「あいりちゃんって好きな漫画家、いるの?」
高校生のわたしにとってかなり難しい質問を投げたのは、北海道出身の、わたしよりひとつ歳上のギャルだった。わたしの通っていた高校は夜間の定時制で、クラスにはいろんな年齢の人、いろんな性格の人、いろんな事情を持った人が通っていて、ギャルもその一人だった。当時、今よりもうんとひねくれていたわたしは、なぜギャルがそんなことを聞いてくるのか一瞬分からずに身構えたのだが、単にわたしが図書室で借りたつげ義春の『紅い花』の文庫本を読んでいたからに過ぎなかった。しかし、『紅い花』の文庫本の表紙を見ただけで、これが漫画だ、と分かるということは、とわたしが返事をするのも忘れて考え込んでいると、ギャルは口を開いて言う。
ギャルは嬉しそうに白い八重歯を見せて笑う。そして慌てて口を手で隠し、あぶねーと言う。
「うちさー、友達にお前笑顔まじ醜悪だから笑うなって言われてんだった」
わたしはそこではっと我に返り、そんなことない、すっごいかわいい、とギャルに伝えた。ギャルは、ほんとにー?と言ってまた八重歯を見せて笑った。その後しばらく、お互いの好きな漫画家について話したはずなのだが、ギャルの口から「つげ義春」とか「醜悪」という言葉が出てきた衝撃でよく覚えていない。当時のわたしがどの漫画家が好きとギャルに言ったのか、ギャルは覚えているだろうか。
クラスにはこのギャル以外にもいろんなギャルがいた。
いい匂いするけどなんか香水でもつけてんの、と聞いたら、少し考えたあと、きのうおばあちゃん家に泊まってミューズで体洗ったからかな?と答えたギャル。
当時 大流行していたビリーズ・ブート・キャンプのことを「Believe!ずっとキャンプ」だと思っていたギャル。
トミー・ヒルフィガー以外着ると死ぬねん、そやしバイト中は制服やからずっと死んでる、と言っていたギャル。
でも、わたしはつげ義春が好きだと言って笑ったギャルが特に大好きで、このギャルとはよくお互いの好きなものの話をした。コスメブランドのMACを知ったのはギャルに教えてもらったからだ。ギャルは、バイトを頑張って稼いだお金で自分をかわいくメイクアップするのがたまらなく楽しいし、MACは使っていてテンションが上がる、とオレンジ色のチークにベージュのリップを塗りながらわたしに話してくれた。
ギャルは自分の好きなものの話をしたあと、必ず、あいりちゃんの好きなものの話も聞かせて、と笑った。ある日、わたしは最近バンドのQUEENが好きだ、と言ったら、ギャルはパッと顔を明るくさせて、まじで!?うちもフレディまじリスペクトしてる!とあの笑顔で言うので、QUEENの曲でどの曲が一番好きか聞いた。するとギャルは間髪入れずに言った。
「バイシコーっしょ!!」
バイシコー?"Bicycle Race"のこと?と聞くと、ギャルはそうだと頷いて、あの曲まじ変すぎてラブ、と言ったのだった。ただ自転車に乗りたがってるだけっていうのがかっけーとのことだった。そうなんや、と当時のわたしは半ば衝撃を受けながら笑ってその返答を聞いていた。面白いギャルやなあと思っていた。その面白いギャルは家庭の事情で北海道へ戻ることになった。その時になって初めてわたしたちは携帯のメールアドレスを交換したが、実は自分の携帯持ってないんだよね、とギャルは恥ずかしそうに笑って、お父さんのアドレスを教えてくれた。お父さんの携帯にしょっちゅう連絡するわけにもいかず、一ヶ月後に、ギャルが引っ越してしまってから、元気?と一言だけメールを送ってみたのだが、宛先不明で戻ってきてしまった。ギャルとはそれ以来会っていないし、どこでどうしているのか分からない。その頃の京都は桜が咲き誇る季節だったが、北海道はどんな風景の季節だったのだろう。わたしは北海道へ行ったことがないので、なんとなくで想像することしかできない。つげ義春の漫画には桜って出てきたっけ。そんなことを思いながら、つげ義春の漫画を読み、桜を見つめる。
ギャルとは何か。つげ義春が好きで、MACが好きで、QUEENのバイシコーが好きだった彼女を、わたしはどうしてギャルだと思っていたのだろう。当時のわたしならギャルとは何かと聞かれたら、化粧がうんと派手な面白い存在だと答えていただろうし、つい最近まで実際に思っていた。でも、歳を重ねてから、NHKでやっている井上涼さんの『びじゅチューン!』の「書紀に必要なギャルの精神」という作品を観て、あ!と気づいたのだった。
井上涼さんはこの曲の中で「ギャルとは何か」と問い、こう答えている。
「愛の徹底である」
「華の強さである」
ええ!とわたしは驚愕した。わたしもギャルやったってこと……!?それはさておき、この人は間違いなくギャルだ、とわたしが認識している人たちは、ただある、ということを愛している華やかな存在だということに気づいたのだ。つげ義春はただあるがままに田舎の風景を描き、MACはただあるがままにギャルに愛され続け、QUEENはただあるがままに自転車に乗りたいと歌い叫んだ。そして、わたしがわたしであるということを受け入れて、仲良くしてくれていたことに、今更ながら気がついたのだった。誰よりも愛を徹底し、誰よりも華が強かったギャルは、今どうしているだろうか。わたしもだいぶ変わってなんかギャルになれたわ、と言ったら、彼女はまた八重歯を見せて笑ってくれるだろうか。わたしが初めて買ったデパコスはMACのラベンダー色のチークやで、と言ったら、MACまじいいよね、ラブ、と、彼女はあの声で言ってくれるだろうか。つげ義春を読むたび、MACのコスメを使うたび、QUEENを聴くたび、春の季節になるたび、わたしはギャルのことを思い出す。
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休筆し35年経つ人が描く春風と埃のにおい
廃盤になったMACの口紅の色の名前はそういえばMyth
サムバディ・トゥー・ラブだって歌ってた エブリバディじゃだめなんだって
篠原あいり
派手歌人 / 京都在住の獅子座の女 / 石言葉はたわむれ / 別名義の処女歌集: 『インストールの姉』 amazon.co.jp/dp/B07FMZ85RQ/ / 連絡先:matsugemoyasu♡ gmail.com