Web ZINE『吹けよ春風』

Web ZINE『吹けよ春風』と申します🌸

BOY・meets・BOØWYとBowie(赤松新)

「これやってると時間がすっ飛ばされる」ってことないですか?
14時くらいから始めて、気が付いたら20時過ぎてた、みたいな。
この6時間なにやってたんだ?的な。
決して違法なクスリとかの話ではなく、没頭というか夢中というか、もう身体が言う事を聞かずに、ただただそれだけやってしまっている。
うん……言えば言うほど、やべぇクスリっぽいな……。

僕にとってその初めての体験が「BOØWY」だったんですよ。
中学3年生の時、受験勉強とかしないといけないのに、一度聴いたらもうずっと聴いてしまっている。
あれ?もうこんな時間?なんか怖い……ってやつが何度もあった。
学校から帰ってくるのが大体、17時前位。
親は共働きで誰もいない。
鍵を隠すで言えば不動のNO.1,牛乳箱の下から鍵を取って家に入る。
今も各家庭にあんのかな?牛乳箱。
毎朝、牛乳が配達されるんだけど、その箱の中に入れられているの。
さすがに都会じゃ見かけないけどな。
その下に家の鍵が置いてあって。
よく考えたら危ないよな。
まぁでも、逆にベタすぎて泥棒も見過ごすか。
とにかく、そこから鍵を取って家に入り、部屋に行ってすぐにポータブルのカセットプレイヤーでBOØWYを聴くの。
自分専用のオーディオ機器なんて持ってないし買ってももらえない。
当時で言うとCDラジカセかな。
兄貴は持ってた。
ていうか、なんでいちいち兄貴と弟で格差が生まれるのだろう?
姉と妹にも格差ってあったのかな?
CDラジカセを欲しがると、「お兄ちゃんが持ってるでしょ」の一言。
みんなそうだと思うけど、幼少期には“兄”や“姉”という存在は、歴史上のどの独裁者よりも独裁者だし、歴史上や童話上のどの継母よりも意地悪。
だから貸してもらえるわけがない。
僕が持っている唯一の音楽を聴く機械は、友人から借りている「ポータブルのカセットプレイヤー」
当時なんてiPodはもちろん、ポータブルのCDプレイヤーもないから。
持ち運んで聴くにはCDからカセットにダビングして、それをポータブルのカセットプレイヤーに入れて聴くパターンしかなかったと思う。
しかも、僕は友人がもう新しいの買ったからと、古いやつを貸してくれた。
当時は薄くてオートリバース(A面終わったらB面が始まる)するやつだったけど、僕のは分厚くていちいち入れ替えないといけない。
A面が終わったら、開けてテープをひっくり返してB面を聴く、みたいな。
それでも幸せだったな。
17時くらいから聴き始めて、床にごろんと横になる。
A面が終わったら、B面にしてずっと聴いている。
またB面が終わったらA面にして聴いている……これを親が帰ってきて夕飯を食べるからと呼び出される19時30分くらいまで繰り返し、繰り返し。
ご飯食べて、すぐに部屋に行ってまた同じことの繰り返し。
気が付いたら24時前。
「期末テストなのに全然勉強してない……」なんて思いながら、寝ちゃうの。
なんだったんだろう?あの時期のあの感覚。
人生に何度かあった特別な時間。
BOØWYが初めてで、前回の記事に書かせてもらったSparks。
SEX PISTOLSやNirvanaの「NEVERMIND」も。
(あ、奇しくもSEX PISTOLSも「NEVERMIND」だけども)
Franz Ferdinandもそうかな。
きっとこれからもあるんだろうな。
痺れるような、時間がすっ飛ばされる音楽に出会えるのが楽しみでやめられない。
それもこれも全部、BOØWYに出会ったからであって、思春期と言えばお馴染みの14,15歳で出会った事が全ての始まりのような。
そんな赤松少年とBOØWYの出会いが……
   

〈BOY・meets・BOØWY

1989年の12月28日。
平成になった年で、ベルリンの壁が崩壊したり、教師びんびん物語2で田原俊彦が「エノモト~」って高い声で言ってた色々な転換期の暮れ。
赤松少年は14歳の中学2年生。
実家ではもっぱら大掃除の最中で、真冬の昼間に縁側で一生懸命に障子張りをやらされていた時の事。
障子を貼り直すときは、まず古い障子を剥がし奇麗にしてから貼り直すんだけど、
それがめちゃくちゃ大変。
ある程度障子を剥がしてから、格子に糊付けされている部分を水を付けたハケで濡らして奇麗になるまで剥がす。
真冬に、暖房の届かないベランダで、水を使って作業する……。
マジで苦行。地獄に採用してもいいんじゃないかな。
その苦行を兄貴と一緒にやっている時、「なんか音楽かけようか」と兄貴が持って来たCDが「布袋寅泰」のソロ1st.アルバム「GUITARHYTHM」。
当時の僕は音楽を積極的に聞くような人ではなく、みんなが聴いているのをなんとなく聞いていたような感じ。
その当時に流行っていたモノで、「バンドやろうぜ!」的な音楽が多かったかな。
なんか、こう上手くハマれないというか。
そういうハマるとかも経験した事がないというか。
家は変な所が厳しくて、食事中にテレビは禁止。観るなら親父が野球かNHK。
音楽番組はうるさいからダメ。
ドラマも大河とか時代劇ならOKと、庶民のくせにいい家柄ぶってて。
食事中に水も飲んじゃダメって家だったから。
だから今でも食事中には水は飲まない、ていうか上手く飲めない。
そんな感じで、音楽というモノにあまり触れずに生きてきたもんだから、布袋さんのアルバムを出されても「誰?」って感じ。
兄貴は3歳上で、きっと友達とかから情報を得てたんだろうと思う。
高校生ならそういうもんか。
居間にあったコンポ(兄にはCDラジカセ、両親はコンポ、なのに僕には何も買ってくれない……そりゃ家のお金を盗むようになるわな)
に「GUITARHYTHM」を入れて、PLAYボタンを押す。
スピーカーからオーケストラみたいな曲が流れて来て、「え?兄貴、こんなん聞いてんの?」と、ちょっと戸惑っているうちに2曲目の「C’MON EVERYBODY」。
もう最初のギターで完全にノックアウト。
「なにこれ!?こんなの聞いたことない!」って大興奮。
障子張りの手が止まって、スピーカーの方にフラフラって近づいちゃったもん。
とにかくメロディーがカッコよすぎて。
この「C’MON EVERYBODY」がEddie・Cochranのカバーってのを知るのは、もっと後。
とにかく、そのメロディーに一発で持ってかれちゃって。
「DANCING WITH THE MOONLIGHT」も、英語の歌詞だから何言ってるか分からないけど、情景が目に浮かぶっていうか。
とにかく、この時に「音楽」というものの洗礼を受けた様な気がする。
この時から始めて、音楽を“聴く”ということをしたんだと思う。
音楽に夢中になってボーっとしてたら、「おい、手を動かせよ」と怒られ。
それでもこの初めての体験に身体中がフワフワというか、なんというか。
「GUITARHYTHM」が終わると、今度は氷室京介のソロ1st.アルバム「FLOWERS for ALGERNON」。
PLAYボタンが押された瞬間に飛び込んでくる「one way so far away」「stand by me angel」のヒムロックの歌声!
もうセクシーすぎて、その場に崩れ落ちるほど衝撃的で。
「こんなにカッコいい歌声ってあるんだ!?」って。
糖分を取ると脳内で抗うつ物質のセロトニンを出すって何かで見たけど、明らかにあの時、僕の脳内にはセロトニンがダダ洩れだったと思う。
狂犬病の犬のヨダレくらい出てたと思う。

それからというもの、兄貴がいない時にこっそりと「GUITARHYTHM」と「FLOWERS for ALGERNON」を聴きまくって。
貸してって言っても、そこはほら、歴史上のどんな継母よりも意地悪な兄だから貸してくれるわけがない。
だから留守の時にこっそり聴きまくるしかなくて。
そして1990年、中学3年生で受験が迫ってきている7月   。
近藤っていう友人と学校に登校している時に、「そういえば最近、布袋寅泰っていう人と氷室京介っていう人の音楽を聴いている」って話して。
そしたら近藤が「え?BOØWYじゃん」って言い出して。
「はい?ボーイ?少年?なにが?」って僕。

近藤「だから、BOØWYだって」
赤松「いやいや、二人とも大人だと思う」
近藤「違う違う。BOØWYだってBOØWY
赤松「完全に大人。あれは少年じゃない」
近藤「そういう事じゃなくて。BOØWY
赤松「なに?男ってこと?そういう意味でボーイ?それならボーイ」
近藤「BOØWYだって!BOØWY!」

リアルにこのやり取りを続けていて、最終的に近藤が、
BOØWYってバンドなの!二人とも!」
って怒りながら教えてくれて。
もうこっちはビックリですよ。
僕の脳をとろけさす二人が同じバンド?マジで?
「嘘つくなよ。そんなわけないだろ」って、何も知らないのに勝手にあり得ないって決めつけて。
近藤は「本当だって!」と、他の友達が通りかかった時に、「布袋と氷室って同じバンドだったよな?」って聞きまくってて。
みんなが「うん、そうだよ」「BOØWYだろ」って知ってるの。
それでも僕は信じてなくて。
「そんなん、おかしいって」と、なにがおかしいのか知らないけど、否定する僕。
「じゃあ証拠見せてやるよ」と、友達がCDを持って来て。
それがBOØWYの5枚目のアルバム「BEAT EMOTION」。
ジャケットに二人が映ってて。
「本当だったんだ……!」って。
叶姉妹”が本当の姉妹じゃなくて、ただのユニットって聞かされた時も、同じようなリアクション取ってたけど、BOØWYの時はその比じゃないというか。
「この二人が一緒に……!」って、すごいワクワクしたの憶えている。

友達から「BEAT EMOTION」をカセットにダビングしてもらって、1曲目の「B・BLUE」で鼻血が出まくり。
超メロディアスな音から氷室さんの声で「乾いた風にかき消されて 最後の声も聴こえない」で、膝の皿がわれるんじゃねえかってくらいに崩れ落ちて。
だって二倍だから。
布袋さんの「GUITARHYTHM」と氷室さんの「FLOWERS for ALGERNON」それぞれで脳内がやられてるのよ。
それが同時に押し寄せて来るんだから。
「うわ~……なにこの世界……こんなの知らない」って呆然としてた。
みんな、こんなカッコイイの聴いてたんだ。
なんで誰も教えてくれないんだよ……。
ていうか、兄貴よ。
布袋さんと氷室さんのCDを聴かせてくれた時に教えてくれればいいのに。
やっぱりシンデレラの継母のちょうど50倍、意地が悪い“兄”という存在。
簡単におしえてくれるわけないんだ……。

それからというもの、他のアルバムも友達からダビングしてもらって。
「JUST A HERO」と「PSYCHOPATH」かな。
高校入ってから「MORAL+3」とか「INTANT LOVE」「BOØWY」もダビングしてもらって。
とにかく聴きまくってた。
あれはみんな知ってるんですかね?
「JUST A HERO」の7曲目「1994  LEBEL of COMPLEX」で氷室さんと吉川晃司さんがサビを交互に歌ってるの。
教えてもらった時に、マジでビックリした!
もし知らなかった人は聴いてみて!
マジで、なにこのカッコよさ!ってなるから。
全身にたった鳥肌で「あれ?空飛べるかも?」って思うくらいカッコいいから。
今は便利よ。
「1994  LEBEL of COMPLEX」って検索したら、すぐに出て来てYoutubeで聴けるんだからさ。

あと何と言っても「MORAL+3」よね。
まだ6人編成だった頃のBOØWYで、サックスとかも入ってるの。
パンクっぽくて、でもニューウェイブでダンサフルで。
「ON MY BEAT」とか直接的な曲なんだけど、荒々しさじゃなくてメロディアスなんだよね。
そこはさすが布袋さんって感じで。
前回も紹介した「Oingo Boigo」の1st.「Only a Lad」的な、スカとパンクに日本的な味付けをしましたって感じ。
伝わるかな?
だって「Oingo Boigo」聴いた時に、まっさきに「MORAL+3」を思い出したし。
これぞニューウェイブ!の1枚だと思う。

あと完全に余談だけど、フジテレビのヤングシナリオ大賞で佳作を貰った時にインタビュー受けて。
その時に「今後、脚本でどなたに出てもらいたいですか?」って質問があって。
他の方は大御所の俳優さんとか落語家さんとか答えられてて。
自分の番になった時に「布袋さん、氷室さん、松井さん、高橋さん。まぁBOØWYですね」って答えて、無事に滑ったって事があったな……。
本当にBOØWYの物語を書きたいって気持ちはあって。
「大きなビートの木の下で」をベースにしてさ。
絶対にみんな見ると思うし。」
でも、その会見ではがっつり滑った……。
布袋さん、氷室さん、松井さん、高橋さん、この場を借りて謝罪します。
お名前を出して、ガッツリ滑ってしまいました……すみません……。

とまぁ、とにかく夏休み中にもあまりにも聴きすぎて、受験勉強が手につかないわけ。
「これはマズい!」って、さすがに危機感を覚えてさ。
あと半年しかないのに……。
だからダビングしてもらったテープとポータブルのカセットプレイヤーを箱にしまって、親に預けたの。
とりあえず受験が終わるまでって。
そこまでして、やっと呪縛から逃れられたというか。
本当にあの時はギリギリだったな……。
あのまま聴き続けてたら、高校は落ちるだろうし、今とは違う人生になってたんだろうなぁ。
まぁ、もしかしたらそっちの方がいい人生だったかもだけど……。
いまだに結婚もせずにフラフラと……。
あ、ヤバイ。とりあえず話をBOØWYに戻そう。

無事に高校が受かったという日に親から返してもらって。
春休み中はずっと聴いてたかな。
高校入学のお祝いに、新しいポータブルのカセットプレイヤーも買ってもらえて。
電車通学だったから、ずーーーーーっと聴いてた。

で、前回にも書いたけど、布袋さんのラジオを聴くようになってってさ。
そんな時に、布袋さんが「GUITARHYTHMⅡ」を発表するってなって。
ラジオで先行で何曲かかけてくれたんだけど、そこに「David・Bowie」の「Starman」のカバーがあったのよ。
それからですよ、「David・Bowie」にめちゃくちゃハマっていったのは……!

後編は、
〈BOY・meets・Bowie〉で!!