Web ZINE『吹けよ春風』

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怪談収集家、夢を叶える(オオタケ)

はじめまして。

福岡在住で怪談収集をしております、オオタケと申します。

「怪談収集家」の活動内容としては、怪談奇談不思議な話を聞き集めて、それをイベントや配信などで語ったり(最近は有難い事にテレビでも語らせて頂きました、楽しかったです)もしくは文章にして発信すること。

また、集めた怪談を、体験者の方に許可取りをした上で語らせてほしいという方に「提供(貸し出し)」する活動を行なっています。

 

 

今回はそんなわたしの夢の一つが叶った話をさせて頂こうと思います。

 

 

時を遡って半年前、わたしは怪談イベントの「裏回し」をしていました。怪談イベントをするのは、界隈では有名な怪談師さんたち。

(怪談師とは怪談語りを生業にしてるプロの語り手さんたちだと思ってください。細かく言うと諸説あります。わたしは「怪談収集家」なので語りが主要になる怪談師とはちょっとジャンルが違います)

そんな怪談師さんとイベントを行う会場側のスタッフさんとの間に入って、イベントで発生する料金の確認や什器配置の確認、タイムテーブルの作成や当日のスタッフ業など、細かい業務を行なっていました。

実績が出来るとまた他の有名な怪談師さんから声が掛かり、会場側との橋渡しをしていました。

 

 

そうして日々をバタバタと過ごしているある日でした。

夫から急に、

「もったいないなと思わへんの?」

と声を掛けられました。

「そんなすごい人たちのイベントに関わってるのに、名前がクレジットされないの、もったいないって思わへんの?」

 

どきっとしました。

正直、大声で「このイベントわたしも関わってるので是非ご来場くださいー!」と声を上げたいと何度思ったか。

小さい声で

「思ってる」

とだけ言うのが精一杯でした。

 

「そしたらさあ、自分でイベント主催したらええやん」

 

目から鱗でした。

「表立って堂々と言える実績作ったらええやんか、もう君にはそれが出来るだけのコネクションがあるんやから」

夫の言葉に、頭の中がぐるぐると回転します。

怪談界隈に身を置いていれば、目に入るさまざまな個性のあるイベントたち。

それらを見ていると、自然と頭に浮かぶわたしがもしイベントを主催するとしたら、というふわふわとした夢想。

 

確かにいま自分はワガママを聞いてもらえる会場との関係性を築けている。

いろんな怪談師さんとのツテも出来ている。

あとは夫が言う通り、「主催したらいい」だけだ。

 

カコンと頭を殴られたような衝撃で、その場は

「もちろん夢想したことはあるけど、現実的に考えたことなかったわ……ちょっと考えてみる……

と返事するのがやっとでした。

 

わたしがやりたいイベントって、改めてどんなだろう。どんなゲストの組み合わせで、どんな構成にしたら楽しいだろう。

考え始めるとキリが無く思考が広がっていきました。

 

 

ある日、東京の怪談イベントへのオファーがあり、福岡から東京に訪れていました。

出番まで控え室で共演者の方々と楽しく歓談して、いよいよ本番、会場へと入場した時です。

客席の最前列、自分の真前に『イベントにお呼びしてみたいなあ』と思っていた怪談師さんが、まさにそこに座っていたのです。

完全にプライベートで、わたしの出演するイベントを見に来てくださっていたのでした。

イベント中はその方に意識がいかないようにいかないように……としようとすると逆に意識してしまって、緊張のあまりあっという間に時間は過ぎてゆきました。

その後、打ち上げ会場に、主催の方の計らいでその方もお招きすることとなりました。

その方は怪談界隈では名を知らない者はいない、怪談師・作家でありゴールデン街ホラーズというユニットの、夜馬裕さんでした。

 

実は以前夜馬裕さんとは、ネット上の企画で「アマングアス」というゲームを一緒にさせて頂いたことがあったのです。そのゲームで初めましての夜馬裕さんを唐突に殺したのがわたしたちのファーストコンタクトでした。

よって、打ち上げでのご挨拶では

「以前アマングアスを一緒にプレイさせて頂いた際には、急に殺してしまって大変申し訳ありませんでした……オオタケと申します……

と恥ずかしながら申し上げました。

夜馬裕さんはころころと笑ってくださり、そしてそれから楽しく談笑をし、フルで語ると一時間近くかかる怪談を聞かせてくれたのです。

打ち上げも終わる頃、怪談の余韻が凄まじくふわふわとしていると夜馬裕さんに声を掛けられます。

「良かったら、福岡での怪談会に呼んでくださいね」

あまりに嬉しいお申し出に舞い上がりそうになりましたが、気を遣って声を掛けてくださっただけだろうとすぐに気付き、「ええ、是非お願いします」と簡単にお返事することしかできませんでした。

 

お別れしてから数時間後、夜馬裕さんからDMが一通届きました。

丁寧に長文が綴られたDMには今日楽しかったことに加えて、

「福岡に呼んでくださいと言ったのは決しておべっかではないんです。オオタケさんと一緒に怪談をしてみたいです。是非◯月頃に呼んでください」

と書かれていました。

これには本当に心の底から舞い上がってしまい、福岡に帰ってすぐ夫に「福岡で定期開催している怪談会に夜馬裕さんをお呼びできそう」と報告しました。すると夫が「ちょっと待て」と。

「オオタケと怪談会やりたいって言うてくれてるんやろ?なんでわざわざいつもの怪談会のゲストとして呼ぶん?これ、オオタケ主催の怪談会のゲストに来てもらえるやん」

またしても衝撃が走りました。自分はこうも我欲がないのか、考えが至らないのかと悲しくもなりました。

ですがここで夫の言葉により、

「自分の初主催のイベントに夜馬裕さんを呼ぼう、そしてもう一人のゲストは夜馬裕さんの凄さを知ったきっかけでもあるあの人を絶対に呼ぼう」

と、ようやく腹が据わりました。

 

 

わたしが怪談を語る配信を始めたきっかけになった人がいます。

わたしはWEBラジオの「ラジオ漫画犬」のヘビーリスナーで、とりわけ怪談奇談のお便りを取り上げた「怪談奇談回」という特集回の大ファンでした。

怪談奇談回をキッカケに、その方主催の怪談イベントに足を運んだのがわたしの怪談イベントデビューで、そこで初めて拝見したのが夜馬裕さんでした。

 

怪談を趣味で集めていたその頃、勇気を振り絞って自らの体験談を怪談奇談回にメールしたことがあります。

メールを送信したその瞬間、なにか肩の荷がおりたような感覚になって、「自分でも発信してみてもいいかもしれない」と思いたち、怪談配信を始めました。

しばらくして、ラジオにまた怪談奇談回がやってきました。

「今回は、歴代トップクラスに怖いお便りが来た」、そう言って紹介されたのがわたしのメールでした。

嬉しくて嬉しくて、夫や妹にもラジオを聴かせたことを覚えています。

その後メールで個別に、怖い話の大会に合わせて怪談の提供のご相談を頂きました。

それが、週間連載漫画家・オモコロライターである凸ノ高秀先生、その人でした。

わたしの怪談人生をスタートさせてくれた人です。

 

某日、東京で行われる凸ノさんのイベントに足を運びました。

凸ノさんのイベントには何度かお邪魔していましたが、その日は明確な目的がありました。

凸ノさんと二人でお話出来ることになったタイミングで、直接出演オファーをしました。

短い時間でしたが熱意を伝えるとすぐ

「やりましょう」

とお返事いただきました。

その場で候補日まで何日か頂いて、喫煙所に辿り着く頃には喜びと達成感で足が震えていました。

 

 

自分が怪談イベントをする時には絶対にフライヤーをお願いしたいグラフィックデザイナーさんがいました。

名古屋在住のノゾミさんです。

彼女のデザインの大ファンで、これだけは最初から明確に「自分の怪談会はノゾミさんにフライヤーを作ってもらいたい」と思っていました。

ノゾミさんが福岡にいらっしゃる機会があり、ご飯とお茶を一緒にさせていただいた際にご相談させていただくと

「オオタケさんからのご依頼だったら喜んでやります!今は自分でもフライヤー作れるのにわざわざ頼んでいただけるのが嬉しいので

とご快諾いただきました。

 

わたしの中での「絶対にこれがやりたい」が揃った瞬間でした。

 

 

タイムテーブルを考えるのも楽しくあっという間で、お忙しい演者さん二人のスケジュールを合わせるのが一番難航しましたがなんとかそれもクリアし、ノゾミさんに依頼したフライヤーはこれ以上なく最高で、追加でグッズ制作もお願いしました。

夜馬裕さんと凸ノさんは飲み仲間でもあり、一緒に東京で何度もイベントをされているので何も不安はありませんでした。

日々ワッと売れたりじわじわ売れたりするチケットとにらめっこしながら開催を待つ二ヶ月間は、今思うととても楽しかったです。イベント前日は楽しみすぎてなかなか眠れませんでした。

 

 

 

イベント当日、ライブハウス秘密にて。

秘密、という名の通り分かりにくい場所にある為、遅刻してくるお二人をお迎えに表の通りに出ていました。

夜馬裕さん、凸ノさんと順番にいらっしゃり、夜馬裕さんが「凸ノさーん!」と嬉しそうにするのを見てにっこりし、ステージを実際に見ていただいて「おお〜」と反応してくださる。そこで当日の細かい流れを話し合い、凸ノさんがプロジェクターを使いたいということで出番順が変更になりました。(当日にこの流れになるのもloft系列でのライブに慣れてらっしゃるからこその発想だなと思いました)

 

控え室でも会話が盛り上がり止まらず、「これを是非ステージで見せたい!」と何度も思いました。実際にステージ上でもお話ししてもらった話もあります。

 

 

ライブ本番は、わたしがご挨拶を兼ねてトップバッターで出るところから始まりました。

このイベントへのラブレターのような思いの丈を申し上げた後、凸ノさんに提供した怪談を語りました。

 

次の夜馬裕さんは、まさかの初めてお会いした時に聴かせてくださった長尺の怪談を語ってくださりました。転換で興奮しながら「まさかあの話なんて!」というと「今日はせっかくなのでこの話をしようと決めてきました」と笑ってくださり感無量でした。

 

凸ノさんはライブハウス秘密で行う怪談ライブでは初めての、プロジェクターを使ったお話で、短めの不思議な話をした後に実際の写真を見せてくださるということを数回繰り返してくださいました。お客さまの反応も良く、当日のプロジェクター導入にドキドキしたけど良かったなあと嬉しくなりました。

 

その後座談会パートに移り、三人で怖い話から笑ってしまう話まで幅広くお話をすることが出来て、視聴者側としても凄く好きなジェットコースターのような展開が嬉しく、演者としてステージに上がっていてもとても楽しくて、本来なら「キャーーーッ」と声が上がるような場面でお客さまから「ドッ」と笑いが起こっている現場に、「ああ、怪談が好きな人たちがこんなに集まっている」と幸せな気持ちでいっぱいになりました。

 

終演後、サイン会と物販の時間を設けていたのですが、お二人に会えて嬉しそうな九州の人たちを見て「お呼びして本当に良かったな」と幸せな気持ちになったり、わたしの物販に来てくださって「またイベントやってください!」「またこの三人でイベント見たいです!」と何人もの方が声を掛けてくださって、心から嬉しかったです。

 

 

スタートは、「わたしの夢を叶える」でした。

実際にイベントを開催したら、「本当にこのイベントやってくれてありがとうございます」と声を掛けてくれるお客さまがいて、「楽しかったです」と声を掛けて頂ける、自分の夢が他の誰かのうれしいや楽しいに繋がるんだ、という得難い経験をすることが出来ました。これは主催をしなかったら絶対に分からなかったな、と思います。

だから、わたしはワガママを通して夢を叶えて、本当に良かったです!心からそう思います。

そんなわたしの備忘録でした。

 

オオタケ

怪談収集家/怪談奇談を食べて生きています

怪談を集めて語る活動をしている。不思議な体験があれば些細なことでもDMお待ちしています。各種イベント出演他、CSフジテレビONE「実話怪談倶楽部」出演等。

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