Web ZINE『吹けよ春風』

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角の国(世田谷アメ子)

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『角の国』

 

 

ありふれた話かもしれない。

それでいいのなら。

 


幾何学模様が刻まれた、
果てなくつづくガラス面の上に立っていた。

ガラスの底には光を透かせたなめらかな琥珀色の液体が流れ、足もとにはゆらめく波紋が反射している。それは小さな気泡を帯びていて、まるで広大な炭酸泉の上に浮かんでいるようでもあった。

 

顔を上げると遠くに、左右一面に伸びるカウンターテーブルの景色が見える。テーブルを境界にして私側には、一定の間隔でずらりと並ぶ無数の黄色いカウンターチェア、その向かいには同じ数だけ、人のような姿があった。

 

不思議な心地よさを感じながら私は、ゆっくりと景色に向かって歩き出す。なぜここにいるのか、なにをしようとしているのか、そんな考えなどはじめから存在しない世界だ。ただ一点、直線上に見える景色を目指し進むのみであった。カウンターに近づいていくうちに、人の姿は、白いブラウスを身に纏った女であることが分かった。奇妙なことに、女は皆同じ顔をしていた。見たことがあるような、名前は思い出せないが、誰もが知っているはずの女優に似ている気がする。私を導く北極星のように、彼女の瞳はまっすぐこちらを見つめ、光っていた。

 

ふと、私の横を一人の男が通り過ぎる。足を止めて様子を伺っていると、男はそのまま彼の直線上に存在するカウンターに着席した。向かいの女と会話をしているように見える。程なくして男の姿は金色の光に包まれ、細かい気泡となり天に昇って消えていった。

 

当然のことのように思えた。それが当たり前のルールのなかに身を置いている。そんな気分だった。

 

私はふたたび、ただ真っ直ぐ、あのカウンターに向かって歩き出す。歩きながら、消えた男と自分の姿が同じであることに気づく。気づいただけ。このルールの中では、気に留める必要のないことだ。

 

そうしてついに、あのカウンターに辿り着いた。黄色いカウンターチェアに手をかけ、おもむろに腰を下ろす。しばらくすると目の前の、桜色の蛭のような唇が開いて

 

ウイスキーが」


美しい声が響いた。

呆然としていると、女はもう一度

 

ウイスキーが」

 

と、誘うような視線を向け、同じ言葉をつづけて微笑む。

 

ウイスキーが」

 

三度目のその言葉で、ようやくこれが、女からの問いであることを悟った。泡になって消えた男は、この問いに応えたのだろうか。まわりに目をやると、離れた席の箇所箇所で、光を帯びながら消えていく泡の粒が見える。

 

どうやらこの世界は、札を合わせることで成り立っているようだ。

「山」には『川』、「フラッシュ」には『サンダー』そんなもののように、
ウイスキーが」、その後に続くもうひとつの札を探している。

 

私は札を持っていなかった。

何も応えることのできないまま、ひたすら信仰のように女と向かい合う。1秒のようでもあり、10年のようでもある時が流れても、女の瞳は相変わらずまっすぐこちらを見つめている。北極星。それは、迷える私を自然に導く絶対的なこの世の解のように思えた。

 

ウイスキーが」

 

四度目の問いだ。なにもわからない。ただ、信仰に委ねおもむろに口を開いてみる。すると自然と唇は動き、のどが震えた。

 

お好きでしょ』

 

あたたかな光が私を包む。札が合ったのだ。

目の前がまっ白になって、次の瞬間、カランと氷の解ける音が、品の良い目覚まし時計みたいに小さく鳴り響いた。

 

 

 

 

一瞬にして蘇る記憶。見慣れたいつものバーカウンター。どうやら深く飲みすぎてしまったらしい。

誰に聞かせるでもない小さな言い訳をこぼしながら、情けない背筋を伸ばそうとしたそのとき、

 

「もう少し」

 

そう聞こえた気がして、声のするほうへ振り返った。


そこには誰もいない。

札合わせ。どこかで聞いたことのあるセリフ。

 

ウイスキーが」

 

『…お好きでしょ』

 

「もう少し」

 

 ・

 ・

 ・

 

視線の先に見やった壁には、少し古くなったポスターが貼られていた。

 

『…しゃべりましょ』

 

あの女がこちらを向いて、微笑んでいる。

 

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***

 

著・世田谷アメ子

 

S SF SS。

酒の SF ショートショート という、

ないジャンルを、想像で書いています。

 

twitter: sendagayaameko