『角の国』
ありふれた話かもしれない。
それでいいのなら。
◇
幾何学模様が刻まれた、
果てなくつづくガラス面の上に立っていた。
ガラスの底には光を透かせたなめらかな琥珀色の液体が流れ、私の足もとにはゆらめく波紋が反射している。
見上げた先には、広大なカウンターテーブルのような景色が左右一面に伸びている。テーブルを境界にして、私側には一定の間隔でずらりと並ぶ無数の黄色いカウンターチェア、
不思議な心地よさを感じながら私は、
ふと、私の横を一人の男が通り過ぎる。
当然のことのように思えた。
私はふたたび、ただ真っ直ぐ、
そうしてついに、あのカウンターに辿り着いた。黄色いカウンターチェアに手をかけ、おもむろに腰を下ろす。しばらくすると目の前の、桜色の蛭のような唇が開いて
「ウイスキーが」
美しい声が響いた。
呆然としていると、女はもう一度
「ウイスキーが」
と、誘うような視線を向け、同じ言葉をつづけて微笑んだ。
「ウイスキーが」
どうやらこの世界は、札を合わせることで成り立っているようだ。
「山」には『川』、「フラッシュ」には『サンダー』
「ウイスキーが」、その後に続くもうひとつの札を探している。
私は札を持っていなかった。
何も応えることのできないまま、
「ウイスキーが」
四度目の問いだ。なにもわからない。ただ、信仰に委ね
『…お好きでしょ』
あたたかな光が私を包む。札が合ったのだ。
目の前がまっ白になって、次の瞬間、カランと氷の解ける音が、
◇
一瞬にして蘇る記憶。見慣れたいつものバーカウンター。どうやら深く飲みすぎてしまったらしい。
誰に聞かせるでもない小さな言い訳をこぼしながら、
「もう少し」
そう聞こえた気がして、声のするほうへ振り返った。
札合わせ。どこかで聞いたことのあるセリフ。
「ウイスキーが」
『…お好きでしょ』
「もう少し」
・
・
・
視線の先に見やった壁には、少し古くなったポスターが貼られていた。
『…しゃべりましょ』
あの女がこちらを向いて、微笑んでいる。
***
著・世田谷アメ子
S SF SS。
酒の SF ショートショート という、
ないジャンルを、想像で書いています。
twitter: sendagayaameko