むかし自分が誰かに言った一言を思い出して「あ、つら……」と道端で立ち止まるのは人間あるあるだと思う。一方で、私は誰かに言われた言葉をそこまで覚えていない。だから他の人も案外そんなものかもしれないと思うことで「あ、つら……」を切り抜けている。
ただ、そんな中でもずっと記憶に残っている言葉というのは確かにある。しかも、ポジティブでもネガティブでもない、なんで覚えてるのかよくわからない、どうでもいい言葉。
いつか忘れてしまう前に、そういう言葉を記録として残しておこうと思う。
「コップの裏もちゃんと洗えよ」
小学生のとき、皿洗い当番だった私に父が言った言葉。普段は何事もいいかげんな父が、コップの底の汚れを気にすることが意外だった。いまでもコップを洗っているときにふと思い出す。
脚本の仕事をしていると、登場人物が過去に親から言われた一言を思い出す回想シーンを書くことがよくある。そして過去のその一言は、現在の主人公を突き動かす原動力になったりする。もし私が物語の主人公で、父の言葉をふと回想するとしたら、「コップの裏もちゃんと洗えよ」になる。なんの決意も勇気も湧かないけれど、コップはきれいになる。
「みんなそういうのどこで習うん? 塾?」
中3の時にクラスメイトの男子がつぶやいた言葉。詳しいシチュエーションは忘れたけれど、多分授業では習わない、一般常識みたいなことについて何人かで話していたんだと思う。当時はその言い回しの面白さに思わず笑ってしまったけど、なんとなく思い出すたびに切なくなる言葉でもある。
大人になった今は、同年代の人たちが積立NISAとか確定拠出年金とか子供の習い事とかの話をしていると、「みんなそういうのどこで習うん? 塾?」と言いたくなってしまう。
「ブラックコーヒーはお茶だと思えば飲める」
小学生の頃に読んだ雑誌のインタビューで、ゆずの岩沢厚治さんが言っていた言葉。実際にブラックコーヒーを飲み始めたのはそれよりもずっと後だけど、「お茶だと思えば飲める」という一言はずっと記憶の片隅にあり、そのおかげで本当に飲めるようになった。同じインタビューの中で岩沢さんは「雑煮は正月以外も食べていい」とも言っていた気がするけど、そっちは実践していない。なにが人に影響を与えるのかは本当にわからないものだと思う。
「出川ルイ」
高校生の頃、冬に電車の座席下のヒーターから出る熱風の出が悪かったときに、「出が悪いなー」「ほんま出が悪い」「出が悪い」と言い合ううちに友達の誰かが生み出した架空の人物名。「誰やねん、出川ルイ」って言いながら3駅分は笑い続けていた気がする。今でもボールペンのインクやマヨネーズなど、なにかしら出が悪くなると、頭の中に「出川ルイ」がやってくる。
「フリスクみたいに売ってほしい」
大学生のとき付き合っていた人が、焼肉を食べて言った感想。あまりにおいしいから、フリスクみたいにいつでも気軽に食べたいという意味らしい。めちゃくちゃ笑った。別れてから何年もたった後、コンビニでホルモンをグミみたいなお菓子にした商品を見たとき、「一歩近づいてるやん」と思った。
「最近ビストロがとまらんのよー」
渋谷で映画を見た帰り道、Bunkamuraの前ぐらいですれ違った男性が言っていた一言。「ビストロ」が「とまらん」という状況がよくわからなすぎて記憶に残っている。当時は20代だったので、それを言っていた30代とおぼしき彼と同年代になれば「ビストロ」が「とまらん」という状況がわかるようになるかと思ったけれど、未だにビストロには足を踏み入れたこともない。文化というのは本当に人それぞれだなと思う。
頑張って人生を振り返ってみたけれど、記憶に残っている言葉はこれぐらいしか出てこなかった。記憶力がなさすぎるし、内容がどうでもよすぎて脳の容量がもったいない気もする。
ただ、多分これらの言葉は生活に密接に結びついているから忘れないんだろうなとも思った。だからもしかしたら、今4歳の私の子供の記憶には、「ピラピラがついてるほうが左」という洋服の着方を説明する私の言葉が残ったりするのかもしれない。回想シーンには使えなそうだけど、それはそれで良いな。
【プロフィール】
橋本夏
脚本を書いています。4月からABCテレビ・テレビ朝日にて脚本を担当したドラマ「恋に無駄口」が放送されます。
Twitter:@donot_donuts