語りを生業にしてるプロの語り手さんたちだと思ってください。細かく言うと諸説あります。わたしは「怪談収集家」なので語りが主要になる怪談師とはちょっとジャンルが違います)

そんな怪談師さんとイベントを行う会場側のスタッフさんとの間に入って、イベントで発生する料金の確認や什器配置の確認、タイムテーブルの作成や当日のスタッフ業など、細かい業務を行なっていました。

実績が出来るとまた他の有名な怪談師さんから声が掛かり、会場側との橋渡しをしていました。

 

 

そうして日々をバタバタと過ごしているある日でした。

夫から急に、

「もったいないなと思わへんの?」

と声を掛けられました。

「そんなすごい人たちのイベントに関わってるのに、名前がクレジットされないの、もったいないって思わへんの?」

 

どきっとしました。

正直、大声で「このイベントわたしも関わってるので是非ご来場くださいー!」と声を上げたいと何度思ったか。

小さい声で

「思ってる」

とだけ言うのが精一杯でした。

 

「そしたらさあ、自分でイベント主催したらええやん」

 

目から鱗でした。

「表立って堂々と言える実績作ったらええやんか、もう君にはそれが出来るだけのコネクションがあるんやから」

夫の言葉に、頭の中がぐるぐると回転します。

怪談界隈に身を置いていれば、目に入るさまざまな個性のあるイベントたち。

それらを見ていると、自然と頭に浮かぶわたしがもしイベントを主催するとしたら、というふわふわとした夢想。

 

確かにいま自分はワガママを聞いてもらえる会場との関係性を築けている。

いろんな怪談師さんとのツテも出来ている。

あとは夫が言う通り、「主催したらいい」だけだ。

 

カコンと頭を殴られたような衝撃で、その場は

「もちろん夢想したことはあるけど、現実的に考えたことなかったわ……ちょっと考えてみる……

と返事するのがやっとでした。

 

わたしがやりたいイベントって、改めてどんなだろう。どんなゲストの組み合わせで、どんな構成にしたら楽しいだろう。

考え始めるとキリが無く思考が広がっていきました。

 

 

ある日、東京の怪談イベントへのオファーがあり、福岡から東京に訪れていました。

出番まで控え室で共演者の方々と楽しく歓談して、いよいよ本番、会場へと入場した時です。

客席の最前列、自分の真前に『イベントにお呼びしてみたいなあ』と思っていた怪談師さんが、まさにそこに座っていたのです。

完全にプライベートで、わたしの出演するイベントを見に来てくださっていたのでした。

イベント中はその方に意識がいかないようにいかないように……としようとすると逆に意識してしまって、緊張のあまりあっという間に時間は過ぎてゆきました。

その後、打ち上げ会場に、主催の方の計らいでその方もお招きすることとなりました。

その方は怪談界隈では名を知らない者はいない、怪談師・作家でありゴールデン街ホラーズというユニットの、夜馬裕さんでした。

 

実は以前夜馬裕さんとは、ネット上の企画で「アマングアス」というゲームを一緒にさせて頂いたことがあったのです。そのゲームで初めましての夜馬裕さんを唐突に殺したのがわたしたちのファーストコンタクトでした。

よって、打ち上げでのご挨拶では

「以前アマングアスを一緒にプレイさせて頂いた際には、急に殺してしまって大変申し訳ありませんでした……オオタケと申します……

と恥ずかしながら申し上げました。

夜馬裕さんはころころと笑ってくださり、そしてそれから楽しく談笑をし、フルで語ると一時間近くかかる怪談を聞かせてくれたのです。

打ち上げも終わる頃、怪談の余韻が凄まじくふわふわとしていると夜馬裕さんに声を掛けられます。

「良かったら、福岡での怪談会に呼んでくださいね」

あまりに嬉しいお申し出に舞い上がりそうになりましたが、気を遣って声を掛けてくださっただけだろうとすぐに気付き、「ええ、是非お願いします」と簡単にお返事することしかできませんでした。

 

お別れしてから数時間後、夜馬裕さんからDMが一通届きました。

丁寧に長文が綴られたDMには今日楽しかったことに加えて、

「福岡に呼んでくださいと言ったのは決しておべっかではないんです。オオタケさんと一緒に怪談をしてみたいです。是非◯月頃に呼んでください」

と書かれていました。

これには本当に心の底から舞い上がってしまい、福岡に帰ってすぐ夫に「福岡で定期開催している怪談会に夜馬裕さんをお呼びできそう」と報告しました。すると夫が「ちょっと待て」と。

「オオタケと怪談会やりたいって言うてくれてるんやろ?なんでわざわざいつもの怪談会のゲストとして呼ぶん?これ、オオタケ主催の怪談会のゲストに来てもらえるやん」

またしても衝撃が走りました。自分はこうも我欲がないのか、考えが至らないのかと悲しくもなりました。

ですがここで夫の言葉により、

「自分の初主催のイベントに夜馬裕さんを呼ぼう、そしてもう一人のゲストは夜馬裕さんの凄さを知ったきっかけでもあるあの人を絶対に呼ぼう」

と、ようやく腹が据わりました。

 

 

わたしが怪談を語る配信を始めたきっかけになった人がいます。

わたしはWEBラジオの「ラジオ漫画犬」のヘビーリスナーで、とりわけ怪談奇談のお便りを取り上げた「怪談奇談回」という特集回の大ファンでした。

怪談奇談回をキッカケに、その方主催の怪談イベントに足を運んだのがわたしの怪談イベントデビューで、そこで初めて拝見したのが夜馬裕さんでした。

 

怪談を趣味で集めていたその頃、勇気を振り絞って自らの体験談を怪談奇談回にメールしたことがあります。

メールを送信したその瞬間、なにか肩の荷がおりたような感覚になって、「自分でも発信してみてもいいかもしれない」と思いたち、怪談配信を始めました。

しばらくして、ラジオにまた怪談奇談回がやってきました。

「今回は、歴代トップクラスに怖いお便りが来た」、そう言って紹介されたのがわたしのメールでした。

嬉しくて嬉しくて、夫や妹にもラジオを聴かせたことを覚えています。

その後メールで個別に、怖い話の大会に合わせて怪談の提供のご相談を頂きました。

それが、週間連載漫画家・オモコロライターである凸ノ高秀先生、その人でした。

わたしの怪談人生をスタートさせてくれた人です。

 

某日、東京で行われる凸ノさんのイベントに足を運びました。

凸ノさんのイベントには何度かお邪魔していましたが、その日は明確な目的がありました。

凸ノさんと二人でお話出来ることになったタイミングで、直接出演オファーをしました。

短い時間でしたが熱意を伝えるとすぐ

「やりましょう」

とお返事いただきました。

その場で候補日まで何日か頂いて、喫煙所に辿り着く頃には喜びと達成感で足が震えていました。

 

 

自分が怪談イベントをする時には絶対にフライヤーをお願いしたいグラフィックデザイナーさんがいました。

名古屋在住のノゾミさんです。

彼女のデザインの大ファンで、これだけは最初から明確に「自分の怪談会はノゾミさんにフライヤーを作ってもらいたい」と思っていました。

ノゾミさんが福岡にいらっしゃる機会があり、ご飯とお茶を一緒にさせていただいた際にご相談させていただくと

「オオタケさんからのご依頼だったら喜んでやります!今は自分でもフライヤー作れるのにわざわざ頼んでいただけるのが嬉しいので

とご快諾いただきました。

 

わたしの中での「絶対にこれがやりたい」が揃った瞬間でした。

 

 

タイムテーブルを考えるのも楽しくあっという間で、お忙しい演者さん二人のスケジュールを合わせるのが一番難航しましたがなんとかそれもクリアし、ノゾミさんに依頼したフライヤーはこれ以上なく最高で、追加でグッズ制作もお願いしました。

夜馬裕さんと凸ノさんは飲み仲間でもあり、一緒に東京で何度もイベントをされているので何も不安はありませんでした。

日々ワッと売れたりじわじわ売れたりするチケットとにらめっこしながら開催を待つ二ヶ月間は、今思うととても楽しかったです。イベント前日は楽しみすぎてなかなか眠れませんでした。

 

 

 

イベント当日、ライブハウス秘密にて。

秘密、という名の通り分かりにくい場所にある為、遅刻してくるお二人をお迎えに表の通りに出ていました。

夜馬裕さん、凸ノさんと順番にいらっしゃり、夜馬裕さんが「凸ノさーん!」と嬉しそうにするのを見てにっこりし、ステージを実際に見ていただいて「おお〜」と反応してくださる。そこで当日の細かい流れを話し合い、凸ノさんがプロジェクターを使いたいということで出番順が変更になりました。(当日にこの流れになるのもloft系列でのライブに慣れてらっしゃるからこその発想だなと思いました)

 

控え室でも会話が盛り上がり止まらず、「これを是非ステージで見せたい!」と何度も思いました。実際にステージ上でもお話ししてもらった話もあります。

 

 

ライブ本番は、わたしがご挨拶を兼ねてトップバッターで出るところから始まりました。

このイベントへのラブレターのような思いの丈を申し上げた後、凸ノさんに提供した怪談を語りました。

 

次の夜馬裕さんは、まさかの初めてお会いした時に聴かせてくださった長尺の怪談を語ってくださりました。転換で興奮しながら「まさかあの話なんて!」というと「今日はせっかくなのでこの話をしようと決めてきました」と笑ってくださり感無量でした。

 

凸ノさんはライブハウス秘密で行う怪談ライブでは初めての、プロジェクターを使ったお話で、短めの不思議な話をした後に実際の写真を見せてくださるということを数回繰り返してくださいました。お客さまの反応も良く、当日のプロジェクター導入にドキドキしたけど良かったなあと嬉しくなりました。

 

その後座談会パートに移り、三人で怖い話から笑ってしまう話まで幅広くお話をすることが出来て、視聴者側としても凄く好きなジェットコースターのような展開が嬉しく、演者としてステージに上がっていてもとても楽しくて、本来なら「キャーーーッ」と声が上がるような場面でお客さまから「ドッ」と笑いが起こっている現場に、「ああ、怪談が好きな人たちがこんなに集まっている」と幸せな気持ちでいっぱいになりました。

 

終演後、サイン会と物販の時間を設けていたのですが、お二人に会えて嬉しそうな九州の人たちを見て「お呼びして本当に良かったな」と幸せな気持ちになったり、わたしの物販に来てくださって「またイベントやってください!」「またこの三人でイベント見たいです!」と何人もの方が声を掛けてくださって、心から嬉しかったです。

 

 

スタートは、「わたしの夢を叶える」でした。

実際にイベントを開催したら、「本当にこのイベントやってくれてありがとうございます」と声を掛けてくれるお客さまがいて、「楽しかったです」と声を掛けて頂ける、自分の夢が他の誰かのうれしいや楽しいに繋がるんだ、という得難い経験をすることが出来ました。これは主催をしなかったら絶対に分からなかったな、と思います。

だから、わたしはワガママを通して夢を叶えて、本当に良かったです!心からそう思います。

そんなわたしの備忘録でした。

 

オオタケ

怪談収集家/怪談奇談を食べて生きています

怪談を集めて語る活動をしている。不思議な体験があれば些細なことでもDMお待ちしています。各種イベント出演他、CSフジテレビONE「実話怪談倶楽部」出演等。

Twitter▶︎ https://twitter.com/kamabokonoita_

グッズ通販▶︎ https://kamabokonoita.booth.pm

竹林・ウワーッ(あばら粉砕コース)

 

皆さん、漫画やアニメで驚いた時に「ウワーッ」と叫んでいる人を見かけないですか?

よく使われる表現だと思いますが、実際の私生活で使うことは実は全然ない、フィクションの言葉だと思っていませんか?

 

学生時代に友人二人と広島に旅行に行きました。呉の大和ミュージアムで潜水艦を見たり、尾道ラーメンに舌鼓を打ったりと非常に充実した旅でした。途中、サイクリングでしまなみ海道を巡ろうという話になり、レンタサイクル自転車を借り、意気揚々と出発しました。

 

しまなみ海道は広島と愛媛をつなぐ、自転車専用道路です。アップダウンの激しいいくつかの島を、周りの美しい海やうっそうと生い茂る竹林や藪など、自然を楽しみながらサイクリングするのが醍醐味です。

我々もよい天気の中、上り坂をゼイゼイしながら登り、下りで疾走感とともにスピード上げて下る、とても健康的なアクティビティを楽しんでいました。

 

ある上り坂の後、これまでにない下り坂が現れ、(これは気持ちいいだろうな)と思っていると、前を走る友人はトップスピードで坂を下り、竹林・藪に囲まれ、先は崖になっていたくねった曲道を華麗に曲がって進んでいきました。

私も、(ここが一番楽しいところだ)と思い、同じくトップスピードで下り、曲道を曲がろうとしたところ、スピードに耐えられず、全く曲がれず、そのまま竹林にダイブしました。このダイブの瞬間、死をイメージしながら時間をとてもゆっくり感じながら出た言葉は「ウワーッ!!」でした。そして頭の中に浮かんだのは(俺は運動神経が悪かったんだった)という後悔でした。友人たちは割とアスリート寄り。

自転車は吹っ飛び、途中の藪に引っかかる。私は崖に落ちそうになりながら藪を何とかつかんで九死に一生を得ました。

 

今回の学びは、①フィクションでしかありえないセリフなんてない、②周りができるから自分もできると思いこまない、の2点です。

今後もお題に合わせた学びを紹介していきたいと思います、よろしくお願いいたします。

 

あばら粉砕コース©
34歳鉄道会社職員、社労士。好きなものはおいしいお魚、横浜DeNAベイスターズ、嫌いな言葉は早出、残業、頑張る。

それは天啓、あるいは(レジー・オーウェン)

優柔不断な私は、これまでの人生で巡り合った数々の岐路で立ち往生ばかりをしては渋滞を作り、後ろからせっつかれ焦って選んだものはどれもなんともしっくりこない、という場面を何度も繰り返してきた。
だが時折、それはもう5回とかにも満たない数で、何をすべきかがスパン!とわかる時がある。
まるでそれは天啓のように、雲の切れ間から陽光が差し込み、幾つにも分岐した分かれ道のたったひとつの道のみを照らし、導いてくれるのだ。

先週のお昼時、そのスパン!が訪れた。
ミートソースのスパゲッティだ。
その日は何を食べようか決めていなかった。
前日にお弁当を作っていない、しかも自分で作るほどの時間はない。
こう言う時は大体何を食べるか決めあぐねて、結局コンビニのアプリを開いて割引クーポンが配布されているお弁当やおにぎりなどを買い、うっすらと「私は本当にこれが食べたかったのだろうか?」と思いながらもそもそと食べるのだ。あゝ悲しい。
だけどこの日は違った。私は力強く、ミートソースのスパゲッティを欲していた。
ナポリタンじゃないのだ。ひき肉のミートソースがのった、ちょっと太めの麺で、トマトは助演くらいの、肉主演のミートソースが食べたいのだ。
そうと決まれば午前の仕事も捗る。
だってお昼になればミートソースを食べられるのだから。

正午になると同時に仕事を切り上げ、最寄りのコンビニへと急ぐ。
店内で鳴り響く『ローソンCSほっとステーション』のジングルも私を祝福してくれているように聞こえる。心弾ませてスパゲッティのコーナーに着くと、衝撃的な光景が待ち受けていた。
ミートソース、だけが、ない。
カルボナーラやペペロンチーノやなんかよくわかんない緑色の麺はあるのに、ミートソースの値札がついた所だけすっからかんなのだ。
もしかしたら見間違いかもしれないと思い、一度売り場を離れ、別に欲しくもない栄養ドリンクの棚とかを見たりしてまたスパゲッティの売り場に戻った。
やっぱり、ミートソース、だけが、ない。
ここまできれいにないとなんだか腹が立ってくる。
上の棚にあるスティックサラダみたいな奴もなんか腹が立つし、今日2度目の『ローソンCSほっとステーション』のジングルも腹が立つ。なんだよ、流暢な英語だな。

少し足を伸ばして他の店に行こうかとも思ったが、午後も仕事があるのでそんな時間はない。
この店で解決させなければいけないのだ。
ふと下の段を見てみると奥の方に控えめなスパゲッティが一つだけ隠れていた。
フタに書かれていた文字は、ミートソース。そこにいたのか!
しかし引っ張り出してみるとめちゃくちゃ重い。
もしうっかりオーバースローで投げたら、明日は投げられなくなるくらい重い。
「特盛!」と書かれたでかでかとしたシールが貼られている。これか、これなのか!?と悩む。
だって特盛はなんか違うんだもの。そんなには食べたくないし食べられない。
っていうかもし食べたら確実に満腹で寝てしまう。
こうなったら量もほどほどで極めてミートソースに近い何かしらを選ぶしかない。


棚を色々見ていると、見つけたのはミートドリアとミートソースとホワイトソースの焼きペンネだった。ドリアとペンネかぁ。
スパゲッテイからかなり離れてきている気がする。
差し込んでいた陽光が若干曇っているのがわかる。
ドリアは米だもんなぁ。ペンネの方が近いよなぁ、でもなぜかホワイトソースかかってるんだよなぁ。そんなこんなで悩んでいると、学生さん風の若者がそそくさとやってきてペンネがひとつ売れてしまった。
ペンネは残り1つになってしまった。
売り場を見てみると、お昼休みで混み合い始めている。
そして私がいるコーナーに3人ほど来ようとしている。今決めないと、この店の全てが無くなるかもしれない。
ここはペンネでいくしかない!とペンネをむんずと掴みレジへ向かった。

正直お会計が終わるまで全然しっくりきていなかった。
そして帰り道も全然しっくりこないままペンネを片手に持ちながら歩いた。
家について、レンジの中でぐるぐる回るペンネを見つめる。
すると、ガラス越しになんとも腑に落ちていない私の顔が映った。
これではペンネに失礼だ。笑おう、あの頃みたいに。
きっとこれもベストチョイス。美味しく食べようじゃないないか。
温めが終わるチンという音が鳴った時、本日二度目のスパン!が訪れる。
冷凍食品のコーナーにも、スパゲッテイ、あったじゃないか。
陽光が、私を照らした。

 

www.lawson.co.jp

 

ジーオーウェン
34歳個人事業主。執筆業。好きなものは美味しいビール、横浜DeNAベイスターズ。好きなPOSは富士通。売り場が混んだら内線で呼んでください。

ある春の夜のビール(とんこつ一番豚しぼり)

ビールが好きだ。
一日の仕事の後にクッと飲むビールも、休日の昼間に大きな公園でのほほんと飲むビールも、
風邪っぴきの日に「なんか味が変……?」と思いながら騙し騙し飲むビールも、嫌いじゃない。
コロナに罹り、熱や咳に苦しんだ末に迎えた隔離解除の日。
いつものビールが震えるほどおいしかった。

酒に強くはないけれど、飲むことを楽しめる身体でよかったと思う。
酒に頼ることはないけれど、酒に助けられたことはたくさんある。
おいしいビールを飲み、好きなものを食べ、よく笑い、よく眠る。
これが私の健康。ビールという名の健康法だ。

初めて一人でビールを飲んだのは、学生時代。
近所のラーメン屋だった。
夜、他愛もないことで家族と言い合いになり、むしゃくしゃして家を出た。
大通り沿いの店のカウンターに座り、ラーメンとビールを頼んだ。
餃子も追加した。
夕食を食べた後だったけれど、なんだか無性に腹が減っていた。
待っている間、家族と投げ合った会話がよみがえる。
腹が立っていた。
なんであんなこと言うんだろう。
なんであんなこと言っちゃったんだろう。
麺が茹でられる香りと、油と蒸気と、店の灯りの白さが強烈だった。
その強烈さがだんだんと心地よくなっていった。

生ビールが注がれてカウンターに置かれた。
重たいジョッキの把手をむんずと掴んで、勢いよく一口飲んだ。
軽い泡とキンと冷えたビールが喉から腹へすーっと通っていく。
うまかった。
初めておいしいビールを飲んだ。
ラーメンも餃子もそれはそれはおいしかった。
麺をすすり、熱々を頬ばりながら、帰ったら謝ろう、と思った。
二十歳の春の夜だった。

後日アルバイト先の店長に、お酒飲むんだっけと訊かれたのでこの日の話をした。
すると、女の子が夜のラーメン屋で一人でビールねえ、それはちょっとどうかと思うけど、と笑われた。
心の底から、うるせえ、と思った。
これから私は、私の好きな場所で、好きな時に、好きなものを飲む。
そのことを誰にも否定させないし、笑わせない。
たとえ否定されて笑われても傷つかない。
傷つくよりも、おいしいものをおいしいと思える方が大切だ。
そう思って、あれからずっとおいしいビールを飲んできた。
くよくよする時も、うきうきする時も、ビールはいつでもおいしかった。
ビールよ、ありがとう。
君に救われた。
春の風のように軽やかに、私の気分を踊らせる。
あの日のラーメン屋の屋号には、「風」という字が入っていた。

 

アイツから逃げ切れなかったのでホテルで過ごした記録(うめすみ)


新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴う自粛のさなか生まれた「吹けよ春風」も4年が経つとのことで。

発刊の経緯や“復刊が続く≒収束しているとは言い難い”とも解釈できるので、気軽に「おめでとう」と言って良いのか難しいところでもあるのですが、再度掲載してもらえる機会をいただけたことに感謝いたします。

これまでも記事中ではコロナ禍での生活や働き方、イベント(主にやついフェス)の記録…と中島みゆきが回ったり巡ったりしそうなことを書き残してきたんですが、唯一やってないことがありました。


●2023年1月 新型コロナウイルスに罹患

そう、当事者になること(別になりたいわけではない)。

ある意味、この「吹けよ春風」における最大の因縁とも言えそうな新型コロナウイルス感染症

「いかに感染せず、この環境下で安全に楽しく日常を過ごすか」がテーマでもあったこのWebZINE。それにおいて、ついに当事者として、中島みゆきを回らせたり巡らせたりしようと思います。


わざわざ言うほどでもないですが、中島みゆきのくだりは「時代」です。
そんな時代もあったねと笑って話せる日が来ることを願って。


●罹患前夜

悪寒がするな…と思ったのは、二十歳の集い(成人年齢が引き下げられたので成人式じゃないんです)にて会場から式典の模様をライブ配信をする仕事を終えた日の夜。

会場には述べ1,000人あまりの若者やスタッフ。感染症対策のため3部制にして密を避けて…とのことだけど、一日中張り付いているこちらからすれば3回人が入れ替わるのでリスク3倍じゃない?と思わなくもない。

いやいや、今日の今日で感染ってことはないだろう。僕の持ち場がホールの出入り口付近で外気が入り込むので、きっと身体が冷えちゃったんだろう。風邪かな、インフルエンザも流行ってるしな。
その前に行ったところはサウナや映画館…いずれも感染症対策を謳っている施設だしな。
てかそもそも4回めのワクチン接種も受けているし。うんうん。

……二十歳の集いのホール入口にあった県のLINEコロナお知らせサービス、参加者向けだから登録しなかったけど…しておけばよかったな。


●翌日

発熱。オーノー。幸いにして仕事は休日、そして自宅にあった抗原検査キットの結果は陰性。
とりあえず最大の懸念は乗り越えられたので、あとは風邪かインフルか、仕事に行っていいのかどうかの診察を受けねば。
こちとら、向こう1週間で生放送2本とイベントMC1本、イベント運営が1現場に取材2件を控えているんだ。

何はともあれ、まずは発熱外来。が、これが繋がらない。
電話の自動音声に「電話が混み合っているため時間を空けておかけ直しください」と言われ、素直に数時間後にかけ直したら電話口の看護師さんが「今更?」みたいな感じで(※被害妄想)とっくに受付枠が埋まったことをを告げてくる。チクショー!

発熱外来を行っている病院はサイトで検索できるんだけど、どうも普段 病院に行かないので土地勘ならぬ病院勘がない。初診お断りでいわゆる「かかりつけ医」であれば診てくれるという病院もあったけど、これまであまり病院のお世話になる機会も無かったし。
もしかして、ワクチン接種も集団接種ではなく、多少無理をしてでも病院で個別接種をしていた方が「一見さんお断りやけど、まぁワクチン接種に来てくれたからええで」とかなったりしていたのだろうか…と、朦朧とした頭で考える。

電話受付の発熱外来に軒並みお断りされるなか「当日24時に翌日分のWeb予約を開放」というチケットサイトみたいな病院を発見。具合が悪いのに夜更かしをするのはどうなのかと思いつつも照準をこの病院に定め、続いてプランB、C…と計画。「朝7時から予約無しで受付、先着5名の早いもの勝ち」といった尖った病院も背に腹は代えられないのでリストアップ。


まずは初陣である24時のWeb受付。カウントダウンと同時に入念なシミュレーションのおかげですんなり予約枠を確保。
そして実は、常備薬のおかげか体調が良くなり始めている。…まぁ、インフルの可能性もゼロではないので…。


●いざ発熱外来へ

翌朝、平熱。これで病院行くのは気まずい上に、医療が逼迫していると散々言われているなかで迷惑千万ではなかろうか。
とはいえ予約も取っちゃったし、はっきりしないまま出勤しても迷惑だしと病院へ。
ちなみにWeb予約枠は当日朝でもまだ空いていた。前日の即完っぷりはなんだったんだ。


受付の看護師さんに「熱下がっちゃったんですよね~エヘヘ」と照れ隠しをし、PCR検査とインフルエンザの検査を受けてしばし待機。

で、結果はコロナ陽性。自宅の検査キットは何だったんだ。
真っ先に浮かんだことは「逃げ切れなかったか…」。診察してくれた先生や看護師さんが「いまや誰がかかってもおかしくないから」と励ましてくれて少し気が楽に。

とりあえず病院でもらった処方箋を薬局に出し(ちなみにドライブスルー形式)、薬を待つ間に療養の手引きを読んで陽性者登録をし、自宅療養をどう過ごすか考える。
こちらは一人身、近所に友人知人は無し。自宅療養ならネットスーパーやフードデリバリーを駆使して食料品を調達し生きながらえなければならない(一応、症状が軽快して24時間後なら不要不急の買い出しは可とされたが)。さらに、実はボイラーが故障していて銭湯生活だ。
とりあえずゼリー飲料など数日分の食料を買い込み(スーパーの外にあるロッカーでの受取なので非対面)、帰宅。

引き続き陽性者登録を進めるなかで「ホテル療養の希望有無」の欄が。
まぁ単身世帯だし優先順位は低いんだろうけど…希望するだけしておこうか。家だと風呂に入れないし。


●自宅療養生活

出された薬を飲んでHER-SYSに健康状態を入力していると1本の着信。相手は県からで、内容はホテル療養についての意思確認。
療養中は一切ホテルから外出できません、アルコールも飲めません、タバコも吸えません、差し入れは云々…と外界とシャットアウトされることを確認し、それでも良ければ部屋に空きが出次第 専用のタクシーで迎えに来るとのこと。

ということで、いつ必要になるかわからないけど一応のパッキング。暇つぶしはパソコンとスマホKindleがあればいいとして。しばらく使っていないNintendo Switchも……せっかくだし持っていくか。あとはタオルと数日分の下着と…。
ホテル療養の体験記が載っているサイトを見ると「おやつ・甘味はかなり気分転換になった」とあったが、一般独身男性はそんなものを自宅に常備していない(個人差があります)。とりあえず買い込んだゼリー飲料をバッグにin。まさにinゼリー。


●ホテル療養開始

翌日、県からホテルの部屋に空きが出たので移送しますと連絡。早。
迎えに来たタクシーに乗り込むと車内がビニールで厳重に保護されていて、ドライバーさんとも完全セパレート。「そっか…自分は今こういう扱いなんだな」と実感させられる。

ホテルに到着し、防護服に身を包んだスタッフさんから生活のレクチャーを受け、部屋へ。

 

そして看護師さんと電話で問診。「HER-SYSへの体温入力はもっと早く」「症状が把握できないので一部の薬は飲まないで」と病院とは違う指示を受け面食らう。

極めつけは「どうして一人暮らしなのにホテル療養を希望したんですか?」。

まぁごもっともだけど「3食付いてるから」とか「家のボイラーが壊れているから」とか「ネタのなりそうだから」とか「自分へのご褒美でたまにビジネスホテルに泊まるので願ったり叶ったり」とか答えたら本気で呆れられそうなので「…一人で野垂れ死にたくなかったから」と答えた。多分呆れられた。
レクチャーのときにもらったホテル療養のしおりにも、県知事名義で「あなたの勇気ある協力に感謝します」てあるんだからなー!


ちなみにその日の晩から指示通り一部の薬を止めたので、喉の痛みと熱と頭痛が復活して最悪でした。


●ホテル療養生活(うめすみの場合)

食事は朝昼晩とお弁当が出るので共有スペースに取りに行く。
共有スペースにはペットボトルやスティックの飲料・スープにインスタントのお味噌汁があるので、必要な分を部屋に持ち帰る。
あくまで療養生活中の飲食物なので、シャバへの…もとい退室時の持ち帰りは厳禁。

お弁当なので野菜が少なめ。野菜ジュースかサプリを持参するのが良いかも。


ホテルとはいえ清掃は入らないので、自分できれいに保つ。お弁当のゴミやペットボトルの空き容器などはお弁当が入っていたビニール袋を活用して共有スペースのゴミ捨て場へ。「一日のうちにこれだけのものを飲み食いしているんだなぁ」と目に見えて分かる感覚が新鮮。

コインランドリーも使えないので洗濯はユニットバスで(洗剤はある)。


ネット環境はホテルのフリーWi-Fiがあるが電波が弱くセキュリティも不安、あと遅い(HER-SYSへ健康状態を入力する時間帯は一斉にアクセスするので速度が遅くなる旨が案内されていたほど)。

ここで、そんなつもりはなかったけど役立ったアイテムが「ノートパソコンとLANアダプタ」。

こういうの。

各部屋にLANケーブルが用意されているタイプのホテルだったので、それをパソコンに繋いでアクセスポイントになることで、ギガを減らすことなくスマホも快適に扱えるようになれたのでした。

ノートパソコンもいまや軽量化でLANポートを搭載しないモデルが多いので、アダプタを持っていてのは本当にラッキーだった…!
ちなみに、アクセスポイントとして使っている最中はパソコンの電源を入れっぱなしにする必要があります。

Wi-Fi環境が整ったことで一番大きかったのは、KindleNintendo Switch
コンテンツがダウンロード販売なので、気になった本やゲームを部屋から出ずに購入できたのは非常に快適だったし気分転換に役立った。だいぶ復調した最後の数日間はFit Boxingで体力を戻していた。


●療養生活終了

ホテルでの療養を終え、部屋の片付け。箱ティッシュやトイレットペーパーなどの消耗品類はすべてゴミ袋にまとめて処分。タオル類もおそらく処分されるのでしょう。

ホテルに入室したときは完全に世間から隔離されていましたが、終了して一歩外に踏み出すといつもの日常。扱われ方がガラッと変わり、人生観が変わるような思いでした。
「生放送2本とイベントMC1本、イベント運営が1現場と取材が2件」と抱えていた仕事をすべて休んだため、もはやどうでも良くなった可能性もあります。


●日常に復帰して

その後、仕事を再開して目立った出来事はこんな感じです。

・ほぼ同時期にコロナに罹患した同僚に「俺は症状が辛かったけどお前は軽かったみたいで羨ましいよ」と謎のマウントを取られる。

・取引先との雑談で「実はコロナにかかっちゃいまして」という話が始まると、同僚が「ウチのうめすみもこの間までコロナだったんですよ!」と勝手にバラす。別に隠すつもりはないけど言うつもりもないんだがなぁ。

・ラジオでコロナに罹患したこと、その上で過ごし方や日々の対策を話したら、クセの強い常連リスナーから「そりゃ~『ラジオのネタ』と称して連日遊んでいたらコロナにもかかりますよね♪せいぜいお大事に♪」とメールが来たので「そういうのやめな?」と言ったら翌週からメールが来なくなる。フィルタリングに成功。

日常ェ…。


●終わりに

今回、自分を褒めたいのは「熱が下がったあとも発熱外来を受診したこと」。もし、熱も下がったし風邪だったんだな~と出勤していたらと思うと…。
そしてホテル療養を選択したことで「体調も悪くないしちょっと出かけちゃおうかな~」といった油断を完全に断てたのも良かったです。

幸運にも軽症で済み、周りからも「こう言っちゃなんだけど、うめすみは働きすぎだから身体を休められて良かったんじゃない?」と声をかけてもらえたのもありがたかったです。

が、今回はあまりにもラッキー?な例なので(なるべく面白おかしくなるように書いているし)「うめすみだって大丈夫だったし平気やろ」とか思わずに、きちんと収束に向けた行動を選んでいただければなと思います。
マスクの着用が任意となり、新型コロナウイルス感染症の分類引き下げを目前とした今、再度の感染急拡大が引き起こされないことを切に願うばかりです。

今回の記事も「そんな時代もあったね」と過去の人間が右往左往したときの珍道中として、いつか笑って話せる日が来ますように。

 

うめすみ
小さなラジオ局に勤めています。
ラジオパーソナリティ、ナレーター、イベントMCを中心に音響PAなど。
コロナ禍によって動画を作る仕事も増えてきました。
木曜夕方と土曜の午後に生放送をしているので、よろしければTwitter(@umesumi)をご確認ください。