Web ZINE『吹けよ春風』

Web ZINE『吹けよ春風』と申します🌸

百合と目が合う──コンテンツレビュー日記、またはコロナ療養記(生湯葉シホ)

同居している恋人が先に熱を出して、そのあとが私だった。昨年末にやや久しぶりにも思える大流行があって、まだ感染していなかったまわりの人たちも大方そこでコロナにかかりきっていて、意外とかかんないねえ、というかもうすでに無症状感染してるんだろうね、なんて話していたから、いま思えばちょっと油断していた。

近所の内科医院には「はじめは無愛想で驚くと思いますが、怒っていません。大丈夫です」というGoogleの口コミがついていた。おかげで電話するのは怖くなかった。同じ人のレビューのなかに「一見、どこの魚市場だ?と思いますが」というフレーズがあったので気になっていたが、順番がまわってくると、医師が開口一番に「するってえと、症状は」と口にしたので納得。親身に診てくれるすごくいい病院だった。熱が、咳が、息苦しさが、などとおろおろ説明しながら、ああこれはコロナだろうなと自分でも思っていた。

ひと足先に診察を受け、帰宅していた恋人から「都の療養キット頼んでみたよ」と連絡がくる。そっちがそうだったならもう間違いなくそうだろう。案の定コロナと診断され、療養期間がはじまった。

 

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という感じで、いまの私は当時のことを(あるていど冷静に)ふり返って書くことができるのだけれど、療養期間の7日間と、それが明けたあとの数週間はほんとうに辛かった。リアルタイムで体感していると、このまま不調が半永久的につづくのかもしれないと思えてきて鬱々とした。

そういうとき、荒んで毛羽立っていく一方の心を多少なりとも穏やかにしてくれたのが、いくつかのゲームや本や音楽だった。はじめはこの文章を療養記にしようと思って書きだしたが、思い返してみると随所随所で、ああ、あれに助けられたなとか、あのときあれを読めてよかったな、みたいなものがたくさんあったように感じられるし、私としてもそっちの話のほうがしていてたのしい。そんなわけで、コロナに感染してからひと月ほどのあいだに、見たり触れたりしてよかったなあと(あるいは「助かったなあ」と)思うものについてばらばらと挙げてみようかなと思う。

長く退屈な療養期間の日記として読んでいただいてもいいし、コンテンツのレビューとして飛ばし読みしてもらってもかまわない。リハビリみたいな感覚で書いていくので、読みづらいかもしれないけれど、お付き合いいただけたらうれしい。


いくつかの謎解きゲーム──御仏の殺人、HOTELブルーローズの99の部屋

創世記の書き出しみたいになってあれだが、まずはじめに5日間の高熱が出た。6日目、処方薬を飲んでいるときに突如、口のなかがケミカルな感じにぶわっと苦くなった。あれ、薬の味こんなだったっけ、と思っているうち、いくらすすいでもその苦味が口内から消えなくなった。もともと高熱が出やすい体質なので、熱が40℃に近づいてもしばらく余裕ぶっていたが、ふつうの風邪とはあきらかにちょっと様相がちがう。そのうち、あ、これは長丁場になるかもしれないとうすうす気づきはじめ、仕事の関係各所にあらためて連絡した。

ロキソニンで熱が38℃台になっているときだけは動けた。さすがに起き上がって仕事をしたり本を読みとおしたりする力はなかったけれど、頭だけは妙に興奮していて、なんでもいいから作業をしたかった。いまになってふり返ると、このとき実際にはかなり朦朧としていたのだけれど、ふだんどおりにものを考えたり手を動かしたりできるぞ、だから大丈夫、と自分に言い聞かせたかったのだと思う。動揺していた。

ベッドに横になりながら、いくつかの脱出ゲームアプリをダウンロードしては部屋(あるいはホテルの一室、事務所、夏祭り会場、大浴場)から脱出し、ダウンロードしては脱出し、をしばらくくり返していた。すぐに飽きてしまって、なんかもうちょっと解きごたえのあるやつないかな、とネットをさまよい、『DETECTIVE X CASE FILE#1 御仏の殺人』を見つける。リアル脱出ゲームを主催するSCRAPが監修した「本格犯罪捜査ゲーム」シリーズの第1弾で、シナリオは道尾秀介さんが担当している。実際の犯罪捜査を模した捜査資料に自分であたりながら事件を解いていく、というかたち。

注文から数日で家に届いたわりと大げさな箱をあけてみると、ある未解決事件を追っているというフリーライターによる名刺つきの手紙と、その事件についての週刊誌の過去記事が目に入った。これがほんとにリアルでめちゃくちゃよくできている。真相に近づくたびに手元に届くあたらしい捜査資料(実際にはゲームの進行上、指示があるたびに封筒をひとつずつあけていくというかたちなのだが)のすべてに物語の世界観を損なわない丁寧な作り込みがされていて、捜査の進めかたも単にメモをとるだけで済むようなものじゃなく、ギミックの緻密さにワクワクできるものばかりで、いわゆる謎解きゲームとは一線を画したコンテンツになっていてとてもよかった。

10代のときは謎解きコンテンツがすごく好きで、いっときはSCRAPの店舗スタッフをさせてもらっていたくらい、体験型ゲームとか謎解きにはまっていた。いまでもそれらは好きなのだけれど、あるときから、多くの謎解きゲームにある「型」(小謎が7問くらいあって、クロスワードを解いて、さいしょに伝えられた情報のなかにある重大なヒントを活かして大謎にたどり着く、というような)に飽きてしまって、なんかもういいかも、というテンションでいた。だから、謎解きの既存のフォーマット自体を疑ったり、それを踏襲しながらも別のかたちでおもしろさを追求しているコンテンツにときどき出会うと感動してしまう。

『御仏の殺人』は3~4人集まってわいわいやってもたぶん楽しい。同じくSCRAPの最近のコンテンツだと、『HOTELブルーローズの99の部屋』もおもしろかった。アートワークが統一されていてすてきだったのと、自分でホテルの部屋を一室ずつ訪ねていくというギミックもよかった。オンラインで完結する謎解きゲームを探しているひと、特にゲームブックのような進行のランダム性が好きなひとにはこちらはおすすめ。


映像ゲームの傑作『Her story』と『immortality』

発症から7日目、咳がひどく、まだ熱は出つづけていて、口のなかの謎の苦みもとれない。耐えられないほどの悪寒がして、怪談を聞いた直後の子どものように歯がずっとカチカチ言っていた。快方に近づいていく未来が見えなくて、心がわかりやすく澱んでいく。ツイッターで「マスクなんていらない」「コロナ 茶番」などと検索しては、見つかったアカウントを端からブロックしていった。処方薬の残りがかなり減ってきたことにも焦っていた。

机の前に座ってみてもやっぱり本は読めず、ゲームならできた。だから淡々とゲームをしていた。Steamで評判のとてもよかった『パラノマサイト FILE23 本所七不思議』を10時間くらいかけてやりきる。ノベルゲームに近いミステリーアドベンチャー

シナリオの分岐するポイントに納得感があっておもしろかったけれど、全ルート攻略のために総当たり的な繰り返しを余儀なくされるところがわりとだるく、私はそこまではまれなかった。あとからレビューをいくつか見てみると、キャラクターと世界観も含めて魅力的に感じているひとが多いみたいだった。

HOTELブルーローズ』を終えたあと、ファミ通のサイトに掲載されていた制作陣へのインタビューを読んでいたら、コンテンツディレクターが「進行の自由度は、『Her story』というゲームを参考にした」と語っていて興味が湧く。ちょうどSteamのセール中だったので買ってプレイしてみた。

これがもうど真ん中に好みだった。形式としてはミステリーアドベンチャーになるけれど、プレイヤーができることはかなり限られている。プレイヤーは、ある殺人事件について女性参考人が語った数日間の映像記録を、デジタルアーカイブを検索しながら一つひとつ見ていくことになる。映像はどれも数秒から1、2分程度の短いもので、たとえば「殺人」であるとか「眼鏡」であるとか、特定の単語を検索窓に入れることで、その単語が含まれている(参考人がその単語を口にしているシーンの)映像を引き出してくることができる。複数の映像を再生してストーリーを補完していきつつ、事件の真相を知ることを目指すゲーム。

このゲームシステムがとにかくすばらしい。単語検索に映像が紐づいているというシステムの特性上、勘がいいひとであればおそらく、映像に表れている些細な違和感を手がかりに、事件の核心にあたる証言映像にわりと早くたどり着くことができると思う。けれど、トリックや犯人が解き明かされることがシナリオ上のクライマックスではなく、むしろ彼女が語る話の枝葉の一つひとつをどこまでも知りたい、と思わされてしまう。プレイヤーにそう思わせる参考人の演技(Viva Seifertという俳優の方だそう)も凄まじくいいし、終盤にわかるもうひとつの事実も美しい。

ミステリーのトリックそのものよりも、犯人やその周辺人物が語る身の上話や与太話が好きというひとには問答無用でプレイしてみてほしい(コロンボの『忘れられたスター』を見たあとの余韻を思い出した)。私はここ数年でやったインディーゲームのなかでいちばん好きだった。

『Her story』のクリエイター、サム・バーロウが似たシステムの新作ゲーム『IMMORTALITY』を出していると知って、『Her story』をやり終えたあとすぐに購入した。3本の映画に出演しながらも、いつしか業界から姿を消した映画スター、マリッサ・マルセルの出演作をプレイヤーは1本ずつ見ていく。映画にまつわるインタビューやトークショーを含む未公開のフィルムを断片的に見ていくことで、マリッサの身になにが起きたかを徐々に知っていく……という概要だけでもうおもしろそうでしょう? 

こちらも傑作で、途中からラストまでずっと鳥肌が立っていた(コロナの悪寒からあれが来ていたのかはいまでもわからない)。映画史をたどっていくおもしろさもあるし、あきらかにヒッチコックを意識した人物が出てくるところとか、当時の業界の権力構造のグロテスクさも示唆している。哲学的なテーマとあまりの長大さに賛否はあると思うけれど、途中で飽きちゃっても十分おもしろいと思うので、ぜひやってみてください。


「人類がつくったもっとも美しいゲーム」こと『Outer Wilds』

熱と悪寒が引いていくのに反比例して、口のなかの苦みが強まっていった。処方薬を飲んでいるあいだは気づかなかったけれど、どうやら苦みは薬に関係なく存在していて、それによって食べものの味や匂いを消してしまうみたいだった。幸か不幸か食欲はあったから、療養キットのなかのレトルトカレーや中華丼をもりもり食べた。でも、肝心の味はほとんどしない。

療養期間が明けたのでしばらくは散歩ばかりしていた。桜の見頃はちょうど過ぎたあたりだったけれど、ぎりぎりで見られた谷中霊園の桜はきれいだった。いろいろな場所で花が咲き終わり、木の芽が芽吹きはじめていた。香りの強そうな花に顔を近づけてもなんの匂いもしない。咳と息切れがひどかった。

お酒を飲むことと香水を集めることがいちばんの趣味といえる自分だけれど、しばらくどちらもできていなかった。お酒はためしにビールをちいさなグラス半分飲んでみたが、味はしないし、すぐに頭もひどく痛くなった。自分の体調が読めず、頂いた仕事の依頼や遊びの誘いをしばらく断りつづけることになった。

このまま匂いがしなかったらどうしよう、と怖くなって、友だちに提案してもらった香水の嗅ぎ分けをしてみることにした。私うしろ向いてるから、部屋にある香水のなかから1本この紙に吹きかけてみて、どれでもいいから、と恋人に頼むと、すごいいっぱいあるねえ、と妙に楽しそうだった。渡された試香紙を嗅ぐと、香りはやっぱりほとんどしない。それでも時間をかけていくと、どの香水かはなぜだかわかった。鼻が香りを感じているというより、このきつい刺激は柑橘だな、とか、さいきん嗅いだ記憶のある甘ったるさだな、というように、平面的な情報を頼りに、情報の印象にいちばん近いものを脳が選んでいるという感覚だった。喜んでいいのか悲しむべきかわからなかった。

何回かやって、すぐにわかったのはフラッサイの「ア・フエゴ・レント」。すごくクリーミーなフローラルで、いい意味で香りが立たないというか、嗅ぎ疲れしない感じが新鮮だったので体が覚えていた。体調が悪いときに嗅いでも疲れない香水というのはとても貴重。

怖さと不安を紛らわすようにやっぱりゲームをした。Steamのレビューに「人類がつくったもっとも美しいゲームのひとつ」「夢が叶うのなら、自分の腕に『Outer Wildsをやれ』と刻みつけた上で記憶を失いたい」というフレーズがあるのが目に止まり、『Outer Wilds』を買ってみる。そのレビューをスクショしてストーリーにあげたら、ゲーム名を出していないにもかかわらず「もしかしてOuter Wildsでは?」というDMが友だちから爆速で届く。

そんなことある? と笑ってしまったけれど、たしかに美しく、この世界にずっと居つづけたいと感じられるゲームだと思った。プレイヤーは、ひとつの星が消滅するまでの22分のあいだに、できることをあれこれ試していく。試行錯誤を無数にくり返す必要があるのに、ループが苦痛にならないのがすごいし、なにより音楽がよかった。メインテーマのバンジョーの響き、よすぎませんか? 

これをやっているとき、ああ、私には「あしたには他のことがなにかできるかもしれない」という可能性を前向きに捉えられるようなメンタリティがすこしでも残っているんだな、と思えたのがうれしかった。実はまだクリアできていないので、ゆっくりプレイしつづけたい。Feldsperにまだ会えていないのだけど、たぶんハーモニカを吹くFeldsperを見たら泣いてしまう。


ラジオクロワッサン、その他

日によっては匂いや味がすこしするようになってきたな、と感じていた矢先、ふたたび高熱が出た。体を縦にするだけで悪寒が止まらなくなり、週末をまるまる潰してしまう。人に連絡もできず、仕事もできず、買っていたイベントのチケットも無駄になった。『友田オレvsリンドバーグ』、行きたかった。友田オレさんはこのところいちばん気になっている学生芸人(これを書きながら『私の彼は左きき』というネタを見返していたら、可児正がパロっているバージョンを見つけて爆笑してしまった。天才と天才のコラボ……)。

丸2日経ち、勘弁してよと思いながらふらふらと起き上がると、めまいがひどくなっていた。インタビューの文字起こしをすこし進めてみる。舌がもつれるみたいに、文字がもつれる、というような感覚があって怖くなる。

コロナにかかってから、文字が出てきづらいみたいな感覚ある? と恋人に訊くと、「慣用表現がなかなか思い出せなくて、主語に対応する述語がぱっと出てこないかもしれない。あと、『~せざるを得ない』みたいな言葉を打とうとするとき、『せざるを』を『せるざを』って打ってしまう」と言われ、ああとてもわかる、と思った。いやだね、怖いよねえと言い合う。怖さと体の疲れから、途方もなく眠ってしまう。

眠りながらたくさんの夢を見た。15時間くらい寝つづける日が数日あって、目を覚ますわずかな合間にラジオを聴いていた。冬の鬼さん・ぺるともさん・ハチカイ警備員さんがやっている『ラジオクロワッサン』というネットラジオが好きなのだけれど、『ドラメッド三世』というすばらしい回があり、それをくり返して聴いた。「1曲だけ好きにやっていいって言われたアルバム曲みたいなキャラクター」「なんでこいつだけ2四次元持ってんだ」というツッコミに絶対笑ってしまう。たしかにドラメッド三世だけランプとターバンふたつ持ってるのふしぎだよな。

聴きながら、半年くらい前に飲み屋で年下のひとと喋っていたとき、「なんか、お母さんがドラえもんのパチもんみたいなキャラのステッカー持ってて……青じゃないんです」と言われたときのことを思い出してしばらく布団のなかで笑っていた。「ドラ・ザ・キッド? ドラニコフ? からかってます?」と彼女は最後まで怪訝な顔をしていた。


対馬康子の句集、そして『君のクイズ』

匂いがはっきり感じられる日とそうでない日が出てきた。血管が破裂してしまいそうなひどい動悸、ぐるぐるとしためまい、熱、息切れ、のうちいくつかが日によってあったりなかったりして、まいあさ目を覚ますたびに最悪の体調ガチャを引いているような気分。それでも香りが認識できるようになってきたことがうれしくて、咲きかけの百合を花屋で買った。

しばらく読めていなかったから、本が読みたくなってきた。あまり長いものは体と頭が疲れてしまうような気がして、短いものがよかった。教えてもらった対馬康子という俳人の句集をぱらぱらとめくる。愛国という第一句集のタイトルにややぎょっとするのだけれど、俳句はどれもすばらしくて謎のアドレナリンが出た。「故郷喪失洗い髪のまま寝ては」「図鑑閉じみな盲目の花畑」「すずかけの街さわがせてコップ割れ」。

仕事をするのにちょっと環境を変えたい、という恋人の背後に鳩のようにくっついて図書館へいく。5分ほど歩くともう体力が限界で、あらゆる公園をセーブポイントみたいにしながら進んだ。

改稿を進めていた小説に向き合ってみる。図書館のWiFiが弱くて、Googleドキュメントの文字がすこし遅れて表示される。処理はできるけれど時間がかかる、というPCの挙動がいまの自分にそのまま重なって、憂鬱になった。文章を書こうとしてみても、一文と一文のあいだのつながりの距離がよくわからない。この文章を打ったら次はこれがくるだろう、という文脈の接続感が失われている気がした。書いても書いても、ぼこぼこと湧き上がる泡のようにどの文章も浮いていて、掴みどころがない。書けないと気づいたとき、血の気が引いた。

ひとの文章を読んでいるうちにリズムを思い出せるかもしれない、と思って、近所の書店で『スピン』の3号『君のクイズ』(小川哲)を買って帰った。『スピン』はまだ読んでいる途中。絲山秋子さんは10代のときにいちばん熱心に読んだ作家のひとりなので、特集を楽しみにしていた。

『君のクイズ』はただただおもしろく、久々に小説を一気読みした。早押しクイズの大会の決勝戦に出場していた主人公が、あと一歩のところで対戦相手に負けてしまう。対戦相手は最終問題で、問読みを聞く前に(つまりクイズが出題される前に)解答するという、ふつうではありえないことをやってのける。とうぜん主人公やクイズプレイヤーたちはヤラセを疑って抗議するが、番組や対戦相手側からきちんとした対応はなされない。主人公はしかたなく、対戦相手のクイズ歴や番組のプロデューサーについて自分で調べ上げ、相手がどうして「問題を聞く前に解答」できたのかに迫っていく。

勝戦の録画映像を見返しながら、主人公は過去を回想していく。競技クイズに出会ったときのこと。「どんな話題にでもついていけるキャパはあると思うよ」とイキった発言をしたせいで、主人公のことを「キャパくん」と呼んでいた恋人のこと。忘れられない誤答、勝てなかった大会。ほぼ全編が主人公の回想で進むと言ってもよく、物語のなかの時間や景色はほとんど変わらない。彼の記憶はすべてクイズを軸に組み立てられていて、クイズについて語ることがそのまま半生について語ることにつながっている。それがすごくよかった。

競技クイズを批判するひとは決まって、「生きた知識でないのなら意味がない」という。たとえばルーブル美術館の名画を覚えていても、歴代の芥川賞作品を覚えていたとしても、それらがクイズで覚えただけの知識で、実際に触れたことがないなら意味ないんじゃないの? と。さいきんだと『東大王』のイメージがあるのか、東大生は頭でっかちで「役に立つ」知識しか知らない、みたいなステレオタイプを平気で公言するひともいる。

『君のクイズ』には、クイズで覚えた知識が人生を通じて「生きた知識」になることのすばらしさも、そもそも役に立とうが立たまいがクイズってそれ自体が楽しいじゃん、という純粋なよろこびも、両方書かれている。

後者でいうと、たとえばQuizKnockにはかつて山上大喜さんというクイズプレイヤーがいて、彼の「クイズをすることが楽しくて楽しくてしかたない」というオーラはほんとうによかった。山上さんがなぞなぞのベタ問(クイズとしての出題頻度が高い問題のこと)を瞬殺していこうとする動画は何回見てもゲラゲラ笑ってしまう。同じ回に出演している河村さん・鶴崎さんも異次元の強さだし、めちゃくちゃ楽しそう。クイズってこれでいいんだよな、と見るたびに思う。

『君のクイズ』は同時に、「早押しは魔法ではない」ということも正面から描く。クイズプレイヤーが常人には理解しがたい早押しをするとき、その頭のなかでなにが起きているのか。伊沢拓司さんの『クイズ思考の解体』にも鮮明に書かれていたことだけれど、クイズプレイヤーは万物を記憶しているわけではなく、情報のアーカイブのなかから適切な時間で適切な答えを引き出してくる訓練をひたすら積んでいるのだ。主人公は無数の記憶をなめらかになぞって移動しながら、ひとつの解答まで必死でたどりつこうとする。その思考の躍動が美しかった。

QuizKnockをはじめ、クイズ系YouTuberのひとたちの動画には名作が本当に多いのだけれど、かつてカプリティオに所属していた石野さん(現在はQuizKnockに移籍されている)が『美味しんぼ』の「ラーメン三銃士」回の台詞の頭文字だけをヒントにした問題を出していたことがあって、このひとたちはほんとうに狂っていると思った。クイズを楽しそうに問くひとたちを見ると元気が出る。


フジファブリック ワンマンライブ「Dance Sing Revolution No.19」

めまいと動悸が特にひどい日が増えてきた。療養期間が終わってからはじめてオフラインの取材の仕事にいく。行きの電車は満員に近く、とうぜん座れなくて滝のように汗が出た。

取材ではとてもおもしろいお話が伺えた。けれど座っているのにずっと酔っているみたいに視界がぐるぐるしていて、息も切れ、勘弁してくれよコロナさすがに、と思う。

取材を企画してくれた友人の編集者から、Bスポット治療という治療法が自分の場合はめまいに効いたけれど、もうそれはとんでもなく痛い、という情報を教えてもらう。調べたら、喉や鼻から棒を挿し込み、上咽頭に消炎剤を強くこすりつけるというものすごいやりかただった。Googleのサジェストワードに「痛すぎる」「耐えられない」などと並んでいてぎょっとする。もう何週間か治らなかったらやってみよう、と思う。

〇〇さんはどうなんですか、と恋人の調子を聞かれ、いやなんかわりとケロッとしてるんですよ、むかつきますよね~、などと軽口をたたく。当たり前だけれどそんなことは実際には思わない。思わないけれど、歩くのも喋るのもしんどくなって、いままで自然に書けていた文章もすごく大変になってしまって、なんかもう私は自分のことを自分であきらめてしまいそうです、とは言えなくてつい笑い話にしようとしてしまう。

帰りの電車に乗っているとき、いつか友人が話してくれたことを思い出す。心臓の大手術を経て、発作を止めるための機械を体のなかに埋め込んだ友人は、それまで本をぱんぱんに詰めたリュックを背負って通勤していたのに、それができなくなることを怖がっていた。けれど医師や看護師はその恐ろしさを笑って受け流したという。

リュックが背負えなくなる程度のこと、と感じたのだろう。けれど実際には、ちいさな生活習慣やこだわり、嗜好品が私たちの人生を成り立たせているのであって、けっしてそれは「その程度のこと」ではない。私たちは生き延びるためだけに生きているわけではなくて、それはもっと、尊厳にかかわることだと思う。私の父は食道がんを患っているけれど、けっきょく酒をやめていないし、それは父以外の誰にも非難されるべきことじゃないと私は思っている。

と、いうようなことを自分自身に対しても思えたらよかったのだけど、気力と体力がなくなってくると、それが難しくなってくる。もっと重症のひともいるのに。亡くなったひともいる病気なのに、と思えてくる。それはある部分ではたぶんすごく正しくて、コロナにともなう喪失を想像して身動きがとれなくなる自分のことだって、できるなら否定したくない。

取材の帰り、1年ほど前から通っている鍼灸院にいく。鍼灸師のかたは心配そうに私の話を聞いた上で、「しほさんはお酒がお好きでしょうから、もとどおり飲めるようになるとか、そういうのを目標にしてもいいかもしれませんよね」と控えめにいう。酒、いまの体調だとぜんぜん飲む気になれないけど、でもたしかに飲みたいな、と思う。美味しいリキュールを飲みたい。実際にできるかどうかよりも、欲があることに安心した。鍼灸は私にかなり効き、動悸がとくに改善する。

その数日後、フジファブリックのワンマンにいく。会場は中野サンプラザで、幸いオールスタンディングではなかったので、なんとか大丈夫かなと思えた。再来月にはなくなってしまうサンプラザ。そういえばほとんど来たことなかったな、と思いながらおおきな階段を上っているとき、いや14年前に来たじゃないかと思い出す。志村のお別れ会で。高校のときで、冬休みがはじまる直前だった。

開演を待ちながら、誘ってくれた友だちと話しているとき、自分のしゃべりかたがなんか前より平坦になってるな、と気づく。長いセンテンスを口に出すと息切れしてしまうみたいだった。自分の呼吸をたしかめるみたいに吸ったり吐いたりしているうち、ライブがはじまった。

上京してきて、ここ中野の桜をはじめて見たときびっくりしたんです綺麗で、という山内さんのMC。デビュー日に演る『桜の季節』。何度も生で聴いてきた曲だけれど、この日の桜の季節があんまりよくて、客席で呆然としていた。サポートで入ってくれている伊藤大地さんのドラムが太くて強い、いい意味で泥臭い音で、足元から響いてきて、ちょうど自分の鼓動の高さに重なっていた。ものすごくタイトな演奏なのにピアノもギターもベースもふくよかに聴こえ、けれどその余韻に上書きされない山内さんの声の力。「作り話に花を咲かせ 僕は読み返しては感動している!」。なんでこんなすごい詞が書けるんだよ。客席はみんな、自分に言い聞かせるみたいにちいさく頷きながら聴いていた。長すぎるほどの拍手。これは。来てよかった、来るべきだったと思った。

19年もやってこられるなんて想像できなかったんですと山内さんが言う。志村くんと比べられることもやっぱりあって、僕からしたらあんなすばらしいボーカリストと比べられるなんてうれしいくらいなんだけど、と言いながら彼はやたらステージ上をふらふら行ったり来たりしている。そんなの気にしないで突き進んできたつもりだけど、その先が行き止まりかもしれないってわからないから、悩むこともある。そういうときに支えてくれるんですバンドが。バンドっていいでしょう、すごいでしょう? と言われ、永遠につづいてくれとただステージを見上げることしかできない。

ツアーが発表され、また来ようと思う。めまいはつづいていたけれどふしぎと元気で、なんとかやっていかなくちゃと思った。サンプラザ、こんな音よかったんだなといまさら気づいて悔しい。

家に帰ると蕾だった百合が2輪いっきに咲いていて、ぐわっとひらいた百合と目が合う。配信チケットを買って、ライブを頭から聴きなおした。

 


<プロフィール>
湯葉シホ  東京在住。フリーランスのライター/エッセイストとして、Webを中心に文章を書いています。『別冊文藝春秋』に短編小説「わたしです、聞こえています」掲載。『大手小町』にてエッセイ連載中。